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瓦礫の祈り ――真実は崩壊のあとに生まれる
婚約破棄の塔(前編)「裏切りの縁」
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《塔(The Tower)/XVI》
番号: 16
主な意味(正位置):
崩壊・破壊・急変
虚構の崩れ落ちる瞬間
“目覚め”をもたらす衝撃的事件
神の雷による「偽りの破壊」=真実の再構築
逆位置:
再建・破滅からの再生
ショック後の立ち直り
崩壊を経て見える「真実の基礎」
昼休みの終わり、彼から届いたメッセージは三行で足りていた。
《今夜、話がある》《大事な話》《会社の前で待ってる》
予感はあった。
残業のたびに彼の香水が変わったこと。
金曜の夜に急に会えなくなったこと。
社内で視線が合っても、彼が笑わなくなったこと。
ビルの陰が伸びる夕方、彼は言った。感情の温度を抜いた声で。
「専務のご令嬢から、プロジェクトの相談を受けててさ。
……いや、正確に言うと、相談だけじゃない。俺、求められてる。
仕事も、将来も。君より、そっちの方が見えるんだ」
婚約指輪の箱は、彼、佐伯遼一の手の中で軽く回った。
戻ってきた箱を受け取る指先が震える。
「わたしは……?」
「君といると、俺の将来が見えなくなる。ごめん」
それで終わりだった。
ビルの外に出ると、風が冷たかった。
駅までの道で、彼女は何度も信号に引っかかった。
赤。青。赤。
人の流れは容赦がない。
流れに乗れないものだけが、歩道の端に押しやられる。
電車のホームで、向かい側の緊急停止ボタンが目に入る。
押せば、何かが止まる。押さなければ、何も止まらない。
胸の奥で、言葉にならない声が泡のように弾けては消えた。
(消えたい、まで言ってしまえば、楽だろうか)
電光掲示板の数字が動く。視界が滲む。
踏み出す足を、別の何かが引っぱった。
その夜、眠れないまま画面を眺めていて、
検索窓に勝手に指が打っていた。
《縁 苦しい 助けて》
いくつかの広告の中に、
ひとつだけ硬質な文字組のサイトがあった。
――縁カウンセリング Kokū Counseling
小さく添えられた一行が目に刺さる。
行動が、縁を変える。
気づけば予約フォームを送信していた。
返信はすぐに来た。翌日の午前十時。鎌倉。海の近く。
*
ガラスのドアを押すと、鈴がやわらかく鳴った。
沈香が淡く満ちている。
白い壁、木の机、窓の向こうに薄い海の光。
「ご予約の藤原沙耶(ふじわら・さや)さんですね」
受付の女性が立ち上がる。落ち着いた薄紅の瞳。
澄んだ気配がどこか人間離れして、けれど笑顔はあたたかい。
「円城(えんじょう)あかりと申します。どうぞ、こちらへ」
通された部屋は広くないが、静かだった。
余計なものがない。机の上に黒い箱。あかりが静かに香を足す。
扉がノックもなく開いて、青年が入ってきた。
スーツは地味だが、よく整っている。
「朝比奈恋九郎(あさひな・れんくろう)です。お越しくださって、
ありがとうございます」
低く穏やかな声だった。
彼は深く頭を下げ、席に向かう前に、まず窓を少しだけ開けた。
春の海風が、薄く室内を撫でる。
「……風を入れましょう。言葉の前に、
空気を変えるのが、僕たちのやり方なんです」
席に着くと、静かに言った。
「話したいこと、聞きたいこと、どんなことでも構いません。
気兼ねなく、お話しください」
「あの……その、“縁カウンセリング”とは、
どんなものなんでしょうか」
「はい。一般的なカウンセリングは、
専門的な知識や技術を持つカウンセラーが、相談者の悩みを聞き、
心を整理し、立ち直るためのサポートをする
――相談と援助の場ですね」
彼は少し間を置き、柔らかく続けた。
「縁カウンセリングは、そこに“縁の流れ”という視点を加えます。
人と人、人と出来事、人と未来の“つながり”を整える。
その人が本来向かうべき良縁へ、道筋を戻していく
――そんな考え方です」
「……私は、良い縁に恵まれてなかったのかもしれません」
「そう感じるときこそ、縁の流れが変わり始める合図です」
彼はそれ以上、急かさなかった。
名前、ここに来た理由、最近の睡眠。食事。仕事。
彼女が話せるところまで話し、話せないところで止まると、
彼はそれ以上を求めなかった。
「婚約者が……会社の専務の、娘さんと。
わたし、彼の将来の邪魔になるって、言われて」
言葉が出た瞬間、喉が焼けた。
恋九郎は頷く。慰めの言葉を挟まない。
ただ、手元の黒い箱の蓋をゆっくり開けた。
「今日は、カードを使っていいですか。
縁の地図のようなものです。未来を決めるものではありません。
いまの流れを見るための、鏡です」
あかりが湯呑を置く。香の煙が細く伸びる。
恋九郎の手指は、カードを扱い慣れた人のそれだった。
音を立てずに切り、揃え、彼女の前に差し出す。
「左手で三つに分けて、好きな順番で重ねてください」
タロットカードだった。
彼女は指先の震えをごまかしながら、言われた通りにする。
カードが静かな音で卓に戻る。
最初の一枚が、裏返された。
黒地に稲妻。崩れ落ちる塔。
《The Tower 塔》――正位置。
息が詰まった。
恋九郎は、カードを見てから、彼女の顔を見た。
「怖い絵に見えますね。
けれど、これは“罰”のカードではありません」
彼は言葉を選ぶように、少し間を置く。
「積み上げたものが偽りなら、壊れる。――それだけです。
壊れたあとに、風が通る。
そこから見える景色が、ほんとうです」
彼女は唇を噛んで、目を伏せた。
「……わたしが、偽ってた、ってことですか」
「あなたのせい、という話ではありません。
二人で築いた塔の素材が、
あなたの心には合っていなかったのかもしれない。
“将来が見えなくなる”と彼は言ったのですね。
彼が見たかった将来は、たぶん、あなたが望む将来ではなかった」
言われてみれば、その通りだった。
専務の娘と結婚し、役員コースに乗る男の隣に、
自分は本当にいたかっただろうか。
深く息を吸う。
風が入る窓の隙間から、海の匂いがほどける。
二枚目。
《Strength 力》――逆位置。
「弱った獅子です。体力も、心も。
……休むことは、逃げることではありません。
まずは食べる。眠る。歩く。――丁寧に、生きる」
あかりが頷く。
「“丁寧に”というのは、形からでもいいんです。
好きな服を着る。窓を拭く。靴を磨く。
外に出て、春の風を吸う。ひとつひとつが、縁を変えます」
三枚目。
《The Sun 太陽》――正位置。
黄色が、まぶしかった。
「ここまで出るのは、珍しいです」恋九郎は少し笑う。
「ここに至るまでに、行動を積み重ねる必要があります。
……でも、あなたは行ける」
「行けるって、どこへ」
「“あなたの将来”が見える場所へ、です」
彼の声音は、誰かに向けた決意のようでもあった。
ふいに、彼女は自分の頬を伝うものに気づく。
涙は、音もなく落ちると、カードの縁を濡らした。
「すみません」
「いいえ。これは浄めです。
塔が崩れたあとに降る雨は、地面の熱を鎮める。」
彼はカードを整え、箱に戻した。
「今日は、ここで終わりでもいい。
でも、もしよければ、外に出ませんか。
短い散歩でいい。風にあたりましょう」
彼女は逡巡のあと、小さく頷いた。
立ち上がると、足元がまだ覚束ない。
あかりが自然に横に立つ。
「腕、貸してください。今日は私が、風の道案内」
あかりの掌は、思っていたより温かかった。
縁が薄い体質だと言われたら、
信じてしまいそうな透明さなのに、
触れた温度は現実だった。
ドアベルが再び鳴る。午前と午後の境目の光。
階段を下りると、海の気配が濃くなる。
遠くで子どもがはしゃぐ声。潮の匂い。
彼女は、胸の奥に張り付いていた重しが、
少しずつ解けていくのを感じた。
歩幅は小さくても、前へ。
塔が崩れたあとに見える空は、思ったよりも青かった。
信号の前で、恋九郎がふと空を見上げる。
「……藤原さん」
「はい」
「今日はたぶん、最初の一歩です。
次の約束は、外でしましょう。海沿いで、コーヒーを」
彼の目は、やわらかい灰色をしていた。
彼女は頷く。
「お願いします」
青になった。風が吹いた。
三人は、同じ方向へ歩き出した。
番号: 16
主な意味(正位置):
崩壊・破壊・急変
虚構の崩れ落ちる瞬間
“目覚め”をもたらす衝撃的事件
神の雷による「偽りの破壊」=真実の再構築
逆位置:
再建・破滅からの再生
ショック後の立ち直り
崩壊を経て見える「真実の基礎」
昼休みの終わり、彼から届いたメッセージは三行で足りていた。
《今夜、話がある》《大事な話》《会社の前で待ってる》
予感はあった。
残業のたびに彼の香水が変わったこと。
金曜の夜に急に会えなくなったこと。
社内で視線が合っても、彼が笑わなくなったこと。
ビルの陰が伸びる夕方、彼は言った。感情の温度を抜いた声で。
「専務のご令嬢から、プロジェクトの相談を受けててさ。
……いや、正確に言うと、相談だけじゃない。俺、求められてる。
仕事も、将来も。君より、そっちの方が見えるんだ」
婚約指輪の箱は、彼、佐伯遼一の手の中で軽く回った。
戻ってきた箱を受け取る指先が震える。
「わたしは……?」
「君といると、俺の将来が見えなくなる。ごめん」
それで終わりだった。
ビルの外に出ると、風が冷たかった。
駅までの道で、彼女は何度も信号に引っかかった。
赤。青。赤。
人の流れは容赦がない。
流れに乗れないものだけが、歩道の端に押しやられる。
電車のホームで、向かい側の緊急停止ボタンが目に入る。
押せば、何かが止まる。押さなければ、何も止まらない。
胸の奥で、言葉にならない声が泡のように弾けては消えた。
(消えたい、まで言ってしまえば、楽だろうか)
電光掲示板の数字が動く。視界が滲む。
踏み出す足を、別の何かが引っぱった。
その夜、眠れないまま画面を眺めていて、
検索窓に勝手に指が打っていた。
《縁 苦しい 助けて》
いくつかの広告の中に、
ひとつだけ硬質な文字組のサイトがあった。
――縁カウンセリング Kokū Counseling
小さく添えられた一行が目に刺さる。
行動が、縁を変える。
気づけば予約フォームを送信していた。
返信はすぐに来た。翌日の午前十時。鎌倉。海の近く。
*
ガラスのドアを押すと、鈴がやわらかく鳴った。
沈香が淡く満ちている。
白い壁、木の机、窓の向こうに薄い海の光。
「ご予約の藤原沙耶(ふじわら・さや)さんですね」
受付の女性が立ち上がる。落ち着いた薄紅の瞳。
澄んだ気配がどこか人間離れして、けれど笑顔はあたたかい。
「円城(えんじょう)あかりと申します。どうぞ、こちらへ」
通された部屋は広くないが、静かだった。
余計なものがない。机の上に黒い箱。あかりが静かに香を足す。
扉がノックもなく開いて、青年が入ってきた。
スーツは地味だが、よく整っている。
「朝比奈恋九郎(あさひな・れんくろう)です。お越しくださって、
ありがとうございます」
低く穏やかな声だった。
彼は深く頭を下げ、席に向かう前に、まず窓を少しだけ開けた。
春の海風が、薄く室内を撫でる。
「……風を入れましょう。言葉の前に、
空気を変えるのが、僕たちのやり方なんです」
席に着くと、静かに言った。
「話したいこと、聞きたいこと、どんなことでも構いません。
気兼ねなく、お話しください」
「あの……その、“縁カウンセリング”とは、
どんなものなんでしょうか」
「はい。一般的なカウンセリングは、
専門的な知識や技術を持つカウンセラーが、相談者の悩みを聞き、
心を整理し、立ち直るためのサポートをする
――相談と援助の場ですね」
彼は少し間を置き、柔らかく続けた。
「縁カウンセリングは、そこに“縁の流れ”という視点を加えます。
人と人、人と出来事、人と未来の“つながり”を整える。
その人が本来向かうべき良縁へ、道筋を戻していく
――そんな考え方です」
「……私は、良い縁に恵まれてなかったのかもしれません」
「そう感じるときこそ、縁の流れが変わり始める合図です」
彼はそれ以上、急かさなかった。
名前、ここに来た理由、最近の睡眠。食事。仕事。
彼女が話せるところまで話し、話せないところで止まると、
彼はそれ以上を求めなかった。
「婚約者が……会社の専務の、娘さんと。
わたし、彼の将来の邪魔になるって、言われて」
言葉が出た瞬間、喉が焼けた。
恋九郎は頷く。慰めの言葉を挟まない。
ただ、手元の黒い箱の蓋をゆっくり開けた。
「今日は、カードを使っていいですか。
縁の地図のようなものです。未来を決めるものではありません。
いまの流れを見るための、鏡です」
あかりが湯呑を置く。香の煙が細く伸びる。
恋九郎の手指は、カードを扱い慣れた人のそれだった。
音を立てずに切り、揃え、彼女の前に差し出す。
「左手で三つに分けて、好きな順番で重ねてください」
タロットカードだった。
彼女は指先の震えをごまかしながら、言われた通りにする。
カードが静かな音で卓に戻る。
最初の一枚が、裏返された。
黒地に稲妻。崩れ落ちる塔。
《The Tower 塔》――正位置。
息が詰まった。
恋九郎は、カードを見てから、彼女の顔を見た。
「怖い絵に見えますね。
けれど、これは“罰”のカードではありません」
彼は言葉を選ぶように、少し間を置く。
「積み上げたものが偽りなら、壊れる。――それだけです。
壊れたあとに、風が通る。
そこから見える景色が、ほんとうです」
彼女は唇を噛んで、目を伏せた。
「……わたしが、偽ってた、ってことですか」
「あなたのせい、という話ではありません。
二人で築いた塔の素材が、
あなたの心には合っていなかったのかもしれない。
“将来が見えなくなる”と彼は言ったのですね。
彼が見たかった将来は、たぶん、あなたが望む将来ではなかった」
言われてみれば、その通りだった。
専務の娘と結婚し、役員コースに乗る男の隣に、
自分は本当にいたかっただろうか。
深く息を吸う。
風が入る窓の隙間から、海の匂いがほどける。
二枚目。
《Strength 力》――逆位置。
「弱った獅子です。体力も、心も。
……休むことは、逃げることではありません。
まずは食べる。眠る。歩く。――丁寧に、生きる」
あかりが頷く。
「“丁寧に”というのは、形からでもいいんです。
好きな服を着る。窓を拭く。靴を磨く。
外に出て、春の風を吸う。ひとつひとつが、縁を変えます」
三枚目。
《The Sun 太陽》――正位置。
黄色が、まぶしかった。
「ここまで出るのは、珍しいです」恋九郎は少し笑う。
「ここに至るまでに、行動を積み重ねる必要があります。
……でも、あなたは行ける」
「行けるって、どこへ」
「“あなたの将来”が見える場所へ、です」
彼の声音は、誰かに向けた決意のようでもあった。
ふいに、彼女は自分の頬を伝うものに気づく。
涙は、音もなく落ちると、カードの縁を濡らした。
「すみません」
「いいえ。これは浄めです。
塔が崩れたあとに降る雨は、地面の熱を鎮める。」
彼はカードを整え、箱に戻した。
「今日は、ここで終わりでもいい。
でも、もしよければ、外に出ませんか。
短い散歩でいい。風にあたりましょう」
彼女は逡巡のあと、小さく頷いた。
立ち上がると、足元がまだ覚束ない。
あかりが自然に横に立つ。
「腕、貸してください。今日は私が、風の道案内」
あかりの掌は、思っていたより温かかった。
縁が薄い体質だと言われたら、
信じてしまいそうな透明さなのに、
触れた温度は現実だった。
ドアベルが再び鳴る。午前と午後の境目の光。
階段を下りると、海の気配が濃くなる。
遠くで子どもがはしゃぐ声。潮の匂い。
彼女は、胸の奥に張り付いていた重しが、
少しずつ解けていくのを感じた。
歩幅は小さくても、前へ。
塔が崩れたあとに見える空は、思ったよりも青かった。
信号の前で、恋九郎がふと空を見上げる。
「……藤原さん」
「はい」
「今日はたぶん、最初の一歩です。
次の約束は、外でしましょう。海沿いで、コーヒーを」
彼の目は、やわらかい灰色をしていた。
彼女は頷く。
「お願いします」
青になった。風が吹いた。
三人は、同じ方向へ歩き出した。
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