【バレンタインデー記念】ビター・チョコレート・アンサンブル ~傷跡とリボン、そして甘い約束 ~

月影 流詩亜

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第4話 一番高価な材料は「勇気」

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【 視点:青山 詩乃 】


​ 奏太くんの言葉は、冷え切った広場の空気を一変させたようだった。
 私の隣で、彼は私を守るように立っている。その手は温かく、力強い。
​ けれど、目の前の逢坂 貴子さんは、信じられないものを見るような目で私を睨みつけていた。

 プライドを傷つけられた女王の顔。

 その唇がわななき、鋭い言葉が飛び出した。

​「尊敬……? 本気で言ってるの?」

​ 貴子さんは嘲笑うように鼻を鳴らした。

​「目を覚ましなさいよ、奏太くん。その子はただのお荷物よ。
 一人じゃ何もできない、嫌なことがあるとすぐぬいぐるみに逃げる、幼稚で弱い子じゃない。
 そんな子が、将来有望なあなたの隣にいていいわけがないわ。私が守ってあげなきゃ、あなたは共倒れよ」

​ 守ってあげる。

 その言葉は、かつて私が一番欲しかったものだった。

 でも、今は違う。

​ 奏太くんが言い返そうとして、口を開きかけた。
 その瞬間、私は彼の手をギュッと握り返した。

​「……待って、奏太くん」

​ 私は小さく首を横に振った。
 奏太くんは驚いたように私を見たけれど、私の目を見て、何かを察してくれたのか、静かに口を閉ざした。
​ これは、私の戦いだ。
 彼に守ってもらうばかりじゃ、貴子さんの言う通り「お荷物」のままだ。
 私はもう、ただ守られるだけの女の子じゃない。
​ カバンの中には、ミケはいない。
 でも、今朝、部屋を出る時にミケと交わした約束が、胸の奥で熱く脈打っている。

​ 『私、頑張るから』

​ 私は大きく息を吸い込み、一歩前へ出た。
 奏太くんの背中から離れ、貴子さんと正面から向き合う。
 足は震えている。喉もカラカラだ。
 それでも、私は逃げなかった。

​「逢坂さん」

​ 私の声は、少し裏返ってしまった。
 羽田さんたちがクスクスと笑う声が聞こえる。
 でも、私は視線を逸らさなかった。

​「逢坂さんの言う通りです。私は……弱いです」

​ 貴子さんが意外そうに眉をひそめる。

​「不器用だし、勉強も奏太くんみたいにできないし、すぐにくよくよします。
 このチョコレートだって……」

​ 私はカバンから、百円ショップの袋に入った『肉球チョコ』を取り出した。
 貴子さんの持っている高級ブランドの紙袋と並べると、それはあまりにも頼りなく、貧相に見えた。

​「お店で売っているものみたいに、綺麗じゃありません。
 形も悪いし、リボンだって歪んでます。
 逢坂さんの『ルビー・ロワイヤル』とは比べものにならない、失敗作に見えるかもしれません」

​「だったら……」

​「でも!」

​ 貴子さんの言葉を遮り、私は声を張り上げた。

​「でも、これは私が奏太くんのことだけを考えて作ったものです。
 甘いのが苦手な彼のためにビターチョコを選んで、彼が好きな猫の形にして……何回も失敗して、やっとできた一つなんです」

​ 袋の中の、歪な肉球チョコ。

 それは不格好だけれど、私の時間の結晶だ。
 私の想いの形だ。

​「お金を出せば買える『本物』より、私は自分の手で作ったこの『不格好』を信じたい。
 今の私にできる、精一杯の気持ちだから」

​ 貴子さんは言葉を失ったように口を開けたまま、私を見つめていた。
 かつて教室の隅で泣いていた「弱虫の詩乃」の面影を、必死に探しているようだった。
​ でも、私はもう泣いていない。

​「それに、私が奏太くんにふさわしいかどうかを決めるのは、逢坂さんじゃありません」

​ 私は隣にいる奏太くんを見上げた。
 彼は、優しく、誇らしげな笑顔で私を見守ってくれている。
 その眼差しが、私に無限の勇気をくれた。

​「それを決めるのは、奏太くんです。
 そして、そんな彼に選んでもらえた自分のことを、私は信じたいんです。
 誰に何と言われても、私は奏太くんが大好きです。この気持ちだけは、どんな高級なチョコにも負けません」

​ 言い切った瞬間、心臓が爆発しそうだった。

 こんなにはっきりと、人前で自分の気持ちを言ったのは初めてだった。

​ 広場の喧騒が、遠くに聞こえる。

 私の前で、貴子さんは立ち尽くしていた。

​ 彼女の手にある、黒と金の豪華な紙袋。

 それは確かに高価で美しいけれど、今の私には、ただの「モノ」にしか見えなかった。
 そこには、相手を想う温度がない。
 自分のプライドと、地位を誇示するための道具でしかない。

​「……っ」

​ 貴子さんの顔が歪んだ。

 怒りでも、嘲笑でもない。

 それは、どうしようもない敗北感と、寂しさが入り混じったような表情だった。
​ 彼女は唇を噛み締め、持っていた紙袋を隣の羽田さんに乱暴に押し付けた。

​「……勝手にしなさいよ!」

​ 絞り出すような声だった。

 貴子さんは私を睨みつけようとしたけれど、その瞳は潤んでいて、すぐに背を向けた。

​「行くわよ!」

​ 取り巻きの二人を従えて、貴子さんは逃げるように足早に去っていった。
 その背中は、登場した時の女王のような威厳はなく、どこか小さく、孤独に見えた。

​ 嵐が去った後のような静寂が、二人の間に降りた。

​ 私は大きく息を吐き出し、へなへなとその場にしゃがみ込みそうになった。

 膝がガクガクと笑っている。

 怖かった。本当に怖かった。

​ でも、言えた。

 自分の言葉で、大切な人を守れた。

​「詩乃ちゃん」

​ 頭上から声が降り注ぐ。
 見上げると、奏太くんが眩しいものを見るような目で私を見ていた。

​「かっこよかったよ。……すごく」

​ その言葉を聞いた瞬間、張り詰めていた糸が切れ、私の目からポロポロと涙がこぼれ落ちた。

 悲しい涙じゃない。

 安堵と、達成感の涙だ。

​ ミケ。見ててくれた?

 私、頑張ったよ。

 一人で、ちゃんと立てたよ。

​ 部屋で留守番をしている相棒に、心の中でそう報告した。

 二月の風はまだ冷たいけれど、私の胸の奥には、消えない灯火がともっていた。
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