【バレンタインデー記念】ビター・チョコレート・アンサンブル ~傷跡とリボン、そして甘い約束 ~

月影 流詩亜

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第3話 冷たい視線、温かい手

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【 視点:青山 詩乃 】


​ 駅前の時計台広場は、私の想像以上に華やかだった。

​ バレンタインデー当日の土曜日。

 石畳の広場には、色とりどりのマフラーやコートを身につけたカップルたちが溢れ、楽しそうな話し声と笑い声がさざめいている。

​ どこを見ても、幸せそうな景色。

 みんな、手には綺麗な紙袋やリボンのついた箱を持っている。

 お店で買った、プロが作った本物のチョコレートたち。

 キラキラした包装紙に包まれて、まるで宝石みたいだ。

​ 私は自分のカバンをぎゅっと抱きしめた。

 中に入っているのは、百円ショップの袋に入れた、不格好な手作りチョコ。

 リボンの結び目は左右非対称だし、クッキーの形も歪んでいる。

​(……場違いかも)

​ 急に不安が押し寄せてきた。

 周りの女の子たちはみんな可愛くて、自信に満ち溢れているように見える。

 私みたいな地味で冴えない子が、こんな素敵な場所にいていいのかな。

 奏太くんに恥をかかせてしまうんじゃないかな。

​ 俯きかけたその時、人混みの向こうに、見慣れた後ろ姿を見つけた。

​ ネイビーのダッフルコート。

 少し癖のある柔らかそうな茶色の髪。

 奏太くんだ。

​ 彼は時計台の下で、スマホを見ながら誰かを待っていた。

 時々顔を上げて、通り過ぎる人たちを目で追っている。

 私を探してくれているんだ。

​ 胸の奥が温かくなる。

 駆け寄ろうとして、一歩踏み出した。

​「あら、青山さん。奇遇ね」

​ 頭上から降ってきた声に、私の足が凍りついた。

 心臓がドクンと跳ね上がる。

 この声は、聞きたくない。

 小学生の頃、私の心を何度も何度も傷つけた、あの声。

​ 恐る恐る顔を上げると、そこには三人の女子生徒が立っていた。

 真ん中にいるのは、逢坂おうさか貴子たかこさん。
 完璧に整えられた巻き髪、高級そうなブランドのコート。
 その両脇には、取り巻きの羽田さんと古淵さんが、意地悪な笑みを浮かべて立っている。

​「……逢坂、さん」

​ 声が震えた。

 喉が渇いて、うまく言葉が出てこない。

 貴子さんは優雅に微笑んでいるけれど、その瞳は全く笑っていなかった。

 冷たくて、鋭い、氷のような眼差し。

 私を値踏みし、見下し、否定する目だ。

​「こんなところで何してるの? あっ、もしかして……」

​ 貴子さんの視線が、私が抱きしめているカバンに向けられた。
 中に入っているチョコの存在を見透かされたような気がして、私は思わずカバンを背中に隠した。

​「隠さなくてもいいじゃない。どうせ、奏太くんに渡すつもりなんでしょ?」

​ 羽田さんがクスクスと笑った。

​「見てよ、あのカバン。相変わらず貧乏くさいわね」

「中身もどうせ、手作りの汚いチョコとかなんじゃない?」

「うわ、ありえなーい。衛生的にどうなの?」

​ 矢継ぎ早に浴びせられる言葉の礫つぶて。

 一言一言が、鋭利な刃物となって私の心に突き刺さる。

​ 違う !    汚くなんてない。

 一生懸命作ったのに。

 衛生面だって気をつけて、手も洗って、消毒もしたのに。

​ 反論したい。

 でも、言葉が出てこない。

 足がすくんで動けない。

 昔の記憶がフラッシュバックする。

 教室の隅で小さくなっていた私。

 ミケを取り上げられて、笑いものにされたあの日々。

​ 怖い。

 逃げたい。

​ 昔の癖で、カバンの中を探そうと手が動く。

 ミケ。ミケ、助けて。

 あの柔らかい感触に触れたい。

 おばあちゃんの匂いを嗅ぎたい。

 『大丈夫だよ』って言ってほしい。

​ あっ……

​ 指先が空を切り、冷たいナイロンの裏地に触れた。

 そこにミケはいない。

 そうだ。私は今日、ミケを置いてきたんだ。

 一人で頑張るって決めたから。

​ カバンの中の空っぽの空間が、私の心の中の空洞と重なる。

 急に世界が広く、寒く感じられた。

 私一人じゃ、何もできない。

 やっぱり、無理だったんだ。

​ 視界が涙で滲み始めたその時だった。

​「詩乃ちゃん!」

​ 人混みをかき分けて、誰かが私の名前を呼んだ。

 力強くて、でも優しい声。

​ ハッとして顔を上げると、奏太くんが息を切らせて立っていた。

 私と貴子さんたちの間に割って入るようにして、彼は私の前に立った。

​「奏太くん……」

​ 安堵と驚きで、声が裏返る。

 奏太くんは私の顔を覗き込み、心配そうに眉を下げた。

​「大丈夫? 顔色が悪いよ」

​「う、うん……」

​ 私は小さく頷くのが精一杯だった。

 貴子さんが、パッと表情を変えて、甘ったるい声を出した。

​「あら、奏太くん。久しぶりね」

​ 奏太くんはゆっくりと振り返り、貴子さんを見た。
 その表情は、私に見せるような優しいものではなく、硬く、冷ややかなものだった。

​「逢坂さん。……詩乃ちゃんに、何か用?」

​「用だなんて、冷たいわね。ただ偶然会ったから、お喋りしてただけよ。ねぇ、青山さん?」

​ 貴子さんは私に同意を求めるように微笑んだけれど、その目は「余計なことを言ったら許さない」と脅していた。
 私は首を横に振ることもできず、ただ俯いた。

​「そうそう。せっかく会えたんだから、これを渡そうと思って」

​ 貴子さんは自信たっぷりに、手に持っていた紙袋を差し出した。
 黒地に金のロゴが入った、高級そうな袋。

​「『ルビー・ロワイヤル』よ。ベルギー王室御用達の限定品。
 奏太くんには、こういう『本物』が似合うと思って」

​ 貴子さんはチラリと私を見た。
 そして、勝ち誇ったように続けた。

​「手作りなんて不衛生なお遊びじゃなくて、ちゃんとした品質のものを贈るのが、大人のマナーよね?
 奏太くんの将来のためにも、付き合う相手は選んだ方がいいと思うわ。
 ねぇ、そこの地味な子じゃなくて、私の方が……」

​ 貴子さんの言葉は、そこで途切れた。

​ 奏太くんが、差し出された紙袋を手で制したからだ。

 受け取らない。

 拒絶の意思表示。

​「ごめん。受け取れない」

​ 奏太くんの声は静かだったけれど、広場のざわめきの中でもはっきりと聞こえた。

​「えっ……?」

​ 貴子さんの完璧な笑顔が凍りつく。

​「どうして? 遠慮しないで。これ、すごく高いのよ?
 あの子のチョコなんかより、ずっと……」

​「値段とか、ブランドとか、そういうのは関係ないんだ」

​ 奏太くんはきっぱりと言い放った。

 そして、私の手首を掴んだ。

 温かい。

 凍えていた私の指先に、彼の熱が伝わってくる。

​「俺が欲しいのは、俺のために時間を使ってくれたという『気持ち』だよ。
 たとえ形が悪くても、不格好でも、一生懸命作ってくれたものが一番嬉しいんだ」

​ 奏太くんは私の手を引き寄せ、自分の隣に並ばせた。
 そして、貴子さんを真っ直ぐに見据えた。

​「詩乃ちゃんは、俺が一番辛い時にそばにいてくれた。
 彼女はもう、君が言うような『守られるだけ』の弱い子じゃない。
 自分の足で立とうと必死に頑張ってる。
 俺は、そんな彼女を尊敬してるんだ」

​ 奏太くんの言葉が、私の心に深く染み込んでいく。

 尊敬してる。

 そんなふうに思ってくれていたなんて。

​ 胸の奥で、何かが熱く込み上げてくるのを感じた。

 ミケがいない不安が、少しずつ溶けていく。

 代わりに、別の感情が芽生え始めていた。

​ 嬉しい。

 悔しい。

 そして、伝えたい。

​ 奏太くんに守られているだけじゃダメだ。
 彼がこんなに私のことを信じてくれているのに、私が逃げてばかりじゃいけない。

​ 私は、私なりの言葉で、彼を守りたい。

​ 私は震える足を叱咤し、顔を上げた。

 隣に立つ奏太くんの手を、ギュッと握り返す。

​ ミケはいなくても、私には彼がいる。

 そして、私自身がいる。

​ 覚悟を決める時が来たんだ。
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