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第七章 : デジタルの迷宮
第41話 サイバー空間の幻影
しおりを挟む大江戸グループ中央研究所の、静謐だが常に高度な計算音が響く一室。
壁一面を埋める巨大なマルチモニターには、常人には意味不明な文字列やグラフが滝のように流れ落ちていた。
その前に座る大江戸巧と、隣で同じく鋭い視線をモニターに注ぐジャンヌ・オルレアンは、高村亮のPCから複製されたディスクイメージ、そしてネオ・フロンティア社から限定的に開示された関連サーバーのログデータという、膨大な情報の海に深く潜っていた。
「……見つけたぞ、ジャンヌ。これだ」
巧が、特定のログファイルを指し示した。
タイムスタンプは、機密情報「イカロス」の設計データが外部に送信されたとされる時刻と一致している。
送信先は、ライバル企業サイバーダイナミクスに関連すると見られるダミーサーバーのアドレスだ。
「確かに、送信ログは残っているわね。
送信元IPアドレスも、高村亮の社用PCのものと一致する」
ジャンヌは冷静に分析結果を読み上げる。
「状況証拠としては、これで十分だと検察は判断したのでしょう」
しかし、巧は眉根を寄せ、モニターを睨みつけていた。
「…おかしい。あまりにも、分かりやすすぎる」
「どういうこと、タクミ?」
「手口が単純すぎるんだ。
高村亮ほどのプログラマーなら、もっと巧妙に痕跡を消すはずだ。
それに、この送信ログ……まるで『ここに証拠がありますよ』と主張しているように、不自然なほどクリーンに残っている。
まるで、誰かがわざわざ残したみたいだ」
ジャンヌも再びログを精査し、頷いた。
「確かに…。通常のデータ送信で残るはずの、他の関連ログの一部が不自然に欠落している箇所もあるわ。
これは…誰かが意図的に、彼に不利なログだけを残し、他の痕跡を消去した…あるいは、偽のログを生成した可能性も考えられるわね」
「ああ。素人の犯行に見せかけた、プロの偽装工作…その線が濃厚だ」
巧は腕を組み、深く息をついた。
「敵は、相当な手練れだぞ」
その頃、英里香と嵐は、東京湾岸エリアに聳え立つネオ・フロンティア社の本社ビルを訪れていた。
ガラスとスチールで構成された、冷たく輝くインテリジェントビル。
厳重なセキュリティゲートを抜け、案内された会議室もまた、白とグレーを基調とした無機質な空間だった。
廊下ですれ違う社員たちの表情も硬く、まるで感情をプログラムで制御されているかのようだ。
「それで、本日はどのようなご用件でしょうか、大江戸先生」
会議室に現れたのは、会社の顧問弁護士と、高村亮の直属の上司にあたる開発部門のマネージャーだった。
顧問弁護士が鋭い視線を向けてくる。
英里香は毅然とした態度で、弁護人として高村亮の無実を確信しており、事件の真相究明のために協力を求めている旨を伝えた。
そして、亮の普段の勤務態度や、事件前後の様子について質問を始めた。
「高村君ですか……確かに、技術者としては非常に優秀でした。
彼のアイデアがプロジェクトを大きく前進させたことも事実です」
マネージャーは慎重に言葉を選びながら答える。
「しかし、その…少々、協調性に欠ける面がありましてね。 周りとのコミュニケーションをあまり取らず、自分のやり方に固執することが多かった。チーム全体の和を乱すことも、正直、ありました」
同席した亮の元同僚(会社側が選んだ人物だろう)も、同様の証言をした。
「才能は認めますが、少し扱いにくいというか…我々凡人とは違う、という意識が強かったように思います。
今回の事件は残念ですが、彼なら……あるいは、と思ってしまう部分も、なくはないですね」
言葉の端々に、亮の才能への嫉妬や、彼の孤立を示唆するニュアンスが滲む。
嵐は、黙って彼らの表情や仕草を観察していた。視線の動き、声のトーン、指先の微かな震え……。
誰もが何かを隠しているか、あるいは、会社の方針に従って当たり障りのない回答をしているように見えた。
嵐は、この冷たい組織の壁の向こうに、複雑な人間関係の歪みが存在することを直感していた。
その後、御門法律事務所に戻った嵐は、自身の情報収集ネットワークを駆使して亮の口座に振り込まれた大金の追跡を開始していた。
モニターには、暗号資産の複雑なトランザクション履歴が表示されている。
「…ちっ、面倒な真似をしやがる」
嵐は舌打ちした。
送金元は、まず海外の匿名性の高い取引所でビットコインに交換され、その後、「ミキシングサービス」と呼ばれる追跡を困難にするためのサービスを複数回経由。
さらにいくつかのダミー会社のウォレットを経由して、最終的に亮の口座に日本円で振り込まれていた。
それぞれの段階でIPアドレスは偽装され、痕跡は断片化されている。
「金の流れを追うだけでこれだ。
完全にプロの資金洗浄の手口だな。 裏社会の人間が関わっている可能性も高い」
嵐は、この金の動き自体が事件の裏に存在する大きな闇を示唆していると感じていた。
その夜、英里香は嵐と巧からそれぞれ報告を受けた。
『資金の出所は、現状では追跡不可能に近い。
相当な組織か、あるいは国家レベルの関与も疑われる手口だ』と嵐。
『データ送信のログは、ほぼ間違いなく偽装されたものだ。
犯人は高度な技術を持ち、内部事情にも精通している。
さらに、亮本人のプログラミングの癖まで模倣しようとした痕跡がある。
これは、彼を陥れるという強い意志を感じる』と巧。
デジタルな証拠、社内の複雑な人間関係、そして追跡不能な金の流れ…。
事件は、英里香が当初想定していた以上に、深く、そして複雑な様相を呈し始めていた。
サイバー空間に仕掛けられた幻影のような罠。
その中心で、一人の天才プログラマーが囚われている。
「全てが、彼を犯人だと指し示しているようで、その実、何もかもが不自然だわ…」
英里香は、窓の外に広がる煌びやかな夜景を見つめながら、気を引き締めた。
このデジタルの迷宮を踏破するには、相当な覚悟と、チームの総力が不可欠になるだろう。
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