【完結】ツンデレお嬢様弁護士は奮闘中! ~法と人情で悪を裁く! ~

月影 流詩亜

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第七章 : デジタルの迷宮

第40話 コードネーム・イカロス

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 須田和夫さんの無罪判決から数ヶ月が過ぎ、御門法律事務所にはようやく日常と呼べる穏やかな時間が流れていた。

 あれほど積み重なっていた須田事件関連の書類も整理され、英里香のデスクの上も久方ぶりに本来の木目が見える面積を増やしていた。
 膨大な資料と格闘する日々から解放され、溜まっていた法律専門誌に目を通す余裕すら生まれ始めていた。

 午後の柔らかな日差しが大きな窓から差し込み、事務所内を暖かく照らす。
 壁の時計が午後三時を指そうとした、その時だった。 受付からの内線が、静寂を破った。

「先生、緊急で面会を希望されている女性がいらっしゃるのですが…かなり、切羽詰まったご様子でして」

 事務員の少し緊張した声に、英里香は訝しげに眉を寄せた。 アポイントメントはないはずだ。

「……分かったわ。応接スペースにお通しして」

受話器を置き、軽く身なりを整えて応接スペースへ向かう。ソファには、小柄な女性が深く腰掛けていた。
 年の頃は三十代前半だろうか。 シンプルなスーツを着ているが、着こなしには構う余裕がなかったのか、少し乱れている。
 何より目を引いたのは、その憔悴しょうすいしきった表情と、深く落ち窪んだ目の下の隈だった。
 まるで何日も眠れていないかのように、彼女の肩は小さく震えていた。

「お待たせいたしました。弁護士の大江戸です」
英里香が名乗ると、女性は弾かれたように顔を上げ、縋るような目で英里香を見つめた。

「あ…大江戸先生……!突然申し訳ありません!私、高村沙織と申します!」
彼女は慌てて立ち上がり、深々と頭を下げた。
 その声は震え、今にも泣き出してしまいそうだった。

「どうぞ、おかけください。落ち着いて、お話しいただけますか?」
英里香は穏やかに促し、彼女の向かいに腰を下ろした。

 沙織と名乗った女性は、再びソファに腰を下ろすと、震える手で膝の上に置いたハンドバッグを握りしめた。

「あの…先生、弟を…どうか、弟を助けてください……!」
絞り出すような声だった。

「弟さんが、どうかされたのですか?」

「逮捕…されてしまったんです。産業スパイの容疑で…!」
 沙織の目から、堪えていた涙がぽろぽろと零れ落ちた。

 彼女の話を整理すると、こうだった。

 弟の名は高村亮、28歳。急成長中の大手IT企業「ネオ・フロンティア」で働く、将来を有望視されたシステムエンジニア。
 その亮が、現在会社が総力を挙げて開発中の最先端AI基幹システム ── コードネーム「イカロス」の設計に関する機密情報を、ライバル企業である「サイバーダイナミクス」に漏洩ろうえいした疑いで、数日前に逮捕されたというのだ。

「警察は亮のパソコンから、情報が送られた証拠が見つかったって……それに、亮の口座に、事件の直前に大金が振り込まれていた、とも……」
 沙織は俯き、消え入りそうな声で続けた。

 警察から聞かされた状況証拠は、あまりにも弟に不利なものばかりだった。
 彼女自身、その事実に打ちのめされ、絶望の淵に立たされているようだった。

「でも……!信じてください、先生!あの子がそんなことするはずないんです!」
沙織は再び顔を上げ、必死の形相で訴えた。

「亮は……昔から、コンピューターのことしか頭にないような子で。 賞金が出るプログラミングのコンテストで優勝しても、賞金には全然興味を示さなくて、もらったトロフィーの方が嬉しいって笑うような……そんな子なんです!
 お金のために、会社を裏切るなんて……!
 誰かをおとしいれるなんて、絶対に、絶対にできる子じゃありません!」
 彼女の言葉には、姉としての強い確信がこもっていた。

 弟は不器用で、人付き合いは苦手かもしれないが、技術に対しては誰よりも純粋で、誠実な人間なのだと。

「きっと…誰かにはめられたんです!
 あの子の才能を妬んだ誰かに……! どうか、先生のお力で、弟の無実を証明してください……!」

 英里香は、沙織の言葉に静かに耳を傾けながら、思考を巡らせていた。
「高村亮」……その名前には、どこか聞き覚えがあった。以前、兄の巧か、あるいは姉の明日菜が、雑談の中で口にしていたような気がする。

「ネオ・フロンティアに、面白い若手がいる。まだ若いが、AI分野で突出した才能を持っている」と。

 状況証拠は、確かに高村亮を指し示している。しかし、姉が語る人物像と、産業スパイという犯罪の間には、あまりにも大きなギャップがあった。 そして、姉の必死の訴えは、英里香の心を強く打った。この女性は、心の底から弟の無実を信じている。

(状況証拠が揃いすぎている……まるで、彼が犯人であるかのように、お膳立てされているような…)

 須田事件の記憶が脳裏をよぎる。
 先入観は禁物だが、違和感は拭えない。
 デジタル証拠が中心となるであろうこの事件は、これまでの経験とはまた違う難しさがあるだろう。
 相手は巨大IT企業とそのライバル企業。 一筋縄ではいかないことは明らかだった。

 英里香は、目の前の憔悴しきった女性を真っ直ぐに見据えた。
「お気持ち、お察しします。 お話を聞く限り、非常に困難な事件になることは間違いありません。立証の壁は、相当に高いでしょう」
 沙織の顔に、一瞬絶望の色がよぎる。

 しかし、英里香は続けた。
「それでも…もし、あなたが心の底から弟さんの無実を信じるのであれば、私たち御門法律事務所が、全力でお力になります」

「…!ほ、本当ですか…?」
沙織の目に、微かな光が宿った。

「ええ。ただし、厳しい戦いになる覚悟はしておいてください。 私たちは、あらゆる可能性を探り、真実を追求します」

「ありがとうございます……!先生、本当にありがとうございます…!」
沙織は再び涙を流し、何度も何度も頭を下げた。

 沙織が、少しだけ安堵の表情を取り戻して事務所を後にすると、英里香はすぐにデスクの電話を取った。相手は大江戸グループ中央研究所の兄、巧だ。数回のコールの後、ややぶっきらぼうな兄の声が聞こえた。

『…なんだ、英里香か。珍しいな、昼間に』

「巧兄さん、ちょっと厄介な事件を引き受けることになったの。
 兄さんの専門知識が必要なのよ。
 デジタルフォレンジックの協力をお願いしたいのだけれど」

『デジタルフォレンジック?
また面倒そうな案件だな…内容は?』
英里香は、先ほどの沙織の話を掻い摘んで説明した。

「……ネオ・フロンティアのシステムエンジニア、高村亮って名前、覚えてる?」
受話器の向こうで、巧が息を呑む気配がした。

『高村亮…ああ、あの若手か。彼が、産業スパイ容疑?……それは、少し妙だな』
 巧の反応に、英里香は自分の直感が間違っていなかったことを確信する。

 複雑に絡み合ったデジタルの糸を解きほぐし、迷宮の奥に隠された真実を探り出す。

 新たな、そして手強い戦いの幕が静かに上がろうとしていた。
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