27 / 59
第三章:亀千代の危機
第二十六話:徳松の決意
しおりを挟む伊達屋敷に渦巻く不穏な空気は、日を追うごとにその濃度を増していた。
若君・伊達亀千代毒殺未遂事件は、下女お勝の「自害」という形で一応の幕引きが図られたものの、それが偽りの終結であることは誰の目にも明らかだった。
そして、徳松は、この息詰まるような状況の中で、親友である左近が、たった一人で何かとてつもなく危険なものと戦っていることを、痛いほど感じ取っていた。
以前にも増して左近の口数は減り、昼間の「昼行灯」ぶりとは裏腹に、ふとした瞬間に見せるその瞳には、深い疲労と獲物を追う猟犬のような鋭い光が宿っている。
夜中に部屋を抜け出すことも、もはや常態化しているようだった。
徳松は、左近が自分に何も語ろうとしないその意図を汲み、詮索することは避けていた。
しかし、ただ親友の身を案じ、無事を祈るだけの日々にもどかしさを感じずにはいられなかった。
(左近……お前は一体、何と戦っているんだ……。俺に何かできることはないのか……?)
あの日、左近に「何かあったら、俺もいる。いつでも声をかけてくれ」と伝えた言葉は、徳松の本心だった。
だが、左近は決して弱音を吐かず、徳松を頼ろうともしない。
それが左近の優しさであり、同時に彼が背負っているものの重さなのだと、徳松は理解していた。
(待っているだけでは駄目だ。 俺も、俺にできるやり方で、左近の力にならなければ……!)
ある朝、朝日が差し込む厨房裏で、いつものように猫たちに餌を与えながら徳松は固く決意した。
左近が何を探っているのか、具体的なことはわからない。
だが、この屋敷に渦巻く悪意の中心に、あの家老・原田甲斐がいることだけは、徳松にもおぼろげながら感じ取れていた。 ならば、そこを探る手助けができればいい。
徳松には左近のような知略もなければ、武術の心得もない。
しかし、徳松には誰にも真似できない特別な「仲間」がいた。
それは、屋敷内外を自由に行き来し、人間の目には映らないものを見、人間の耳には聞こえない音を聞くことができる、賢く、そして忠実な猫たちだった。
「ミー、トラ、チビ……みんな、聞いてくれ」
徳松は、集まってきた猫たち一匹一匹の目を真剣に見つめながら、心の中で語りかけた。
言葉ではなく、長年培ってきた絆と信頼を通じて、徳松の思いが猫たちに伝わることを信じて。
「俺の大事なダチが、今、すごく困っているんだ。 あいつを助けたい。
だから、お前たちの力を貸してほしい」
徳松は、懐から小さな布切れを取り出した。
それは、以前ミーが原田甲斐の屋敷から偶然運んできた、溝口主膳の着物の一部だった。
左近が興味を示していたのを、徳松は覚えていた。
「この匂いを覚えてくれ。 この匂いがする場所……原田様のお屋敷の周りや、甲斐様の一派の侍たちがよく出入りする場所で、何か変わったこと、おかしなものを見たり聞いたりしたら、どんな些細なことでもいい、俺に教えてほしいんだ」
猫たちは、まるで徳松の言葉を理解したかのように、彼の顔をじっと見つめ、あるものは喉を鳴らし、あるものは彼の手にそっと頭を擦り付けた。
徳松は、それぞれの猫の首輪に、ごく小さく刻んだ目印の木札を結びつけた。それは、猫たちが持ち帰る情報が、どの場所からもたらされたものか、後で判別するための工夫だった。
その日から、徳松の密かな情報収集が始まった。猫たちは、徳松の願いに応えるかのように、これまで以上に広範囲を駆け巡り、様々な「お土産」を彼の元へ運んでくるようになった。
それは、時には泥に汚れた反故紙の切れ端であり、時には見慣れぬ草の種であり、またある時は、誰かが落としたと思われる小さな金属片だった。
徳松は、それらの「お土産」一つ一つを丹念に調べ、日付や発見場所(猫の首輪の目印から推測した)と共に、帳面に丁寧に記録していった。
ほとんどは取るに足りないガラクタだったが、中には、墨で書かれた文字の断片や、嗅ぎ慣れない薬草の匂いがするもの、あるいは特定の家紋が微かに見て取れるものなど、気になるものもいくつか混じっていた。
徳松は、これらの情報が直接的に何を意味するのか、すぐには理解できなかった。
しかし、いつか左近がこれらの情報を必要とする時が来るかもしれない。
その日のために、徳松は地道な努力を続けることを心に誓った。
左近に直接告げることなく、陰ながら彼を支える。 それが、今の自分にできる精一杯の友情の形だと信じて。
夕暮れ時、伊達屋敷の屋根の上で、一匹の黒猫がじっと眼下の通りを眺めている。
その首輪には、徳松が結んだ小さな木札が揺れていた。 猫の琥珀色の瞳は、闇に紛れて原田甲斐の屋敷へと吸い込まれていく、いくつかの不審な人影を、静かに捉えていた。
徳松の純粋な思いと、猫たちとの深い絆が生み出す小さな情報の断片。
それらが、やがて伊達家の闇を照らし出す一条の光となるのか、それとも……。
いずれにせよ、徳松のささやかな決意と行動は、確実に物語の歯車を、新たな方向へと回し始めていた。
12
あなたにおすすめの小説
剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末
松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰
第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。
本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。
2025年11月28書籍刊行。
なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。
【読者賞】江戸の飯屋『やわらぎ亭』〜元武家娘が一膳でほぐす人と心〜
旅する書斎(☆ほしい)
歴史・時代
【第11回歴史・時代小説大賞 読者賞(読者投票1位)受賞】
文化文政の江戸・深川。
人知れず佇む一軒の飯屋――『やわらぎ亭』。
暖簾を掲げるのは、元武家の娘・おし乃。
家も家族も失い、父の形見の包丁一つで町に飛び込んだ彼女は、
「旨い飯で人の心をほどく」を信条に、今日も竈に火を入れる。
常連は、職人、火消し、子どもたち、そして──町奉行・遠山金四郎!?
変装してまで通い詰めるその理由は、一膳に込められた想いと味。
鯛茶漬け、芋がらの煮物、あんこう鍋……
その料理の奥に、江戸の暮らしと誇りが宿る。
涙も笑いも、湯気とともに立ち上る。
これは、舌と心を温める、江戸人情グルメ劇。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
神典日月神示 真実の物語
蔵屋
歴史・時代
私は二人の方々の神憑りについて、今から25年前にその真実を知りました。
この方たちのお名前は
大本開祖•出口なお(でぐちなお)、
神典研究家で画家でもあった岡本天明(おかもとてんめい)です。
この日月神示(ひつきしんじ)または日尽神示(ひつくしんじ)は、神典研究家で画家でもあった岡本天明(おかもとてんめい)に「国常立尊(国之常立神)という高級神霊からの神示を自動書記によって記述したとされる書物のことです。
昭和19年から27年(昭和23・26年も無し)に一連の神示が降り、6年後の昭和33、34年に補巻とする1巻、さらに2年後に8巻の神示が降りたとされています。
その神示を纏めた書類です。
私はこの日月神示(ひつきしんじ)に出会い、研究し始めてもう25年になります。
日月神示が降ろされた場所は麻賀多神社(まかたじんじゃ)です。日月神示の最初の第一帖と第二帖は第二次世界大戦中の昭和19年6月10日に、この神社の社務所で岡本天明が神憑りに合い自動書記さされたのです。
殆どが漢数字、独特の記号、若干のかな文字が混じった文体で構成され、抽象的な絵のみで書記されている「巻」もあります。
本巻38巻と補巻1巻の計39巻が既に発表されているが、他にも、神霊より発表を禁じられている「巻」が13巻あり、天明はこの未発表のものについて昭和36年に「或る時期が来れば発表を許されるものか、許されないのか、現在の所では不明であります」と語っています。
日月神示は、その難解さから、書記した天明自身も当初は、ほとんど読むことが出来なかったが、仲間の神典研究家や霊能者達の協力などで少しずつ解読が進み、天明亡き後も妻である岡本三典(1917年〈大正6年〉11月9日 ~2009年〈平成21年〉6月23日)の努力により、現在では一部を除きかなりの部分が解読されたと言われているます。しかし、一方では神示の中に「この筆示は8通りに読めるのであるぞ」と書かれていることもあり、解読法の一つに成功したという認識が関係者の間では一般的です。
そのために、仮訳という副題を添えての発表もありました。
なお、原文を解読して漢字仮名交じり文に書き直されたものは、特に「ひふみ神示」または「一二三神示」と呼ばれています。
縄文人の祝詞に「ひふみ祝詞(のりと)」という祝詞の歌があります。
日月神示はその登場以来、関係者や一部専門家を除きほとんど知られていなかったが、1990年代の初め頃より神典研究家で翻訳家の中矢伸一の著作などにより広く一般にも知られるようになってきたと言われています。
この小説は真実の物語です。
「神典日月神示(しんてんひつきしんじ)真実の物語」
どうぞ、お楽しみ下さい。
『神知りて 人の幸せ 願うのみ
神のつたへし 愛善の道』
歌人 蔵屋日唱
お茶をしましょう、若菜さん。〜強面自衛官、スイーツと君の笑顔を守ります〜
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
陸上自衛隊衛生科所属の安達四季陸曹長は、見た目がどうもヤのつく人ににていて怖い。
「だって顔に大きな傷があるんだもん!」
体力徽章もレンジャー徽章も持った看護官は、鬼神のように荒野を走る。
実は怖いのは顔だけで、本当はとても優しくて怒鳴ったりイライラしたりしない自衛官。
寺の住職になった方が良いのでは?そう思うくらいに懐が大きく、上官からも部下からも慕われ頼りにされている。
スイーツ大好き、奥さん大好きな安達陸曹長の若かりし日々を振り返るお話です。
※フィクションです。
※カクヨム、小説家になろうにも公開しています。
スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜
かの
ファンタジー
世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。
スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。
偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。
スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!
冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!
おっさん料理人と押しかけ弟子達のまったり田舎ライフ
双葉 鳴
ファンタジー
真面目だけが取り柄の料理人、本宝治洋一。
彼は能力の低さから不当な労働を強いられていた。
そんな彼を救い出してくれたのが友人の藤本要。
洋一は要と一緒に現代ダンジョンで気ままなセカンドライフを始めたのだが……気がつけば森の中。
さっきまで一緒に居た要の行方も知れず、洋一は途方に暮れた……のも束の間。腹が減っては戦はできぬ。
持ち前のサバイバル能力で見敵必殺!
赤い毛皮の大きなクマを非常食に、洋一はいつもの要領で食事の準備を始めたのだった。
そこで見慣れぬ騎士姿の少女を助けたことから洋一は面倒ごとに巻き込まれていく事になる。
人々との出会い。
そして貴族や平民との格差社会。
ファンタジーな世界観に飛び交う魔法。
牙を剥く魔獣を美味しく料理して食べる男とその弟子達の田舎での生活。
うるさい権力者達とは争わず、田舎でのんびりとした時間を過ごしたい!
そんな人のための物語。
5/6_18:00完結!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる