古狼と獣憑き

ヒノ

文字の大きさ
9 / 28
第一章『旅立ちの朝』

獣の目

しおりを挟む
 立ち上がるだけの力などとっくに残ってはいないはずだった。生き残るため抵抗する気力すら消え去ったはずだった。にも関わらずクローヴィアは今、正面から大猿に吼えてみせた。
 生存を諦めたゆえの自棄ではない。今クローヴィアを支配しているのは大猿への、命を弄ぶ者への純粋な怒りだった。

 折れたはずの獲物が再び立ち上がったことに気付き、大猿は拳を振り下ろすのをやめた。
 動かなくなった生意気な玩具から、怯えていたはずの瞳に剥き出しの敵意を宿した小さな獲物に興味が移る。

 今度はどう叩き潰そうか。遊び方を想像しながら大猿は口をにやりと歪めた。

 両者が向き合う。

(僕も馬鹿だな)

 クローヴィアは自嘲した。
 あの狼はひとりでも逃げられた。なのに自分なんかを助けようとして死んだ。馬鹿だ。そんな死に方なんか間違っている。

 そして、自分もまた同じ間違いをした。
 立ち上がれたところでそれだけだ。僕がこいつに勝てるはずがない。勝つ以前に、勝負にすらならないんだ。でも、ならばなぜ僕はこんな真似をしたんだろう。

(同じ間違いをした者同士、きっと、同じ気持ちだったんだよね)

 こいつが、許せなかった。理屈ではない。ただその怒りだけがクローヴィアを大猿の正面に立たせていた。

 大猿は拳を引き、クローヴィアに殴りかかった。大猿にはまだクローヴィアを殺す気はない。敵意の目が光を失い再び震えだすまで、じっくりなぶるつもりでいた。だからその拳は全力ではない。
 とはいえ、躱されるつもりも毛頭なかったはずだった。

 ゆらり。クローヴィアは前へ身体を倒しながら、寸でのところでその拳を避けていた。最小限の動きで躱した、というわけではない。クローヴィアの反応速度のギリギリと拳の速度が絶妙に噛み合ったに過ぎなかった。
 しかし目を向けるべきはクローヴィアが大猿の拳に反応してみせたことそのものである。戦闘経験が皆無のただの子供が、自分よりも巨大な敵を目の前にその拳の軌道を冷静に見極めたことそのものが異常なのだ。

 拳が空を切る。大猿は続く攻撃をすぐには繰り出せなかった。もしそこで続く一撃があれば勝負は決していただろう。しかし大猿はそもそも初撃で戦いを終わらせる気だったのである。そこからはただの遊びの時間で戦いではない、はずだったのだ。
 
 ヴゥゥゥゥゥ――。

 予定を狂わされたことに不快感を露わにする。獲物の目はまだ光を失っていない。生意気だ、腹が立つ。
 そんな怒りに囚われたがために、またも大猿は反応が遅れた。

 大猿の顔に黒い影が落ちる。何者かが上を取ったのだ、それも直前まで気が付かないほどの速度で。見上げた大猿の視界に映ったのは、自分よりも大きく真っ白な狼だった。

 狼の前肢が大猿の顔を押しつぶす。そのまま大猿を押し倒すと、狼はクローヴィアの服をくわえ後方へ飛び退いた。

「何とか間に合ったな。無事か、クローヴィア」

 白い狼、イーシャは大猿から距離を取りクローヴィアを離した。普段は落ち着き払った態度の彼女には珍しく、その声音からは焦りがあったことが窺えた。

「…………うん」

 クローヴィアの声は暗い。イーシャはそこに含まれた意味を推し量ろうとして、しかしそれは後に回した。

「何かあったようだが、ひとまずこいつのことは私に任せろ」

 イーシャはクローヴィアの前に出る。ここからは獣同士の戦いだ。

 イーシャの一撃を受けた大猿が起き上がる。不意を衝かれはしたがたいしたダメージは負っていない。まだまだ戦うには余裕だ。
 とはいえ、身体の大きさはそのまま強さの指標になる。自分よりも大きな敵の出現に大猿の警戒は一気に高まった。

 大猿は両腕を地面に突き姿勢を低くする。前後左右、どちらへでもすぐに移動できる体勢だ。

 イーシャも同様に姿勢を落とす。

「さあどうした。私の縄張りを荒らしてくれたんだ。覚悟はできてるんだろう」

 尻尾で地面を叩き挑発するイーシャの、後肢の付け根、腰のあたりが紫色の光を帯びていた。クローヴィアはこれまで気付いていなかったが、イーシャは全身が白い毛に覆われているわけではない。後肢の付け根の部分には黒い毛が模様のようになって生えており、そこが光っているのだ。

 イーシャが金の瞳を細める。それと同時に大猿の足元が発火した。青い炎が大猿を包む。予想外の攻撃に大猿は慌てて飛び退いた。
 その隙をイーシャは逃さない。飛び退くよりも速く駆け抜け距離を詰めると、大猿の懐に頭を差し込み、下から突き上げるようにして巨体を空に浮かせる。持ち上げられた大猿は無論、空中では制御が利かず無防備だ。そこへ追撃する。
 黒い模様が再び光を帯びると、イーシャの口元に青い炎が宿る。やがて大きく成長したそれを、イーシャは空中の大猿向け吐き出した。

 今度こそ逃げ場はない。火炎の直撃を受けた大猿は青い炎を纏ったまま地面に転がり、全身が焼ける痛みに悶えている。
 が、流石は巨体を誇る獣だった。痛みを堪え立ち上がり、炎に焼かれたままイーシャに殴りかかった。
 決死の反撃、しかしそれもイーシャには届かない。イーシャは飛び退くと同時に再び空中で青い炎を吐く。とどめの一撃は巨体を包む炎をより大きくし、大猿はついに動きを止め倒れ込んだ。

 燃え盛る蒼炎は断末魔すらその中に飲み込むと、やがて塵のように消えていった。炎が森へと広がることはなく、あとに残ったのは焦げた死体のみだ。

「さて」
 
 動かなくなったことを確認したイーシャはクローヴィアを振り返った。

「改めて問うが、無事だな?」
「うん、大丈夫。ありがとう」

 クローヴィアはほっとしたように微笑んだ。イーシャは影の落ちたその表情を訝しむように見ていたが、やがて首を振った。

「まあいい。まずは飯にしよう。そろそろ腹が空く頃だろう?」

 太陽は空の真上に昇っている。

 イーシャは大猿の死体を一瞥した。都合よく火の通った獣肉がそこにあったが、昨夜の会話を思い出し、その案は没にした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

神眼の鑑定師~女勇者に追放されてからの成り上がり~大地の精霊に気に入られてアイテム作りで無双します

すもも太郎
ファンタジー
 伝説級勇者パーティーを首になったニースは、ギルドからも放逐されて傷心の旅に出る。  その途中で大地の精霊と運命の邂逅を果たし、精霊に認められて加護を得る。  出会った友人たちと共に成り上がり、いつの日にか国家の運命を変えるほどの傑物となって行く。  そんなニースの大活躍を知った元のパーティーが追いかけてくるが、彼らはみじめに落ちぶれて行きあっという間に立場が逆転してしまう。  大精霊の力を得た鑑定師の神眼で、透視してモンスター軍団や敵国を翻弄したり、創り出した究極のアイテムで一般兵が超人化したりします。  今にも踏み潰されそうな弱小国が超大国に打ち勝っていくサクセスストーリーです。  ※ハッピーエンドです

治療院の聖者様 ~パーティーを追放されたけど、俺は治療院の仕事で忙しいので今さら戻ってこいと言われてももう遅いです~

大山 たろう
ファンタジー
「ロード、君はこのパーティーに相応しくない」  唐突に主人公:ロードはパーティーを追放された。  そして生計を立てるために、ロードは治療院で働くことになった。 「なんで無詠唱でそれだけの回復ができるの!」 「これぐらいできないと怒鳴られましたから......」  一方、ロードが追放されたパーティーは、だんだんと崩壊していくのだった。  これは、一人の少年が幸せを送り、幸せを探す話である。 ※小説家になろう様でも連載しております。 2021/02/12日、完結しました。

側妃に追放された王太子

基本二度寝
ファンタジー
「王が倒れた今、私が王の代理を務めます」 正妃は数年前になくなり、側妃の女が現在正妃の代わりを務めていた。 そして、国王が体調不良で倒れた今、側妃は貴族を集めて宣言した。 王の代理が側妃など異例の出来事だ。 「手始めに、正妃の息子、現王太子の婚約破棄と身分の剥奪を命じます」 王太子は息を吐いた。 「それが国のためなら」 貴族も大臣も側妃の手が及んでいる。 無駄に抵抗するよりも、王太子はそれに従うことにした。

勇者の隣に住んでいただけの村人の話。

カモミール
ファンタジー
とある村に住んでいた英雄にあこがれて勇者を目指すレオという少年がいた。 だが、勇者に選ばれたのはレオの幼馴染である少女ソフィだった。 その事実にレオは打ちのめされ、自堕落な生活を送ることになる。 だがそんなある日、勇者となったソフィが死んだという知らせが届き…? 才能のない村びとである少年が、幼馴染で、好きな人でもあった勇者の少女を救うために勇気を出す物語。

追放された味噌カス第7王子の異種族たちと,のんびり辺境地開発

ハーフのクロエ
ファンタジー
 アテナ王国の末っ子の第7王子に産まれたルーファスは魔力が0で無能者と言われ、大陸の妖精族や亜人やモンスターの多い大陸から離れた無人島に追放される。だが前世は万能スキル持ちで魔王を倒し英雄と呼ばれていたのを隠し生まれ変わってスローライフを送る為に無能者を装っていたのだ。そんなルーファスはスローライフを送るつもりが、無人島には人間族以外の種族の独自に進化した先住民がおり、周りの人たちが勝手に動いて気が付けば豊かで平和な強国を起こしていく物語です。

魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。

カモミール
ファンタジー
勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。 だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、 ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。 国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。 そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。

最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。

MP
ファンタジー
高校2年の夏。 高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。 地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。 しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。

処理中です...