最後のページをめくるまで、君の正体に気づかない

月影 流詩亜

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第2話 交わらないはずのふたりと📖共有される物語

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​ あの日から一週間。私のサンクチュアリである図書館の隅は、もはや私一人のものではなくなっていた。

​「……」

「……」

​ 斜め向かいの席には、今日も当たり前のように葛城歩が座っている。

 無言で本を開く私の視界の端で、彼もまた持参した本に視線を落としている。

​(皆勤賞か! 図書委員より出席率ええやんけ! なんで毎日ここに来んねん、友達多いやろ君は! グラウンドでサッカーでもして爽やかな汗流してこいや!)

​ 脳内ではメガホンを持って叫んでいる私だが、表面上は涼しい顔でページをめくる。
 最初はすぐに飽きて来なくなるだろうと思っていた。しかし葛城くんは、私が図書室に着いてから五分後くらいにふらりと現れ、チャイムが鳴るまで静かに本を読んで帰っていく。
  ウザ絡みしてくるわけでもなく、ただそこに「いる」のだ。

​(……まあ、静かにしとる分にはええけど)

​ 少しだけ毒気を抜かれた私が、こっそりスマホを取り出してカクヨムを開こうとした時だった。
 葛城くんが机に置いた本の表紙が、ふと目に飛び込んできた。

​(……ん?)

​ 一瞬、自分の目を疑った。

 彼が読んでいるのは、色褪せたレンガ調の装丁が特徴的な『時計塔の観測者』という海外の翻訳ミステリーだった。知る人ぞ知る、かなりマニアックな作品だ。

​(嘘やろ……なんでそのチョイス!? 偶然にも程があるで!)

​ 激しく動揺するのには理由があった。
 昨晩、私はカクヨムの『近況ノート』を更新し、「最近読んだ中で一番の傑作。騙されたと思って読んでみてほしい」と、この本を長文で激推ししたのだ。
 そして、それに一番早く反応してくれたのが、他ならぬ将棋さんだった。

​『シオリンさんがそこまで仰るなら間違いありませんね。明日、本屋で探してさっそく読んでみます』

​ そんなやり取りをした翌日に、クラスメイトの男子が同じ本を持って現れたのだ。

​(いやいや、ただの偶然や。昨日テレビで紹介でもされたんやろ、知らんけど!)

​ 必死に自分に言い聞かせていると、不意に葛城くんが顔を上げた。

​「……如月さん。ちょっと、聞いてもいい?」

「……なに」

「この本なんだけどさ。如月さんなら知ってるかなって思って。登場人物の会話が急に噛み合わなくなるんだけど、これって翻訳のせい? 俺の読解力がないだけ?」

​ 彼は困ったように眉を下げて、本を私のほうへ少し押し出した。

​(翻訳のせいちゃうわ! そこが最大の伏線なんや!)

​ 本のことになると、どうにも自分を抑えきれなくなるのが私の悪い癖だ。
 私は咳払いを一つして、普段の三倍くらい早口で喋り始めてしまった。

​「……翻訳のせいじゃない。それは第三章から視点人物が巧妙に入れ替わってるから。一見同じ時間軸に見えるけど、実は三日前の出来事が混ざってる。だから噛み合わないように感じるだけで、そのまま読み進めれば第七章で全部のピースが綺麗にハマるから」

​ 一気に言い終えてから、ハッと我に返る。

 やってしまった。ただでさえ口数が少ない「図書室の住人」が、急にオタク特有の早口で語り出してしまった。絶対に引かれた。

​ 恐る恐る葛城くんの顔を窺うと、彼は目を丸くしたあと、ふわりと柔らかく微笑んだ。

​「そっか。なるほど、すげえスッキリした。ありがとう、如月さん」

「……別に。ただのネタバレ一歩手前だし」

「ううん。如月さんの説明、すごく分かりやすいよ」

​ 葛城くんは感心したように本と私を交互に見比べ、それから、独り言のようにぽつりと呟いた。

​「実はさ。ネットで、俺が一番尊敬してる人も、同じこと言ってたんだよね」

「……えっ?」

「『途中で違和感があっても、第七章まで絶対に読むのをやめないでください』って。如月さん、その人と同じくらい説得力あるわ」

​ ドクン、と心臓が肋骨を内側から強く叩いた。

​(……『第七章まで絶対に読むのをやめないでください』)

​ それは昨晩、私が近況ノートの最後に、強調して書いた一文と、全く同じ言葉だった。

​ 目の前に座る、気さくで少し本を読むのが遅いクラスメイト。

 画面の向こうで、いつも私の言葉を誰よりも深く理解してくれる大切な読者。

​ 交わるはずのない二つの影が、私の頭の中で、唐突に重なり合った。

​「……葛城くんって」

「ん?」

​ 尋ねようとした言葉は、予鈴の冷たいチャイムの音にかき消された。

 葛城くんは「あ、やば。戻らなきゃ」と立ち上がり、本を大事そうに鞄にしまう。

​「続き、明日またここで読むよ。如月さん、また解説よろしくね」

​ ひらひらと手を振って、彼は図書室を出ていく。

 取り残された図書館の隅で、私は自分の胸の奥が、今まで感じたことのない早鐘を打っているのを自覚していた。

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