【猫の日記念:2026 】ダブルス・パートナーは診察台の上で 〜マッケンローとステフィの動物病院狂想曲〜

月影 流詩亜

文字の大きさ
8 / 9
第二部:ステフィサイド『女王のサーブは誰がために』

​最終話 勝利の美酒

しおりを挟む


​ 私の渾身のボレーが決まった後の診察室は、奇妙な空気に包まれていた。

​「……いたたた。いやあ、参ったな」

​ 私が噛み付いた巨人は、太ももをさすりながら、なぜか笑っていた。怒鳴りもせず、反撃もしてこない。

 それどころか、春香が「申し訳ありません!」と何度も頭を下げている。

​(……春香、なぜ敵に頭を下げるの?)

​ 私は春香に抱き上げられ、キャリーに戻されながら不満げに鼻を鳴らした。

 人間社会のルールは複雑怪奇だわ。勝者が敗者に謝るなんて。

 でも、確かなことが一つある。

 マックは生きていた。

​ 私が巨人を威嚇している隙に、もう一人の人間(看護師)がマックの背中にチクリと何かをしたようだったけれど、それは致命傷ではなかったらしい。

 マックは「キャン!」と短く鳴いただけだ。

 私がキャリーの中から「無事!?」と問いかけると、マックは放心状態でこちらを見ていた。

 その目は、いつもの怯えきった目ではなく、どこか尊敬の念を込めた眼差し……だった気がする。
​ ……まあいいわ。とにかく、私の弟分は無事に生還したのだから。

​ 帰りの車内、私はキャリーの中で念入りに爪の手入れをした。
 あの巨人のズボン、少し硬かったわね。次はもっと柔らかいお腹を狙うべきかしら。

 隣のケージのマックは、もう鳴いていなかった。疲れ果てて眠っているようだ。

 春香は運転席で「あー、びっくりした……」と独り言を繰り返している。

​ 家に着き、リビングに解放されると、そこにはいつもの平和な午後が待っていた。

 マックは水をガブ飲みし、私は一番日当たりの良い窓辺のクッションへと向かった。

 戦いの後の休息。

 太陽の匂いがするクッションに身を沈め、私は大きく伸びをした。

​ ふと気配を感じて目を開けると、目の前に茶色い毛玉がいた。

 マックだ。

 彼はいつものように吠えたり、走り回ったりしない。
 おずおずと、しかし真っ直ぐに私に近づいてくる。

​「……何よ。文句でもあるの?」

​ 私が尻尾の先だけで問いかけると、マックは何も言わず、私の隣にドサリと体を横たえた。
 そして、遠慮がちに鼻先を私の背中に押し付けてきた。

 クンクン、と甘えるような匂いの嗅ぎ方。

​(……ふん、わかればいいのよ)

​ どうやらこの鈍感な弟分も、さっきの私の行動の意味を理解したらしい。

 「守ってくれてありがとう」なんて言葉は犬には言えないでしょうけど、その体温がすべてを語っている。

​ 私はため息を一つつき、体を起こした。

 そして、マックの首筋……さっき注射を打たれたあたりを、ザリザリとした舌で舐めてやった。

 ほんの少し、消毒液の苦い味がする。

​「不味いわね。……でも、我慢なさい。消毒してあげるから」

​ マックは気持ちよさそうに目を細め、私に身を預けている。

 まったく、手のかかる弟だこと。

 でも、こうして寄り添っていると、あの診察台での恐怖が嘘のように消えていく。

​ 春香がキッチンから顔を出し、私たちを見て微笑んだ。

「あら、今日は仲良しね。最高のダブルス・パートナーだもんね」

​ ダブルス?

 テニス用語かしら。よくわからないけれど、響きは悪くない。

​ マックの寝息が聞こえ始めた。

 「むにゃ……次は……俺が……吠えてやる……」

 そんな寝言が聞こえた気がした。

 私は口元を緩め、もう一度彼に体を寄せた。

​(はいはい、期待してるわよ、マッケンロー)

​ 窓の外では、二月の柔らかな日差しが私たちを包み込んでいる。

 明日の朝も、きっと彼は宅配便に向かって吠え立てるだろう。

 そして私は、それを高いところから呆れて見下ろすのだ。

​ でも、もしまた「白い巨塔」や「未知の敵」が現れたら。

 その時は、また私がネット際(最前線)に飛び出してやるわ。

 だって、この頼りない騎士を守れるのは、世界で私、女王ステフィだけなのだから。


​ ゲーム、セット。

 本日の勝者は、私たちよ。


​ ── 終 ──
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

【完結短編】ある公爵令嬢の結婚前日

のま
ファンタジー
クラリスはもうすぐ結婚式を控えた公爵令嬢。 ある日から人生が変わっていったことを思い出しながら自宅での最後のお茶会を楽しむ。

抱きしめて

麻実
恋愛
夫の長期に亘る不倫に 女としての自信を失った妻は、新しい出会いに飛び込んでいく。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

ワシの子を産んでくれんか

KOU/Vami
ライト文芸
妻に先立たれ、息子まで亡くした老人は、息子の妻である若い未亡人と二人きりで古い家に残された。 「まだ若い、アンタは出て行って生き直せ」――そう言い続けるのは、彼女の未来を守りたい善意であり、同時に、自分の寂しさが露見するのを恐れる防波堤でもあった。 しかし彼女は去らない。義父を一人にできないという情と、家に残る最後の温もりを手放せない心が、彼女の足を止めていた。 昼はいつも通り、義父と嫁として食卓を囲む。けれど夜になると、喪失の闇と孤独が、二人の境界を静かに溶かしていく。 ある夜を境に、彼女は“何事もない”顔で日々を回し始め、老人だけが遺影を直視できなくなる。 救いのような笑顔と、罪のような温もり。 二人はやがて、外の世界から少しずつ音を失い、互いだけを必要とする狭い家の中へ沈んでいく――。

恋愛の醍醐味

凛子
恋愛
最近の恋人の言動に嫌気がさしていた萌々香は、誕生日を忘れられたことで、ついに別れを決断。 あることがきっかけで、完璧な理想の恋人に出会うことが出来た萌々香は、幸せな日々が永遠に続くと思っていたのだが……

冷遇妃マリアベルの監視報告書

Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。 第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。 そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。 王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。 (小説家になろう様にも投稿しています)

処理中です...