11 / 39
第一章:蠢動
第4話:田を覗くな
しおりを挟む幻聴の翌朝、零士の目の下には、昨夜のそれよりもさらに濃い隈が刻まれていた。
食堂に現れた彼は、まるで幽鬼のような有り様だった。
他の生徒たちの様子も似たり寄ったりで、誰もが無言でスプーンを動かし、味のない栄養食を胃に流し込んでいる。
積もり積もったストレスが、この閉鎖空間の空気をじっとりと湿らせ、重く圧し掛かっていた。
「やだ……来ないで……あっち行って……」
テーブルの隅で、我妻亞夢が小さな声で呻いている。
その視線は何もない空間の一点を捉え、恐怖に引き攣っていた。
もはや彼女の虚言癖を笑う者はいなかった。
誰もが、亞夢の姿に明日の自分を重ね、見て見ぬふりをしているだけだ。
この学園では、狂気はすぐ隣にある日常の一部になりつつあった。
このまま無為な日々を過ごし、AIの管理下で精神をすり減らしていくだけでは、いずれ亞夢のようになる。
零士の中に、焦燥感にも似た感情が芽生え始めていた。
あのサブリミナル映像、耳鳴りのような幻聴、そして呪泉ルイの不吉な言葉。
ただの偶然や気のせいでは片付けられない、明確な「何か」が、この学園には潜んでいる。
その日の昼休み、零士は意を決して氷村怜に声をかけた。
「この学園のこと、調べないか」
怜は、読んでいた分厚い専門書から顔を上げ、ガラス玉のような瞳で零士を見返した。
「奇遇ね。 私も、この施設の設立経緯と過去の運用記録に興味があったところよ。
非効率的で、矛盾だらけのシステム。
その裏には、必ず何らかの『目的』があるはず」
怜の関心は、あくまで論理的な謎解きにあるようだった。 だが、目的は同じだ。
「心当たりがあるのか?」
「ええ。 校舎の裏手にある、今は使われていない離れ。 おそらく、旧校舎時代の図書室か資料室。 マザーの管理システムが、あの区画だけ旧式のままになっているの。 監視の目も他よりは緩いはずよ」
二人の会話を、どこで聞いていたのか。 背後からぬっと影が伸びた。
「私も行くわ」
呪泉ルイだった。
いつものゴスロリ衣装に身を包み、その顔は蝋のように白い。
「あの離れから……呼ばれている気がするの。
古くて、悲しい記憶の匂いがする」
怜はわずかに眉をひそめたが、反対はしなかった。 ルイの持つオカルト的な感受性が、自分たちの論理的なアプローチを補完する何かになるかもしれないと瞬時に判断したのだろう。
そこに、「面白そうじゃん、俺も混ぜてくれよ」と、刃渡翔がひょっこり顔を出した。
彼の目には、退屈を紛らわすスリルへの期待が浮かんでいる。
鍵のかかったドアくらいなら、ヘアピン一本で開けてみせる、と彼は悪びれもせずに笑った。
こうして、奇妙な四人の探索チームが結成された。
彼らは、ガーディアンの巡回ルートの合間を縫うようにして、校舎の裏手へと向かった。
目指す離れは、本校舎から渡り廊下で繋がっているが、その入口には『立入禁止』のプレートと共に頑丈そうな電子ロックがかけられていた。
「へっ、お安い御用だ」
刃渡が慣れた手つきで懐から工具を取り出し、ロックの制御盤をこじ開ける。
数分後、小さな火花と共にロックが解除される音がした。
軋む扉を開け、四人は離れへと足を踏み入れた。中は、カビと古い紙の匂いが充満していた。
本棚はほとんどが倒れ、床には腐った蔵書や書類が散乱している。
まるで、何年も前に嵐でも通り過ぎたかのようだ。
「手分けして探そう。 この学園に関する記録なら何でもいい」
怜の指示で、三人は散らばった。
零士は建物の隅、他の場所より少しだけ状態の良い一角へと向かった。
そこは、おそらく村の郷土史に関する資料がまとめられていた場所なのだろう。
古い地図や、変色した写真が床に落ちている。
その時、不意にルイが「……こっち」と呟いた。 彼女は何かに引かれるように、窓の外をじっと見つめている。
「どうした? 」
「あそこ……何かある」
ルイが指さす先、窓の外の鬱蒼と茂った木々の合間。
辛うじて見える敷地の隅に何かが苔むした石のようなものが立っているのが見えた。
四人は一度離れを出て、ルイが指した場所へと向かった。
そこは、普段誰も足を踏み入れないような学園の忘れられた一角だった。
木々に覆い隠されるようにして、高さ一メートルほどの古い石碑が静かに佇んでいた。
石碑の表面には文字が刻まれているが、長年の風雨と苔によってほとんどが侵食され、判読は困難だった。
「なんて書いてあるんだ……? 」
刃渡が表面の苔を指で擦る。
ルイは石碑に触れようとはせず、数歩離れた場所から目を細めてその表面を凝視していた。
やがて、彼女はトランス状態にでも入ったかのように、途切れ途切れに言葉を紡ぎ始めた。
「……読める……。『白絹ノ村』……この村の昔の名前……」
「白絹村……」零士は、資料室で見つけた記録を思い出した。
「……白きカミ……を、祀る……」
ルイの指が、虚空で文字をなぞるように動く。
「……田を、覗クナ……カミの、寝床なリ……」
「……白キものに、見惚レルナ……ソは、穢れ……」
『田を覗くな』『白きものに見惚れるな』
それは、あの時、零士が廃村で見つけた石碑の言葉と同じだった。
「これって、どういう……」
零士が問いかけようとした瞬間、ルイの様子が急変した。彼女はガクガクと小刻みに震え始め、その瞳は焦点が合っていない。
「ダメ……ダメよ……祀り方を、間違えたの……。神様は、怒ってしまった。
喜んでほしくて、もっとよく見て、もっとよく知ろうとした。 それが、間違いだったのよ! 」
ルイは、まるで誰か別の人間が乗り移ったかのように、普段とは違う、切迫した声で叫んだ。
「あれは神様なんかじゃない!
穢れ! 災い! 美しいと思ってはダメ!
理解しようとしてもダメ!
『あれは、そういうものだ』って、目を逸らさないと!
認識した時点で、終わりなの!
心を、喰われてしまうのよ! 」
彼女の絶叫に、その場の空気が凍り付いた。
怜は、眉間に深い皺を寄せながらも冷静にルイの言葉を記憶しようとしている。
刃渡は、「オカルトは勘弁だぜ……」と呟いたが、その顔は恐怖で真っ青だった。
零士は、全身に鳥肌が立つのを感じていた。
我妻亞夢の「くねくね」
授業中の白い影。
血野美鈴の「きれい」という言葉。
そして、ルイの言う「認識した時点で終わり」
すべてのピースが、一つの恐ろしい答えへと収束していく。
ガサッ!
突然、背後の木々が大きく揺れる音がした。
「!!」
四人が、弾かれたように同時に振り返る。
だが、そこに人影はなかった。
ただ、生暖かい風が吹き抜け、ざわざわと葉を揺らしているだけだ。
気のせいか……
誰もがそう思い、安堵の息をつこうとした、その時。
零士は、確かに見た。
四人が振り返る、ほんの一瞬前。
木々の深い影の中に、白い何かが、すっ、と横切ったのを。
それは、人の形をしていた。
だが、その動きは、まるで映像のコマが飛んだかのように、不自然で、瞬間的だった。
「……戻ろう」
怜が緊張を押し殺した低い声で言った。
彼女もまた、何かの気配を感じ取っていた。
四人は、背後の石碑に目もくれず、逃げるようにして校舎へと駆け戻った。
誰一人として、気づいてはいなかった。
彼らが去った後、静寂を取り戻した石碑の根本。
鬱蒼と茂る下草の中に、真新しい一輪の白い花が、まるで供え物のように、ひっそりと置かれていたことに。
そして、苔むした石碑の表面に刻まれた、ほとんど消えかかった文字が見る角度によって、まるで泣いている人の顔のようにも、歪んだ笑顔のようにも見えたことに……
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる