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第四章:騒動渦中
第三十話:黒幕の存在
しおりを挟む原田甲斐派による弾圧の嵐が吹き荒れる伊達家江戸屋敷。
その凄惨な状況を目の当たりにし、左近は甲斐の非道な手口を記録し続ける一方で、ある大きな疑問に突き当たっていた。
一介の家老である原田甲斐が、これほどまでに周到かつ大胆に、そして幕府の目をも恐れぬかのような行動を取り続けられるものだろうかと。
若君・伊達亀千代毒殺未遂という大罪を企て、それが失敗するや下女一人に罪をなすりつけて口を封じる。
反対派の家臣たちを脅迫し、買収し、時には力でねじ伏せる。
その手際の良さ、情報網の広さ、そして何よりも潤沢と思われる資金力。
これらは、甲斐一人の才覚と権力だけで成し遂げられるものとは、到底思えなかった。
(まるで、誰か大きな後ろ盾でもいて、その意のままに動いているかのようだわ……。
甲斐様は、ただの操り人形なのかもしれない……)
左近の脳裏に、そんな恐ろしい推測が浮かび上がってきた。
もし甲斐の背後に、彼を操り、伊達家乗っ取りを画策するさらに巨大な黒幕がいるとしたら……
それは、幕府内部の権力者か、あるいは仙台藩そのものを内側から切り崩そうとする別の有力者か。
いずれにせよ、相手はこれまで以上に手強く、そして底知れぬ闇を秘めているに違いなかった。
この新たな疑念を確かめるべく、そしてこれまでの調査結果を報告するため、左近は幕府の上役である了然との接触を試みた。
いつものように深夜、薬種問屋を訪ねたが、店の主人は「了然様はここ数日お見えになっていない」と首を振るばかり。
別の連絡経路を試みても、梨の礫だった。
まるで、了然という存在そのものが、この世から掻き消えてしまったかのように、彼からの指示や情報は完全に途絶えてしまったのだ。
(了然様にも、何かが…… ?
それとも、わたくしは見捨てられたのかしら…… ?)
左近の胸に、冷たい不安と焦りが広がった。
頼りにしていた組織からの支援が絶たれたとなれば、自分は完全に孤立無援となる。
原田甲斐という強大な敵に加え、その背後に潜むかもしれない、さらに巨大な黒幕。
それら全てに、たった一人で立ち向かわなければならないという現実は、さすがの左近にも重くのしかかった。
一瞬、深い孤独感と無力感に襲われ、全てを投げ出してしまいたいという衝動に駆られる。
昼行灯の料理人として、千代や徳松と共に、ただ穏やかに暮らしていけるのなら、どれほど楽だろうか。
しかし、左近の脳裏には、理不尽な権力によって踏みにじられた亡き父の無念、そして守れなかった藩の者たちの涙が、鮮明に蘇ってきた。
(いいえ、だめよ……わたくしが諦めたら、誰があの者たちの無念を晴らすというの……。
そして、千代ちゃんや徳さんを、この伊達家の騒動に巻き込むわけにはいかない…… !)
左近は、固く拳を握りしめた。
たとえ孤立無援であろうとも、この戦いから降りるわけにはいかない。
父の仇を討つという個人的な念は、いつしか、より大きな悪を正し弱き者を守りたいという、密偵としての使命感へと昇華していた。
了然からの連絡が途絶えた理由はわからない。
だが、今はそれを詮索している暇はない。
自分にできることは、ただ一つ。
自らの五感を研ぎ澄まし、知略の限りを尽くし、この伊達家に巣食う闇の正体を暴き出すことだ。
そして、その最優先事項は、原田甲斐の背後にいるであろう黒幕の尻尾を掴むこと。
それこそが、この泥沼のような権力闘争に終止符を打つ唯一の道なのかもしれない。
夜が明け、左近はいつものように厨房に立った。 同僚たちの疑心暗鬼の視線、甲斐派の者たちからの執拗な嫌がらせ。
それら全てを、「昼行灯」の仮面で受け流しながら、左近の思考は既に次なる一手へと向かっていた。 黒幕は誰なのか。 その目的は何なのか。
そして、自分はいかにしてその懐へと忍び込むのか……
左近の孤独な戦いは、新たな局面を迎えていた。
目の前に広がる闇は以前にも増して深く、そして広大に見えた。
しかし、左近の瞳の奥には、絶望の色ではなく、むしろ困難な状況であればあるほど燃え上がる、不退転の決意の光が静かに、だが力強く宿っていた。
伊達家の運命は、そして彼自身の運命は、この一人の密偵の双肩にかかっているのかもしれなかった。
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