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第二部:ステフィサイド『女王のサーブは誰がために』
最終話 勝利の美酒
しおりを挟む 私の渾身のボレーが決まった後の診察室は、奇妙な空気に包まれていた。
「……いたたた。いやあ、参ったな」
私が噛み付いた巨人は、太ももをさすりながら、なぜか笑っていた。怒鳴りもせず、反撃もしてこない。
それどころか、春香が「申し訳ありません!」と何度も頭を下げている。
(……春香、なぜ敵に頭を下げるの?)
私は春香に抱き上げられ、キャリーに戻されながら不満げに鼻を鳴らした。
人間社会のルールは複雑怪奇だわ。勝者が敗者に謝るなんて。
でも、確かなことが一つある。
マックは生きていた。
私が巨人を威嚇している隙に、もう一人の人間(看護師)がマックの背中にチクリと何かをしたようだったけれど、それは致命傷ではなかったらしい。
マックは「キャン!」と短く鳴いただけだ。
私がキャリーの中から「無事!?」と問いかけると、マックは放心状態でこちらを見ていた。
その目は、いつもの怯えきった目ではなく、どこか尊敬の念を込めた眼差し……だった気がする。
……まあいいわ。とにかく、私の弟分は無事に生還したのだから。
帰りの車内、私はキャリーの中で念入りに爪の手入れをした。
あの巨人のズボン、少し硬かったわね。次はもっと柔らかいお腹を狙うべきかしら。
隣のケージのマックは、もう鳴いていなかった。疲れ果てて眠っているようだ。
春香は運転席で「あー、びっくりした……」と独り言を繰り返している。
家に着き、リビングに解放されると、そこにはいつもの平和な午後が待っていた。
マックは水をガブ飲みし、私は一番日当たりの良い窓辺のクッションへと向かった。
戦いの後の休息。
太陽の匂いがするクッションに身を沈め、私は大きく伸びをした。
ふと気配を感じて目を開けると、目の前に茶色い毛玉がいた。
マックだ。
彼はいつものように吠えたり、走り回ったりしない。
おずおずと、しかし真っ直ぐに私に近づいてくる。
「……何よ。文句でもあるの?」
私が尻尾の先だけで問いかけると、マックは何も言わず、私の隣にドサリと体を横たえた。
そして、遠慮がちに鼻先を私の背中に押し付けてきた。
クンクン、と甘えるような匂いの嗅ぎ方。
(……ふん、わかればいいのよ)
どうやらこの鈍感な弟分も、さっきの私の行動の意味を理解したらしい。
「守ってくれてありがとう」なんて言葉は犬には言えないでしょうけど、その体温がすべてを語っている。
私はため息を一つつき、体を起こした。
そして、マックの首筋……さっき注射を打たれたあたりを、ザリザリとした舌で舐めてやった。
ほんの少し、消毒液の苦い味がする。
「不味いわね。……でも、我慢なさい。消毒してあげるから」
マックは気持ちよさそうに目を細め、私に身を預けている。
まったく、手のかかる弟だこと。
でも、こうして寄り添っていると、あの診察台での恐怖が嘘のように消えていく。
春香がキッチンから顔を出し、私たちを見て微笑んだ。
「あら、今日は仲良しね。最高のダブルス・パートナーだもんね」
ダブルス?
テニス用語かしら。よくわからないけれど、響きは悪くない。
マックの寝息が聞こえ始めた。
「むにゃ……次は……俺が……吠えてやる……」
そんな寝言が聞こえた気がした。
私は口元を緩め、もう一度彼に体を寄せた。
(はいはい、期待してるわよ、マッケンロー)
窓の外では、二月の柔らかな日差しが私たちを包み込んでいる。
明日の朝も、きっと彼は宅配便に向かって吠え立てるだろう。
そして私は、それを高いところから呆れて見下ろすのだ。
でも、もしまた「白い巨塔」や「未知の敵」が現れたら。
その時は、また私がネット際(最前線)に飛び出してやるわ。
だって、この頼りない騎士を守れるのは、世界で私、女王ステフィだけなのだから。
ゲーム、セット。
本日の勝者は、私たちよ。
── 終 ──
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