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第2話 おばあちゃんからの手紙
窓の外からは、聞いたこともない鳥のさえずりが聞こえてくる。
けれど、私の手の中にあるこの便箋は、間違いなく見覚えのあるものだった。
少し癖のある、でも丁寧で力強い筆跡。
三年前、病室で私の手を握って笑っていたおばあちゃんの文字だ。
私は震える手で、その手紙に目を落とした。
『親愛なる美里へ。
この手紙を読んでいるということは、あなたはあのトンネルを抜けて、こちら側の世界に来てしまったのね。 驚かせてしまってごめんなさい。でも、パニックになって窓から飛び降りたりしていないことを祈るわ。
美里。あなたは昔から、私とよく似ていた。 古いものが好きで、どこか浮世離れしたところがあって。 何より、あなたの魂には「異界を渡る種」が宿っていたの。
私もかつて、あなたと同じようにあちらの世界からこちらへやってきた「渡り人」でした。 こちらでの暮らしは、案外悪くないものよ。 水は綺麗だし、空気も美味しい。少しだけ、不便で不思議なこともあるけれど。
私がこの家を建てたのは、いつかあなたがこちらへ来た時に、困らないようにするためです。 一階にあるあの不思議な調理場や設備は、私が長い年月をかけて整えた、この世界の魔法とあちらの世界の知恵の結晶よ。
当面の間、生活に困らないだけの蓄えは一階の蔵に用意してあります。 家も、お金も、裏庭の畑も。すべてあなたの好きに使いなさい。
いずれ、また元の世界に戻れる時が来るはずです。 それまでは、ここで自由に、あなたらしく暮らしなさい。 おばあちゃんは、あなたが作る「美味しいもの」が大好きだったわ。
あなたの新しい人生に、幸多からんことを。
愛を込めて。 ――おばあちゃんより』
「……渡り人……魔法……?」
手紙を読み終えた私は、その場にへたり込んでしまった。
おばあちゃんが、異世界人。
しかも、私もその才能を受け継いでいるなんて。
ファンタジー小説やアニメの世界なら「やったー!」と喜ぶ場面かもしれないけれど、現実はそう甘くない。
私はただの、美味しいものが好きでインスタが趣味の、二十代後半の事務職OLなのだ。
「自由にって言われても……どうすればいいのよ」
誰もいない書斎に、私の声が虚しく響く。
けれど、不思議とおばあちゃんの手紙を読んだことで、心の奥底にあった激しいパニックは、凪のように静まっていた。
この屋敷から感じる圧倒的な「守られている感」は、おばあちゃんの愛情だったのだ。
ぐぅ。
その時、私の情けない腹の虫が鳴った。
そういえば、お墓参りに行こうとしてから、何も食べていない。
極限の緊張状態から解き放たれたせいか、急に猛烈な空腹が襲ってきた。
「……まずは、落ち着こう。おばあちゃんも言ってた。落ち着くには、まず食べることだって」
私はよろよろと立ち上がり、二階から一階へと降りた。
玄関を開けると、そこにはまだ私の愛車――空色の軽自動車が、異質な存在感を放ちながら止まっていた。
この森の中で、私の唯一の「元の世界」との繋がりだ。
私は車の助手席のドアを開け、後部座席に放り投げてあったレジ袋を掴んだ。
ドライブのお供に買っておいた、スナック菓子とペットボトルのお茶。
板の間に腰を下ろし、私は『じゃがりこ・サラダ味』のカップを開けた。
カリッ、ポリポリポリ……。
口の中に広がる、慣れ親しんだ塩気とジャガイモの風味。
この異世界において、二十一世紀日本の化学調味料の味は、驚くほど強烈で、そして安心感をもたらしてくれた。
「……美味しい。生きてる感じがする」
カリカリ、カリカリ。
噛み砕く音が、静かな屋敷に響く。
一口食べるごとに、脳に糖分と塩分が行き渡り、思考がクリアになっていくのがわかった。
「よし。とりあえず、死ぬことはなさそう」
私はお茶で最後の一口を流し込み、パンパンと手を叩いて立ち上がった。
まずは、おばあちゃんが言っていた「蔵」とやらを確認しなくては。
一階の奥、先ほどの「実験室のような調理場」の隣に、重厚な扉があった。
鍵はかかっておらず、取っ手を引くと重々しい音を立てて開いた。
「……うわっ」
そこは、ひんやりとした天然の冷蔵庫のような空間だった。
壁際の棚には、長期保存ができそうな穀物の袋や、塩漬けの肉、見たこともない果物の瓶詰めが並んでいる。
そして部屋の隅、ひときわ目立つ装飾が施された木箱があった。
蓋を開けると、そこには――。
「……金貨?」
手のひらサイズの、ずっしりと重い金色のコイン。
それが、箱の中にざくざくと積み上げられていた。
おばあちゃん、生活費ってレベルじゃないよ、これ。一生遊んで暮らせるんじゃ……。
私は震える手で金貨を一、二枚掴み、ポケットに突っ込んだ。
これがあれば、街へ行って買い物もできる。
言葉が通じるかはわからないけれど、少なくとも餓死する心配は当分ない。
蔵を出て、私は改めて調理場を眺めた。
先ほどは驚きすぎてよく見えなかったけれど、作業台の横にある棚には、おばあちゃんが魔法薬を作っていたであろう名残があった。
「乾燥させたトカゲのしっぽ……じゃないよね、これ。ただの干し草かな?」
瓶の一つを手に取ってみると、それは少しだけバジルのような、爽やかな香りがした。
この屋敷は、おばあちゃんが長い時間をかけて「日本での暮らし」を再現しようとした努力の結晶なのだ。
竹の管から流れ出る水。
清潔な水洗トイレ。
心地よい五右衛門風呂。
どれもが、こちらの世界の技術と、おばあちゃんの魔法によって維持されている。
「おばあちゃん、ありがとう。私、なんとかやってみるよ」
私は誰もいない空間に向かって、小さく呟いた。
窓の外を見ると、空が紫色に染まり始めていた。
見たこともないほど大きな月が二つ、重なり合うようにして昇ってきている。
私は車をそのままにしておくわけにもいかないと思い、屋敷の横にある納屋へと車を移動させた。
軽自動車は驚くほどぴったりと納屋に収まり、まるであつらえたかのようだった。
その晩、私はおばあちゃんが用意してくれた、ふかふかの布団に潜り込んだ。
窓の外では風が木々を揺らし、時折、遠くで野獣の遠吠えのようなものが聞こえたけれど。
不思議と、怖くはなかった。
おばあちゃんの匂いがするこの家で、私は深い眠りに落ちていった。
明日。
まずは、あの地図を頼りに、街へ行ってみよう。
私の異世界生活は、まだ始まったばかりだ。
次回予告
おばあちゃんの隠し財産(金貨)を見つけて、ちょっと気が大きくなった私。 地図を片手に森を抜けたら、そこは本当に剣と魔法の世界だった! 初めて出会う異世界人、イケメン(?)商人ハンスさんの荷馬車に揺られ、私は街へと向かいます。
次回、「この世界で生きる決意」。 え、この世界の料理、……ちょっと味が薄くないですか!?
けれど、私の手の中にあるこの便箋は、間違いなく見覚えのあるものだった。
少し癖のある、でも丁寧で力強い筆跡。
三年前、病室で私の手を握って笑っていたおばあちゃんの文字だ。
私は震える手で、その手紙に目を落とした。
『親愛なる美里へ。
この手紙を読んでいるということは、あなたはあのトンネルを抜けて、こちら側の世界に来てしまったのね。 驚かせてしまってごめんなさい。でも、パニックになって窓から飛び降りたりしていないことを祈るわ。
美里。あなたは昔から、私とよく似ていた。 古いものが好きで、どこか浮世離れしたところがあって。 何より、あなたの魂には「異界を渡る種」が宿っていたの。
私もかつて、あなたと同じようにあちらの世界からこちらへやってきた「渡り人」でした。 こちらでの暮らしは、案外悪くないものよ。 水は綺麗だし、空気も美味しい。少しだけ、不便で不思議なこともあるけれど。
私がこの家を建てたのは、いつかあなたがこちらへ来た時に、困らないようにするためです。 一階にあるあの不思議な調理場や設備は、私が長い年月をかけて整えた、この世界の魔法とあちらの世界の知恵の結晶よ。
当面の間、生活に困らないだけの蓄えは一階の蔵に用意してあります。 家も、お金も、裏庭の畑も。すべてあなたの好きに使いなさい。
いずれ、また元の世界に戻れる時が来るはずです。 それまでは、ここで自由に、あなたらしく暮らしなさい。 おばあちゃんは、あなたが作る「美味しいもの」が大好きだったわ。
あなたの新しい人生に、幸多からんことを。
愛を込めて。 ――おばあちゃんより』
「……渡り人……魔法……?」
手紙を読み終えた私は、その場にへたり込んでしまった。
おばあちゃんが、異世界人。
しかも、私もその才能を受け継いでいるなんて。
ファンタジー小説やアニメの世界なら「やったー!」と喜ぶ場面かもしれないけれど、現実はそう甘くない。
私はただの、美味しいものが好きでインスタが趣味の、二十代後半の事務職OLなのだ。
「自由にって言われても……どうすればいいのよ」
誰もいない書斎に、私の声が虚しく響く。
けれど、不思議とおばあちゃんの手紙を読んだことで、心の奥底にあった激しいパニックは、凪のように静まっていた。
この屋敷から感じる圧倒的な「守られている感」は、おばあちゃんの愛情だったのだ。
ぐぅ。
その時、私の情けない腹の虫が鳴った。
そういえば、お墓参りに行こうとしてから、何も食べていない。
極限の緊張状態から解き放たれたせいか、急に猛烈な空腹が襲ってきた。
「……まずは、落ち着こう。おばあちゃんも言ってた。落ち着くには、まず食べることだって」
私はよろよろと立ち上がり、二階から一階へと降りた。
玄関を開けると、そこにはまだ私の愛車――空色の軽自動車が、異質な存在感を放ちながら止まっていた。
この森の中で、私の唯一の「元の世界」との繋がりだ。
私は車の助手席のドアを開け、後部座席に放り投げてあったレジ袋を掴んだ。
ドライブのお供に買っておいた、スナック菓子とペットボトルのお茶。
板の間に腰を下ろし、私は『じゃがりこ・サラダ味』のカップを開けた。
カリッ、ポリポリポリ……。
口の中に広がる、慣れ親しんだ塩気とジャガイモの風味。
この異世界において、二十一世紀日本の化学調味料の味は、驚くほど強烈で、そして安心感をもたらしてくれた。
「……美味しい。生きてる感じがする」
カリカリ、カリカリ。
噛み砕く音が、静かな屋敷に響く。
一口食べるごとに、脳に糖分と塩分が行き渡り、思考がクリアになっていくのがわかった。
「よし。とりあえず、死ぬことはなさそう」
私はお茶で最後の一口を流し込み、パンパンと手を叩いて立ち上がった。
まずは、おばあちゃんが言っていた「蔵」とやらを確認しなくては。
一階の奥、先ほどの「実験室のような調理場」の隣に、重厚な扉があった。
鍵はかかっておらず、取っ手を引くと重々しい音を立てて開いた。
「……うわっ」
そこは、ひんやりとした天然の冷蔵庫のような空間だった。
壁際の棚には、長期保存ができそうな穀物の袋や、塩漬けの肉、見たこともない果物の瓶詰めが並んでいる。
そして部屋の隅、ひときわ目立つ装飾が施された木箱があった。
蓋を開けると、そこには――。
「……金貨?」
手のひらサイズの、ずっしりと重い金色のコイン。
それが、箱の中にざくざくと積み上げられていた。
おばあちゃん、生活費ってレベルじゃないよ、これ。一生遊んで暮らせるんじゃ……。
私は震える手で金貨を一、二枚掴み、ポケットに突っ込んだ。
これがあれば、街へ行って買い物もできる。
言葉が通じるかはわからないけれど、少なくとも餓死する心配は当分ない。
蔵を出て、私は改めて調理場を眺めた。
先ほどは驚きすぎてよく見えなかったけれど、作業台の横にある棚には、おばあちゃんが魔法薬を作っていたであろう名残があった。
「乾燥させたトカゲのしっぽ……じゃないよね、これ。ただの干し草かな?」
瓶の一つを手に取ってみると、それは少しだけバジルのような、爽やかな香りがした。
この屋敷は、おばあちゃんが長い時間をかけて「日本での暮らし」を再現しようとした努力の結晶なのだ。
竹の管から流れ出る水。
清潔な水洗トイレ。
心地よい五右衛門風呂。
どれもが、こちらの世界の技術と、おばあちゃんの魔法によって維持されている。
「おばあちゃん、ありがとう。私、なんとかやってみるよ」
私は誰もいない空間に向かって、小さく呟いた。
窓の外を見ると、空が紫色に染まり始めていた。
見たこともないほど大きな月が二つ、重なり合うようにして昇ってきている。
私は車をそのままにしておくわけにもいかないと思い、屋敷の横にある納屋へと車を移動させた。
軽自動車は驚くほどぴったりと納屋に収まり、まるであつらえたかのようだった。
その晩、私はおばあちゃんが用意してくれた、ふかふかの布団に潜り込んだ。
窓の外では風が木々を揺らし、時折、遠くで野獣の遠吠えのようなものが聞こえたけれど。
不思議と、怖くはなかった。
おばあちゃんの匂いがするこの家で、私は深い眠りに落ちていった。
明日。
まずは、あの地図を頼りに、街へ行ってみよう。
私の異世界生活は、まだ始まったばかりだ。
次回予告
おばあちゃんの隠し財産(金貨)を見つけて、ちょっと気が大きくなった私。 地図を片手に森を抜けたら、そこは本当に剣と魔法の世界だった! 初めて出会う異世界人、イケメン(?)商人ハンスさんの荷馬車に揺られ、私は街へと向かいます。
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