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序章:白絹の檻
第1話:穢れた十三期生
しおりを挟むガタン、と不規則な振動が腹の底に響く。
アスファルトの継ぎ目を踏み越えるたびに、古びたバスの車体は軋み、悲鳴のような音を立てた。
窓の外を流れていく景色に色はなかった。灰色のアスファルト、灰色のビル、そして、それらを映す空もまた、薄汚れたコンクリートのような鼠色に淀んでいた。
灰谷零士は、汚れた窓ガラスに額を押し付け、その色のない世界を虚ろな目で見つめていた。
何処へ行こうが同じだ。 この世界から色が消えてしまったのは、もうずいぶん前のことになる。 原因はわかっている。 思い出すだけで、胸の奥に空いた穴を冷たい風が吹き抜けていく。
だから、考えない。 何も感じない。
それが、このくだらない世界で生き延びるための零士なりの処世術だった。
「――護送バス、ってとこかしらね。 行き先不明の片道切符付き」
静かな声だった。
隣の席に座る少女、氷村怜が、窓の外に視線を向けたまま呟く。
整いすぎた横顔には何の感情も浮かんでいなかった。 まるで、他人事のように。
あるいは、盤上の駒の動きを冷静に分析する棋士のように。
零士は答えなかった。 彼女の言う通りだった。
このバスに乗っているのは、社会という名の盤上から弾き出された出来損ないの駒たちだ。
暴力、窃盗、詐欺、虚言、あるいは――。
それぞれの罪状は違えど、「問題児」という一つのレッテルを貼られ、このバスに詰め込まれている。
男が五人、女が六人。合計十一人。
俺たちは、『地方学園Z』の十三期生なのだという。 「不吉な数字だ」と、誰かが嘲るように言ったのを覚えている。
前方の席から苛立ったような舌打ちと共に鈍い衝撃音が響いた。
「チッ、まだ着かねえのかよ。 ケツが痛えんだよ、クソが ! 」
頭を短く刈り上げ、耳にはいくつものピアスを開けた大柄な男・鬼塚蛮が、前の座席の背もたれを蹴りつけたのだ。
その筋骨隆々とした腕には、制服の袖から刺青が覗いている。暴力事件の常習犯。
彼の半径一メートル以内には、誰も座ろうとしなかった。
蹴られた席に座る小柄な生徒が、悲鳴のような声を上げて身を縮こまらせる。
鬼塚はそれを満足げに見下ろし、ニヤリと汚い歯を見せた。
その一連の光景を斜め後ろの席から粘つくような視線で見つめている者がいた。
蛇沼凶一郎。
一見すると優等生にも見える整った顔立ちだが、その目は蛇のように冷たく、爬虫類的な光を宿している。
彼は鬼塚の野蛮な振る舞いを、まるで面白い見世物でも鑑賞するかのように、薄笑いを浮かべて眺めていた。
陰湿ないじめの首謀者として、何人もの生徒を精神的に追い詰めた男だ。
腕力に頼る鬼塚とは、対極にいる存在と言えた。
「あー、もう! マジありえないんだけど!
圏外とか終わってるし! ここ日本なの!? 」
金切り声に近い悲鳴を上げたのは、派手な化粧といじり倒した髪が痛々しい少女・我妻亞夢だった。
手にしたスマートフォンの画面を何度もタップし、絶望的な表情で天を仰いでいる。
SNS依存と虚言癖。 彼女にとって、外界との接続が絶たれることは、死刑宣告にも等しいのだろう。
その隣では、全身を黒いレースで飾ったゴシックロリータ風の少女・呪泉ルイが、ブツブツと何かを唱えながら水晶玉のようなものを覗き込んでいる。
周囲の騒ぎなどまるで意に介していない様子で、自分だけの世界に没入していた。
多種多様な問題児のサンプル展示会。 零士は自嘲気味に心の中で呟いた。
このバスは、社会のゴミ処理場へ向かうゴミ収集車だ。 そして、俺たちはその中の生ゴミにすぎない。
「あなた、怖くないの? 」
再び隣から氷村怜の声がした。
視線は零士に向けられている。 感情の読めない、ガラス玉のような瞳だった。
「何が ? 」
「これから行く場所のこと。 どんな扱いを受けるのか、想像もつかない。
普通なら恐怖か、せめて不安くらいは感じるものだと思うけど」
怜は、まるで臨床心理士が患者を診断するように零士の顔をじっと見つめている。
「今更だろ」と零士は短く答えた。
「どこに行ったって、やることは決まってる。
息をして、飯を食って、クソして眠る。 それだけだ」
「……そう。あなたも、壊れているのね」
怜は納得したように小さく頷くと、再び興味を失ったように窓の外へ視線を戻した。
彼女の言う「壊れている」という言葉が、妙に胸に引っかかった。
バスは高速道路を降り、次第に道幅の狭い田舎道へと入っていく。
灰色のビル群は姿を消し、代わりにどこまでも続く田園風景が広がった。
季節は初夏。 青々とした稲が風に揺れ、一見すると長閑な景色だ。
だが、その風景には奇妙なほど人の気配がなかった。 農作業をする者の姿も、通りを歩く子供の姿も見当たらない。
まるで、時間が止まってしまったゴーストタウンのようだった。
「なあ、ここ、なんかおかしくねえか? 」
それまで黙って腕を組んでいた、刃渡翔が呟いた。手先が器用で、機械いじりやピッキングの常習犯としてここに送られてきた少年だ。 彼の目は、何かを観察するように鋭く細められていた。
「人がいなさすぎる。それに、あの案山子……」
刃渡が指さす先、広大な田んぼのあちこちに、白い布をまとったような人型の案山子が立っていた。
だが、その姿は異様だった……
普通の案山子のように十字の形をしているのではなく、ただの一本足で、だらりと垂れた両腕が不気味に揺れている。
どれもこれも、奇妙に首を傾げたような格好をしていた。
「気色悪い案山子だな」
鬼塚が吐き捨てるように言う。
我妻亞夢は「ヒッ」と短い悲鳴をあげて、隣に座る鎖木枷夜の腕にしがみついた。 枷夜は、女子グループのリーダー格で取り巻きを従えて常に女王のように振る舞っている。
彼女は亞夢の腕を鬱陶しそうに振り払った。
バスが大きく揺れた。
舗装されていた道は完全に途切れ、砂利が敷き詰められた悪路へと変わっていた。 車窓から見えるのは、鬱蒼と茂る木々と、険しい崖だけ。
バス一台がやっと通れるほどの狭い山道を、エンジンを唸らせながら進んでいく。
その時だった。
「あ……ああ……ッ! 圏外……完全に圏外……!! 」
我妻亞夢の悲痛な叫びが、バスの中に響き渡った。
彼女のスマホの画面には、無慈悲な「圏外」の二文字が浮かんでいる。
社会との、文明との、最後の繋がりが完全に断ち切られた瞬間だった。
それを合図にしたかのように周囲に濃い霧が立ち込め始めた。すぐ先の道すら見通せないほどの乳白色の霧だ。
バスはヘッドライトを点灯させ、徐行運転を余儀なくされる。
車内は、先ほどまでの騒がしさが嘘のように静まり返っていた。
誰もが言葉を失い、窓の外の濃霧を食い入るように見つめている。
それは、自分たちがこれから足を踏み入れる世界の不確かさと得体の知れない恐怖を象徴しているかのようだった。
零士は、再び窓ガラスに額を押し付けた。
冷たい感触が、思考を鈍らせる。
もうどうでもいい。
そう思うはずなのに心臓の鼓動が嫌な具合に速まっているのを感じていた。
やがて、バスはゆっくりと速度を落とし、きしむようなブレーキ音を立てて停止した。
濃霧の向こうに、巨大なシルエットが浮かび上がる。
錆びついた、重々しい鉄の門だった。
門の上部には、飾り気のないゴシック体の文字で、こう掲げられていた。
『地方学園Z』
運転手が無言でドアを開ける。
淀んだ外の空気が、バスの中に流れ込んできた。それは湿った土と腐葉土の匂い。
そして、何か得体の知れない甘ったるいような異臭が混じっていた。
逃げ場のない、隔離された学園での新しい生活。
いや、生活と呼べるようなものが、この先にあるのだろうか。
零士は隣の氷村怜が小さく息を呑む気配を感じながら重い足取りでバスを降りた。
色のない世界が、また一つ、その濃度を増したように思えた。
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