【バレンタインデー記念】ビター・チョコレート・アンサンブル ~傷跡とリボン、そして甘い約束 ~

月影 流詩亜

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第2話 留守番の誓いと、指先のカカオ

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【 視点:青山詩乃あおやま しの 】


​ キッチンには、甘く、少し焦げたような匂いが充満していた。
​ シンクにはボウルやゴムベラが積み重なり、まるで戦場の後のようだ。
 私はエプロンについたココアパウダーを払いながら、クッキングシートの上に並んだ「それ」をじっと見つめた。

​「……うん、やっぱりちょっと歪んでる」

​ 私が作ったのは、生チョコとクッキーを組み合わせた『肉球チョコ』

 大好きなミケの手をイメージしたものだ。

​ 昨日の夜から、何度も練習した。

 温度調節(テンパリング)がうまくいかなくて表面が白っぽくなったり、固まる前に触って指紋がついたり。

 お菓子作りが得意なわけじゃない。ネットの動画を見ながら必死に真似をしたけれど、やっぱりお店に売っているようなツヤツヤで完璧な形にはならなかった。

​ 右端の肉球は親指が大きすぎるし、真ん中の肉球はちょっと傾いている。

 不格好な茶色の塊たち。

​ でも、味だけは自信がある。

 切れ端を口に含むと、カカオのほろ苦さが舌の上で溶け、その後に生クリームのまろやかなコクが広がった。

​「甘さ控えめ。……これなら、奏太くんも食べてくれるかな」

​ 奏太くんは、甘すぎるのが苦手だ。

 以前、カフェで頼んだケーキが甘すぎて、少し困った顔をしていたのを覚えている。
 だから、ビターチョコレートを多めに使って、大人っぽい味にした。

​ 百円ショップで買った透明な袋に、形がマシなものを選んで詰める。

 仕上げに、ピンク色のリボンを結んだ。
 キュッ、と結び目を整えるけれど、左右のループの大きさが少し違ってしまった。

​「……不器用だなぁ、私」

​ 苦笑いしながら、完成した包みをそっと手のひらに乗せる。

 軽くて、小さい。

 でも、ここには私の精一杯の「大好き」が詰まっている。

​ 時計を見ると、もう家を出る時間だった。

 私はエプロンを外し、自分の部屋へと戻った。
​ 部屋のカーテンを開けると、柔らかな冬の日差しがベッドの上に差し込んだ。

 そこには、私の大切な相棒が座っている。

​ 三毛猫のぬいぐるみ、ミケ。

 少し色褪せた茶色のぶち模様。私の涙を何度も吸い込んだ、くたびれた毛並み。

 そして、私が小学生の時に見つけてあげた、少し折れ曲がった耳。

​ 昔なら、ここで迷わずミケを手に取り、カバンの底に忍ばせた。

 ミケがいないと、外の世界は怖くて、息ができなくなる気がしていたから……

​ 私はベッドの縁に座り、ミケと向き合った。

 ミケのつぶらな刺繍の瞳が、私を見上げている。

​「ねぇ、ミケ」

​ 私はそっと手を伸ばし、ミケを抱き上げた。

 お日様の匂いと、古い布の懐かしい匂い。

 その柔らかい体を胸に押し当て、ぎゅっと抱きしめる。
​ 不安な時、こうすればおばあちゃんの声が聞こえる気がした。

 『大丈夫だよ、詩乃』と。

​ でも、現在いまは違う。

​「今日はね……ここでお留守番しててほしいの」

​ 私は顔を埋めたまま、小さな声でつぶやいた。

​「私、奏太くんに会いに行くの。
 いつもみたいに、ミケに守ってもらって、勇気を借りるんじゃなくて……今日は、私自身の足で行きたいんだ」

​ カバンの中のミケに触れて安心する自分じゃなくて、ちゃんと奏太くんの目を見て、自分の手でこのチョコを渡したい。

 たとえ不格好でも、失敗作に見えても、私が一生懸命作った「気持ち」だから。

 それを守るのは、ミケじゃなくて私でありたい。

​「奏太くんはね、ミケがいなくなった時、一緒に探してくれた人だよ。
 私の弱いところも、ダメなところも、全部知ってて……それでも『好きだ』って言ってくれたの」

​ 抱きしめる腕に、少しだけ力が入る。

​「だから、私も強くなりたい。
 ミケに頼ってばかりの私じゃなくて、ちゃんと彼を支えられるような私になりたいの」

​ 顔を上げ、ミケをベッドの定位置に座らせ直した。
 少し歪んだリボンのついたチョコの袋を、ミケに見せる。

​「行ってくるね。……私、頑張るから」

​ ミケは何も言わない。

 けれど、窓から差し込む光を受けて、その瞳がキラリと輝いたように見えた。

 『いってらっしゃい。詩乃なら大丈夫』

 そう背中を押してくれている気がした。

​ 私は大きく深呼吸をして、部屋を出た。

​ 玄関でコートを羽織り、マフラーを巻く。

 カバンを持ち上げる。

 いつも入っているはずの「重み」がない。

​ スカスカと軽いカバン。

 その軽さが、心許なさと不安を呼び起こしそうになる。

​ 指先が微かに震える。

 やっぱり、連れて行けばよかったかな。

 そんな弱気が頭をもたげる。

​ でも……私はカバンの中の、一番大切なポケットに入れたチョコの袋を、服の上からそっと押さえた。

 カサリ、という袋の音が、私の心臓の鼓動と重なる。

​ 大丈夫。

 私には、届けたい想いがある。

 それさえあれば、きっと足は前に進む。

​「よし」

​ 私は重い玄関の扉を開けた。

 冷たい二月の風が、勢いよく吹き込んでくる。

 頬を刺すような寒さに一瞬目を細めたけれど、私はもう振り返らなかった。

​ 目指すは駅前の時計台広場。

 奏太くんが待っている、あの場所へ。
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