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第四章:騒動渦中
第二十九話:甲斐派の弾圧
しおりを挟む伊達安芸(宗重)の江戸到着が数日後に迫る中、原田甲斐の焦りは頂点に達しつつあった。
評定の場で安芸に正面から非道を糾弾されれば、いくら幕閣に手を回していようとも、自らの立場が危うくなることは必定。
甲斐は、もはや手段を選んでいられなかった。
「よいか、者ども。安芸に与する可能性のある者、あるいは兵部派に与して我らに歯向かう愚か者どもは、徹底的に叩き潰せ。
評定の前に、奴らの戦意を根こそぎ奪い取るのだ。
脅し、買収、それでも駄目なら力でねじ伏せよ。だが、決して表沙汰になるような下手は打つな。あくまで、奴らが勝手に転んだかのように見せかけるのだ ! 」
甲斐の私室に集められた腹心たち……溝口主膳を筆頭とする、汚れ仕事も厭わぬ者たちに向けられたその言葉は、もはや家老としての威厳ではなく、追い詰められた獣のような獰猛さを帯びていた。
その日を境に、伊達家江戸屋敷は、まさに恐怖政治の様相を呈し始めた。
まず、兵部派の家臣の一人が、夜道で何者かに襲われ、深手を負わされた。
幸い命に別状はなかったが、その枕元には「これ以上の深入りは身のためにならぬ」と脅迫めいた文が残されていたという。
犯人は杳として知れず、夜盗の仕業ということにされたが、そのタイミングから誰もが甲斐派の仕業だと噂した。
次に、伊達安芸に書状を送り、江戸での協力を申し出たとされる中堅の武士が、突如として甲斐派への鞍替えを表明した。
その裏では、彼の国元に残してきた妻子に危害を加えるという、卑劣な脅しがあったと囁かれた。
彼は人前では甲斐を称賛し、安芸のやり方を批判したが、その顔は青ざめ、生気のない抜け殻のようだったという。
買収に応じない清廉潔白な小役人には、過去の些細な落ち度を針小棒大に言い立てられ、あらぬ罪を着せられて謹慎処分となる者も出た。
屋敷内には密告が奨励され、昨日の友が今日の敵となるやもしれぬという疑心暗鬼が蔓延し、家臣たちは甲斐の顔色を窺い、口を噤むようになった。
自由な言論は封殺され、屋敷全体が重苦しい沈黙と恐怖に支配されていった。
左近は、この陰湿な弾圧の嵐が吹き荒れる様を、厨房という比較的安全な場所から、身を切られるような思いで見つめていた。
左近の耳には、被害に遭った者たちの悲痛な叫びや、その家族たちの嘆きが嫌でも入ってくる。
「あらぁ、お気の毒にぃ……。
旦那様、お怪我の具合はいかがですの ?
わたくし、何かお見舞いでも……」
左近は、「昼行灯」の仮面を被り、おネエ言葉で被害者の家族に近づき、心から同情するような素振りを見せた。
警戒心を解いた彼らから、弾圧の具体的な手口や、脅迫の文面、犯人たちの人相風体など、貴重な情報を少しずつ、だが確実に集めていく。
夜、自室に戻った左近は、行灯の僅かな光を頼りに、それらの情報を小さな帳面に克明に記録していった。
日付、被害者名、弾圧の手口、そして甲斐派の関与を示すと思われる状況証拠。
それは、原田甲斐という男の非道さと、伊達家を蝕む病巣の深さを物語る血塗られた記録だった。
いつか、この記録が甲斐の罪を白日の下に晒すための強力な武器となることを信じて。
しかし、目の前で繰り広げられる非道に対し、直接手を下せないもどかしさは左近の心を苛んだ。
今ここで自分が動けば、甲斐に格好の口実を与え、せっかく集めた証拠もろとも闇に葬り去られる危険性がある。 今は耐える時。
怒りや義憤を心の奥底に押し込め、冷静に状況を見極め、反撃の機会を待つしかない。
だが、その忍耐は左近の魂を少しずつ削り取っていくかのようだった。
「左近様……また、眠れないのですか…… ?」
隣で寝息を立てていたはずの千代が、そっと声をかけてきた。
彼女もまた、屋敷の不穏な空気に心を痛め、夫の身を案じているのだ。
「……ああ、少しね。 なんだか、嫌な夢ばかり見るのよぉ」
左近は努めて明るい声で答えたが、その声は微かに震えていた。
千代は何も言わず、そっと左近の手に自分の手を重ねた。
その温もりが左近の荒れすさんだ心に、わずかな慰めを与えてくれる。
伊達安芸の江戸到着は、目前に迫っていた。
しかし、彼が到着したところで、この恐怖に支配された屋敷の中で、果たしてどれだけの者が彼に味方し、真実を証言することができるだろうか。
原田甲斐の弾圧は、評定を前に反対派の芽を徹底的に摘み取り、その力を削ごうという、周到な計算に基づいていた。
伊達家の運命は、まさに風前の灯火だった。
左近は、この絶望的な状況の中で、なおも希望を捨てず、反撃の糸口を探し続ける。
左近の孤独な戦いは、伊達騒動という巨大な渦の中心へと否応なく引きずり込まれていくのだった。
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