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第二十話 味噌の力と守護者たち
醤油の瓶が泥水に変えられた、最悪の朝。
私は一階の廊下を抜け、これまであまり足を踏み入れていなかった蔵の最奥へと向かった。
「……確か、ここにあったはず」
埃を被った棚の影、おばあちゃんが厳重に封印していた大きな陶器の壺。
蓋を開けた瞬間、発酵食品特有の、力強くてどこか懐かしい香りが立ち上がった。
「……あった。お味噌だ」
それは、数年もの間じっくりと熟成されたであろう、深い褐色をした「八丁味噌」のような赤味噌だった。
醤油を汚した犯人は、私から「和の味」を奪ったつもりだろうけれど、日本人の知恵はそんなに底浅くない。
「エレンさん、今日からの作戦を変更するわ。お肉をこの『ミソ』で漬け込んで、香ばしく焼き上げるの。……お醤油がなくても、私たちは負けないわよ」
「ミソ……。また新しい調味料ですね。……美里様、その目、今朝の悲しみはもう消えたようですわね」
エレンさんが安心したように微笑む。
そう、泣いている暇はない。美味しいものを待ってくれている人たちがいるのだから。
本日の新メニュー:魔獣肉の味噌焼き
お昼時、店内に広がったのは、これまでとは違う重厚で芳醇な香りだった。
「……店主、準備はできてるか。今夜は俺たちが徹底的にやるからな」
やってきたガルスは、今朝事件を知った時の怒りを押し殺したような、低い声で言った。
店内にいる冒険者たちは皆、今朝の卑劣な侵入事件を知っている。彼らは一様に険しい表情で、武器の手入れをしたり、周囲を警戒したりしながら席に着いた。
「はい、お待たせ。ガルスさん、みんな。……これを食べて、精をつけて。今日は特別メニュー、『魔獣肉の味噌焼き定食』だよ」
ガルスが一口食べた瞬間、彼の目がカッと見開かれた。
「っ……!! なんだこれは、味が……濃い! なのに、肉の甘みが引き立ってやがる。この『ミソ』ってやつ、醤油とはまた違う破壊力だな……。これなら今夜、眠気なんて吹っ飛んじまうぜ!」
「醤油がなくても、私にはこれがあるから」
私が力強く笑うと、魔法使いのエリックが眼鏡を光らせて私を見た。
「……店主。その不屈の精神こそ、我々がこの店を愛する理由だ。……安心しろ、庭のさとう大根を荒らしたネズミには、相応の『お仕置き』を用意してある」
守護者たちの決意
その日の夜。
営業を終えた屋敷の周囲には、普段の静寂とは違う「緊張感」が漂っていた。
「よし、俺は正面を張る。エリック、あんたは裏口と魔力感知を頼む」
ガルスをはじめとする数人の冒険者たちが、夜通しの「張り込み」を買って出てくれたのだ。彼らにとって、ここはもはや単なる飲食店ではない。命を預け、心を休める「聖地」なのだ。
私は感謝の気持ちを込めて、夜警の彼らに差し入れを作った。
夜警の差し入れセット:
味噌焼きおにぎり: 表面に味噌を塗ってこんがり焼いた、香ばしさ満点の焼きおにぎり。
豚汁(とんじる): 余ったお肉と裏庭の根菜をたっぷり入れた、身体の芯から温まるスープ。
「……ふぅ。店主、あんたの作るものは、どうしてこう……沁みるんだろうな。腹の底から勇気が湧いてくる」
暗闇の中、豚汁の湯気を浴びながらガルスが呟く。
エレンさんとミナちゃんは一階の奥の部屋で、彼らの気配に守られながら安心して眠りについていた。
私は一人、今日の売上金を持って二階へ上がる。
階段の途中で振り返ると、一階の廊下でエレンさんが「お気をつけて」と一礼していた。結界のせいで彼女は上がれないけれど、その信頼の眼差しが心強い。
二階の書斎に入り、私はおばあちゃんの文机にある隠し棚に売上金を収めると、窓から庭に光るエリックの魔法の灯りを見つめた。
(……きっと、今夜また来る)
犯人は、醤油を台無しにしたことで勝利を確信しているはずだ。
けれど、お店からさらに美味そうな匂いが漂っていることを知れば、焦って正体を現すに違いない。
夜の森の奥、おばあちゃんの結界が微かに震えた。
誰かが、入ってきた。
次回予告
暗闇に紛れて忍び寄る、黒い影。 しかし、そこには最強の「飯の恩義」を感じる冒険者たちが待ち構えていた! 「……見つけたぜ、卑怯なネズミ野郎」 ついに捕らえた犯人の口から語られる、驚愕の黒幕とは!? そして美里は、あのおじいちゃん……いえ、陛下にある「大胆な相談」を持ちかける……。
次回、「罠にかかる盗人」。 陛下、ちょっとだけ、力を貸してくれませんか?
私は一階の廊下を抜け、これまであまり足を踏み入れていなかった蔵の最奥へと向かった。
「……確か、ここにあったはず」
埃を被った棚の影、おばあちゃんが厳重に封印していた大きな陶器の壺。
蓋を開けた瞬間、発酵食品特有の、力強くてどこか懐かしい香りが立ち上がった。
「……あった。お味噌だ」
それは、数年もの間じっくりと熟成されたであろう、深い褐色をした「八丁味噌」のような赤味噌だった。
醤油を汚した犯人は、私から「和の味」を奪ったつもりだろうけれど、日本人の知恵はそんなに底浅くない。
「エレンさん、今日からの作戦を変更するわ。お肉をこの『ミソ』で漬け込んで、香ばしく焼き上げるの。……お醤油がなくても、私たちは負けないわよ」
「ミソ……。また新しい調味料ですね。……美里様、その目、今朝の悲しみはもう消えたようですわね」
エレンさんが安心したように微笑む。
そう、泣いている暇はない。美味しいものを待ってくれている人たちがいるのだから。
本日の新メニュー:魔獣肉の味噌焼き
お昼時、店内に広がったのは、これまでとは違う重厚で芳醇な香りだった。
「……店主、準備はできてるか。今夜は俺たちが徹底的にやるからな」
やってきたガルスは、今朝事件を知った時の怒りを押し殺したような、低い声で言った。
店内にいる冒険者たちは皆、今朝の卑劣な侵入事件を知っている。彼らは一様に険しい表情で、武器の手入れをしたり、周囲を警戒したりしながら席に着いた。
「はい、お待たせ。ガルスさん、みんな。……これを食べて、精をつけて。今日は特別メニュー、『魔獣肉の味噌焼き定食』だよ」
ガルスが一口食べた瞬間、彼の目がカッと見開かれた。
「っ……!! なんだこれは、味が……濃い! なのに、肉の甘みが引き立ってやがる。この『ミソ』ってやつ、醤油とはまた違う破壊力だな……。これなら今夜、眠気なんて吹っ飛んじまうぜ!」
「醤油がなくても、私にはこれがあるから」
私が力強く笑うと、魔法使いのエリックが眼鏡を光らせて私を見た。
「……店主。その不屈の精神こそ、我々がこの店を愛する理由だ。……安心しろ、庭のさとう大根を荒らしたネズミには、相応の『お仕置き』を用意してある」
守護者たちの決意
その日の夜。
営業を終えた屋敷の周囲には、普段の静寂とは違う「緊張感」が漂っていた。
「よし、俺は正面を張る。エリック、あんたは裏口と魔力感知を頼む」
ガルスをはじめとする数人の冒険者たちが、夜通しの「張り込み」を買って出てくれたのだ。彼らにとって、ここはもはや単なる飲食店ではない。命を預け、心を休める「聖地」なのだ。
私は感謝の気持ちを込めて、夜警の彼らに差し入れを作った。
夜警の差し入れセット:
味噌焼きおにぎり: 表面に味噌を塗ってこんがり焼いた、香ばしさ満点の焼きおにぎり。
豚汁(とんじる): 余ったお肉と裏庭の根菜をたっぷり入れた、身体の芯から温まるスープ。
「……ふぅ。店主、あんたの作るものは、どうしてこう……沁みるんだろうな。腹の底から勇気が湧いてくる」
暗闇の中、豚汁の湯気を浴びながらガルスが呟く。
エレンさんとミナちゃんは一階の奥の部屋で、彼らの気配に守られながら安心して眠りについていた。
私は一人、今日の売上金を持って二階へ上がる。
階段の途中で振り返ると、一階の廊下でエレンさんが「お気をつけて」と一礼していた。結界のせいで彼女は上がれないけれど、その信頼の眼差しが心強い。
二階の書斎に入り、私はおばあちゃんの文机にある隠し棚に売上金を収めると、窓から庭に光るエリックの魔法の灯りを見つめた。
(……きっと、今夜また来る)
犯人は、醤油を台無しにしたことで勝利を確信しているはずだ。
けれど、お店からさらに美味そうな匂いが漂っていることを知れば、焦って正体を現すに違いない。
夜の森の奥、おばあちゃんの結界が微かに震えた。
誰かが、入ってきた。
次回予告
暗闇に紛れて忍び寄る、黒い影。 しかし、そこには最強の「飯の恩義」を感じる冒険者たちが待ち構えていた! 「……見つけたぜ、卑怯なネズミ野郎」 ついに捕らえた犯人の口から語られる、驚愕の黒幕とは!? そして美里は、あのおじいちゃん……いえ、陛下にある「大胆な相談」を持ちかける……。
次回、「罠にかかる盗人」。 陛下、ちょっとだけ、力を貸してくれませんか?
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