【完結】伊達騒動秘録 ~ 左近、影に潜む。友と猫が見た伊達の闇~

月影 流詩亜

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第三章:亀千代の危機

第二十五話:千代の行動

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 伊達屋敷をおおう一触即発の空気は、日増しに重く千代の心にのしかかっていた。

 夫である左近が、この騒動の渦中に身を投じていることは、もはや疑いようもなかった。
 夜ごと深まる彼の眉間のしわ、時折見せる虚空を睨むような鋭い眼差し、そして何よりも、彼がまとうようになった得体の知れない緊張感。
 それら全てが、千代の胸を締め付け、安らかな眠りを奪っていた。

(左近様……わたくしに何かできることはないのでしょうか……)

 夫の身を案じるあまり、食事ものどを通らない日が続く。
 しかし、左近の前では決してそんな素振りは見せず、いつもと変わらぬ笑顔で彼を支えることだけを心掛けていた。
 彼が「昼行灯」の仮面を被り続けるためには、自分がしっかりとしなければならない。 そう自分に言い聞かせる毎日だった。

 ある日の昼下がり、左近が珍しくまとまった時間、厨房の仕事で屋敷を離れることになった。
 千代は、夫が少しでも心安らげるようにと、彼の部屋の念入りな掃除を始めた。畳を拭き清め、文机の埃を払い、乱れた書物を整える。そんな些細なことでしか、今の自分は夫の力になれないのだという無力感が、彼女の胸をかすめる。

 ふと、文机の一番奥の引き出しが、僅かに開いているのに気づいた。
 いつもはきちんと閉まっているはずなのに。 何気なくそれを直そうとした千代の手が、引き出しの奥に隠すように置かれた古い帳面に触れた。
 それは、左近が時折何かを書きつけていた、あの帳面だった。

(これは……左近様の……)

 見るべきではない。 そう頭では理解していた。夫の秘密を暴くような真似はしたくない。
 しかし、彼を心配するあまり、そして何か少しでも彼の力になりたいという切なる思いが、千代の指を動かした。

 千代は、吸い寄せられるように、その帳面をそっと手に取った。
 帳面を開くと、そこにはびっしりと、左近の几帳面な筆跡で伊達家の家臣たちの名が書き連ねられていた。
 それぞれの名前の横には、所属する派閥を示すかのように赤や青の墨で印がつけられ、「要注意」「甲斐派」「兵部派」といった書き込みや、人物評のような短い記述も見える。中には、伊達亀千代毒殺未遂事件に関すると思われる記述や、原田甲斐、伊達兵部の名前も、ひときわ大きく記されていた。

 千代は、息を飲むほどの衝撃を受けた。
 これは、単なる料理人の覚え書きなどではない。伊達家の内情を探るための、詳細な調査記録そのものだった。
 夫が、これほどまでに深く、そして危険なことに関わっているという事実を改めて突きつけられ、全身の血の気が引くのを感じた。

 震える手で頁を繰っていくと、不意に、見慣れた名前が目に飛び込んできた。

「兄さん……?」

 そこには、兄である今川徳松の名前があった。
 そして、その名前の横には、他の家臣たちとは違う、特別な印がつけられている。さらに、左近の筆跡で、「猫」「情報源?」「純粋故、巻き込むべからず」といったような、短い言葉が添えられていた。

(兄さんまで……左近様の何かに…… ?
でも、「巻き込むべからず」…… ?)

 千代の心は、激しく揺れ動いた。
 兄が左近の活動に何らかの形で関わっている、あるいは関わる可能性があることを知り、兄の身の安全も案じられた。
 しかし同時に、左近が兄を「信頼できる」存在として認識しつつも、「巻き込みたくない」と案じていることに複雑な安堵と、そして自分だけが何も知らされず蚊帳の外に置かれているような、ほんの少しの寂しさを感じずにはいられなかった。

(左近様は、わたくしだけでなく、兄さんのことも守ろうとしていらっしゃるのね……)

 その事実は、夫への深い愛情と信頼を再確認させると同時に、左近の背負う秘密のあまりの重さに、千代の胸を押し潰さんばかりだった。
 自分は、こんなにも無力で、ただ夫の身を案じることしかできないのか。

 しばらくの間、千代はその場に立ち尽くしていた。 帳面を元の場所に戻すべきか、それともこのまま左近に問いただすべきか。
 しかし、問い詰めたところで、左近はきっと何も語ってはくれないだろう。
 そしてそれは、左近をさらに苦しめるだけかもしれない。

 やがて、千代は静かに帳面を閉じ、元の引き出しの奥へとそっと戻した。
 そして、何事もなかったかのように、部屋の掃除を再開した。
 千代は、何も見なかったことにしようと決めたのだ。 夫が自分に語ってくれるまでは、ただ黙って彼を信じ支え続ける。
 それが、今の自分にできる唯一のことなのだと。

 しかし、千代の心には新たな決意が芽生え始めていた。
 ただ待つだけでなく、自分にも何かできることがあるのではないか。
 夫や兄が巻き込まれているこの騒動の渦の中で、たとえ小さな力でも、彼らを守るために何かできることがあるはずだと。

 その思いは、まだ漠然ばくぜんとしたものだったが、千代の瞳の奥に、これまでにない強い光を灯らせ始めていた。

 伊達屋敷の闇は深く、夫の戦いは過酷だ。

 だが、自分は決して無力ではない。 そう信じたいと、千代は強く願った。

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