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最終話 最後のページと📖窓辺の光
しおりを挟む 放課後の図書室は、昼休みとは全く違う顔を持っている。
部活動の喧騒は遠くグラウンドから微かに響く程度で、室内はシンと静まり返っていた。
いつもの図書館の隅。
斜め向かいの席には、宣言通り居残った葛城くんが座っている。彼の手元にある『時計塔の観測者』は、もう右手の指でつまめるほどの厚さしか残っていない。
(……心臓が、うるさい)
私は自分の本を開いたまま、活字の羅列をただ目でなぞっていた。内容は一文字も頭に入ってこない。
視界の端で、葛城くんの指がゆっくりと紙の端を掴む。
ペラリと、かすかな衣擦れのような音を立てて、彼がついに最後のページをめくった。
その瞬間、私は息をするのも忘れて彼を見つめた。
葛城くんの視線が、最後の数行をゆっくりと、噛み締めるように追っていく。そして、パタンと静かに本を閉じた。
長く、深い感嘆の溜息が漏れる。
西日が差し込む時間帯だった。オレンジ色に染まった窓辺の光が、本を閉じたばかりの彼の横顔を柔らかく照らし出している。
謎がすべて解き明かされたあとの、どこか切なくも満ち足りたような、美しい表情。
私は、その横顔から目を逸らすことができなかった。
「……すごい結末だった」
ポツリと、葛城くんが呟いた。
まるで、広大な物語の世界から、現実へとゆっくり帰還してくるような声だった。
彼は静かに本を机に置くと、おもむろにポケットからスマホを取り出した。
そして、画面をじっと見つめながら、慣れた手つきで猛烈な勢いでフリック入力を始めだした。
(……えっ、まさか)
私の鼓動が、さらに早鐘を打つ。
彼の指先が紡ぎ出している言葉は、きっと……。
数分間、静寂の図書室に彼の指が画面を叩く微かなタップ音だけが響いていた。
やがて……トン、と最後に一つ力強く画面をタップすると、彼は深く息を吐き出してスマホを机に置いた。
そして、昂る熱をどうしても抑えきれないというように、誰にともなく口を開いた。
「全部の伏線が、最後に綺麗な一枚の絵になるみたいで……。この最後のページ、一行目の余韻がすごく良いね」
ブブッ。
その言葉とほぼ同時に、机の下に隠していた私のスマホが、短く震えた。
カクヨムの通知画面。そこには、数分前に更新されたばかりの私の近況ノートに対する、一通のコメントが光っていた。
『……先ほど読了しました。この最後のページ、一行目の余韻がたまらないですね』
送信者は、『歩のない将棋は負け将棋』
(……もう、限界や)
今まで必死に被っていた「無口でクールな図書室の住人」という仮面が、音を立ててひび割れていく。
気づけば私は、自分の意志で、真っ直ぐに彼を見据えて口を開いていた。
「……せやろ」
「えっ?」
突然の関西弁に、葛城くんが目を丸くする。
私の声は、少しだけ震えていた。でも、心の中でずっと叫び続けていた熱量は、そのまま声に乗っていた。
「だから、最初から最後まで一文字も読み飛ばせへんねん。あの作者は、そういう緻密な罠を仕掛ける天才なんやから」
「き、如月さん……? 今、なんか口調が……」
戸惑う彼に向かって、私は机の上に置いていたスマホを裏返し、カクヨムの画面を見せた。
「葛城くん。あんた、もしかして……」
私は一つ深呼吸をして、彼の名前を呼んだ。
「『歩のない将棋』、さん?」
◇◇◇
「……はっ?」
葛城くんの動きが、完全にフリーズした。
彼と私の間にあるスマホの画面には、私のペンネームである『シオリン』のマイページが表示されている。
数秒間の沈黙のあと、彼の顔がカッと林檎のように赤く染まった。
「う、嘘だろ……。じゃあ、いつも俺が熱苦しい長文感想を送ってるあの神作者……如月さんだったの!?」
「神作者とか言うな、こっぱずかしい!」
「えええ!? 如月さんって、そんなキレッキレの関西弁キャラだったの!? 図書室のクールビューティーじゃなかったの!?」
「うるさいアホ! 表に出してへんかっただけや! あんたこそ、毎日図書室に来てうちの領域侵犯しとったやんか!」
二人して立ち上がり、顔を真っ赤にして指を差し合う。
数秒後……どちらからともなく、吹き出していた。
「あははっ! なんだそれ、全然歩のない将棋やないやん! めちゃくちゃフットワーク軽いやんか!」
「如月さんこそ、全然シオリンって柄じゃないじゃん! 脳内ツッコミ激しすぎ!」
誰もいない放課後の図書室に、二人の笑い声が響き渡る。
私と彼の間にあった、分厚くて透明な壁は、もうどこにもなかった。
「……でも、そっか。俺の言葉、ちゃんと如月さんに届いてたんだね」
笑い収まったあと、葛城くんが窓辺の光に照らされながら、ふわりと笑った。
あの、画面の向こうからずっと私を支えてくれていた、優しい『将棋さん』の気配がそこにあった。
「……当たり前やん。あんたの言葉があったから、うち、今日まで書き続けられたんやで」
照れ隠しで顔を背けながら言うと、葛城くんは私の斜め向かいの席に、再びどっかりと腰を下ろした。
「じゃあ、これからも俺の特等席はここだな。シオリン先生の次回作のプロット、俺も一緒に考えさせてもらっていい?」
「……しゃあないな。読者代表として、特別に許可したるわ」
本と画面の中だけで生きていた私に、初めてできた「現実」の相棒。
ただ一人で過ごすためだけの場所だった『図書館の隅』は、これからは二人で物語を紡ぐための、世界で一番大切な指定席になった。
──終 ──
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