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第一部 婚約破棄されました
2、これが現実かっっ:下
しおりを挟むもうやめてくれ…
それが一週間目で思った感想だ。
まず止めてくれセクハラ課長。なんだそのうるうるの目は。わかるわかるぞって、一緒にするな!お前は浮気して奥さんに出て行かれた立場だろうが!セクハラを止めることは継続しつつ取り敢えずその目をやめろ!チワワのフリは身体を絞ってからにしなさい!
普通に仕事をしつつ、休憩の時も含め常より妙に優しい課長のソフトな攻撃にダメージを負う。
次に年下の女子社員達。やめろぉ、完全に話の種になることは分かるが何故他部署の人も時折混じるのだ。痛い。曖昧にぼかすが説明を繰り返す度に心が痛い。兎か!お前達はあのかちかち山に生息する兎か!からし超えてるから!もうヤスリだから!
もはやハード認定の攻撃にもダメージを負う。
人の噂は七十五日というが、人間関係の希薄な現代社会。もうそろそろ止む筈だと思っている。思いたい。いや面白くないんであんまり広めないでっ、心で号泣してるから
これまでの一週間を思い返してげっそりし、初めて会う受付の人にああ…という顔をされる新たなダメージ方法に恐怖しつつ、資料が届くのを待つ。職場に居づらくてつらい。そもそも気付かれたのが自分のせいというのがつらい。
しかし言いたい。あの夜は狼もかくやというぐらい吠えていたのだ。ご近所さんには迷惑を掛けたので今度菓子折りでも持っていこうと思っている。そして瞼の腫れが若干引かず、喉がガラガラのおじさん声のまま出勤し、何事にも目敏い可愛い部下の女の子が指輪が無いのを発見して今に至ると。
…もうやだスピーディー過ぎる
親戚や家族からの電話やメールも、元婚約者との事務的でしか繋がらない状態も、今のくたびれた心境に一役買っていた。ぼんやりと見るともなく床のタイル模様を眺めていると、足が映る。
出来ればどいてほしい。そこが次に数える予定のタイルなので
いつの間にか始まっていたタイル数えだがどうせなら二百を超えたいのだと顔を上げると、我が部下の田中くんであった。相変わらず黒縁の眼鏡から覗くのは何を考えているのか分からん目である。印象に残りにくい薄い顔立ちだが、これが今時流行りの塩系男子なのかもしれない。しかし、私が田中くんの一番注目しているポイントはそこではないのだ。
「おはよう、明後日の会議資料で何か問題は出てる?」
「いえ、大丈夫です」
流石何事にも涼しい顔の田中くんである。何だかんだと長年勤めた経験的に、仕事や、さり気無い気配りの出来る彼は出世するだろうなと見込んでいるのだ。
あと、その髪型も私はいいと思うぞ。私的田中くんのイチオシポイントである、その、天然の七三分け。女子社員には謎過ぎる、ウケ狙いだと思ってたら違った、現実で見れてびっくりしたと不評気味だが、私含め男性上司の受けもなかなかだ。やはり印象に残るからであろうか。クールというより冷ための彼だが、その髪型のお陰か、爽やかあるいは生真面目な印象となるのだ。
天然パーマで天パがあるのである。天然七三で略して天七三(てんなみ)とかどうであろう。メリットもあるのだ、何事も何が受け入れられるか分からんのである、案外流行るかもしれぬぞ田中くん!
田中くんの顔を少し見上げつつ考えていると、何故か田中くんはその場を去らない。
「どうかした?」
無表情で見下ろす田中くんへ尋ねていると、彼がその薄い唇を開こうとした瞬間離れた場所がざわついたのが分かった。
「な、なに?」
見やると人混みが出来、その中心には背の高いスラリとしたイケメン――佐藤さんが居た。海外出張から帰って来たばかりなのだろう。日に焼けた顔には微かな疲労感が見えつつも、朗らかな笑顔を浮かべている。
私は内心でおおっ!と歓声を上げていた。そう、私はあの日から肉食系女子へとメタモルフォーゼ進行中なのだ。華麗なる躍進である。師匠を頼り、つい先月寿退社した数少ない友人から、狙うべき玉の輿男ランキングなるものを譲り受け、着々と努力を積み重ねている最中なのだ。
そして、その中で佐藤さんは玉の輿男ランキング、略して玉ランの堂々たる三位保持者なのである。
ちなみにマイナスポイントは海外赴任が多いことと家のしがらみが名家故多いこと…らしい。
ふむふむと頭の中で友人のデータを思い出し、もう一度彼を見ると何故か人混みが割れて此方へと彼が歩いて来ていた。コンパスの長い彼は、結構離れていたのにもう近いところまで来ている。切れ長の目は真剣に、そして少しの緊張を孕んで唇を結んでいた。
「たたた、田中くん、どうしようっ」
「どうもしませんね」
相変わらず涼しい田中くんである。真っ直ぐに近寄ってくる佐藤さんの手には、よく見れば赤いバラの花束が握られている。見れば彼を追ってギャラリーが半円を形成しつつある。真剣な眼差しの佐藤さんと、興奮の度合いを増す周囲につられる様に、いよいよ私は動悸が激しくなった。脳裏では慣れ親しんだ物語が幾つも思い浮かぶ。よくよくざわめきに耳を傾けると、「ようやく婚約が破棄されたんだってさ」「なんであんな女に!」「ま、ちょっとぐらいはいいか…」といった感じで、彼の上司ですら生温かい目を向けつつ男女共にきゃいのきゃいの盛り上がっていた。
こ、これは現実なのだろうか?こんな小説みたいなことが本当に…、いや、婚約破棄されたけどさ。で、でも佐藤さんとは遠目に見たことがあるくらいで全然親しい会話をした覚えはないし…。お、お返事どうしようっ、ま、まずはでもお友達からとか…
疑いと興奮で混乱しつつも、それでもいよいよ目の前に立つ佐藤さんに、私の頭の中で様々な理由付けが行われていた。
あれかな、自販機の所でホットティーを飲みつつ会話したことが一回だけあったし、そう言えば他部所の人達が何で聞きに来るのだろうと思っていたけど、今思えば視察にでも来ていたのかもしれない
閃きに高陽を抱き、私はぼうっと頬を赤らめて佐藤さんを見上げた。身長155cmほどの私からしたら、佐藤さんは大分見上げなくてはならない程の高身長だ。少しして佐藤さんと目が合う。
すると、隣で気配を消していた田中くんが腕を引っ張った。
「た、田中くん?」
「邪魔してはいけませんよ」
何であろうかと意外と近い位置にあった顔を見やると、此方を見ずにそんなことを言われる。というか肌のキメ細かいな!後で何の化粧水使っているのか聞こう。
じゃなくて、一体何なのだと訝みつつ佐藤さんの方を見ると、微笑ましいといった顔で目礼された。小さく頭を下げる田中くん。呆然と見ていると、佐藤さんは「ありがとう、勇気を貰ったよ」といった意を決した顔でその手に持った花束を差し出した。
受付嬢に。
「一緒にイギリスに来て欲しい」
「やめてください、仕事中です」
見れば吊り上がった目や制服越しでも分かる、女性も羨む豊満な肢体。肉厚な男を誘う紅い唇など、背の高いところも含め悪女風だがとても綺麗な方だ。というより今日初めてお会いした先程の受付嬢さんではあるまいか。
「愛している」
「そうですか」
佐藤さんの熱の篭った視線から目を逸らし、受付嬢さんはトントンと資料を整理してから此方を見つめた。―――佐藤さんを無視して。
「小林様、お待たせ致しました。資料は此方でよろしいでしょうか」
びくっっと体が跳ねる。悪女顔なのに雰囲気柔らかく微笑まれるご尊顔は、ギャップを生み出し破壊力が凄まじい。だがこの状況で向けられるその笑顔は悪魔にしか見えぬというカオスな状況。
「は…、はいっ! ありがとうございましたっ! あと何かすみませんでしたぁっ」
資料を震え上がりながら受け取る。冷や汗だらだらのまま全ての視線を私は亡き者としてシャットアウトし、壊れかけのrobotの如くぎこちなく輪の外へ向け足を動かした。いや、ちょっとでも私如きが夢見て申し訳ない、ほんとに調子に乗ってすみませんでしたっ。無理です、私には状況を見守る度胸なんてもう無いです。
結末?知るかい!
取り敢えず輪の外に出て冷や汗を拭っていると、上手いこと一緒に脱出した田中くんが私を見下ろし目を眇める。
なんだ、何か文句でもあるのか
沸き起こって来た羞恥のままに喧嘩腰の半眼で相対すると、目が「馬鹿ですか」と言っていた。目は口ほどに物を言うとは言うが、情よりも余程伝わるこの蔑み。
田中くん!いずれ昇進確実とはいえ今は部下だからな!乙女のナイーブな心がズタボロだからな!分かるから!無言でも分かるから!
「田中くん、今日の夜飲もうか。強制だから」
資料がマンドラゴラの如く悲鳴を上げているが、無視してふふふと暗い目で微笑みつつ上司命令を発動すると、
「すみません、今日は忙しいので無理です」
一礼してから颯爽と田中くんは去っていった。
…田中くんめ!!!
打ち拉がれながら私は思う。
そう、ようやく悟ったのだ。
いくら婚約破棄されようが携帯小説が好きだろうが、物語のようにそうそう都合良いことなどある筈無く…
そうかっ…、これが現実かっっと―――
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