46 / 63
第七章 : デジタルの迷宮
第42話 見えざる壁
しおりを挟む高村亮の無実を証明するためには、ネオ・フロンティア社が隠している情報へのアクセスが不可欠だった。
巧の分析でデジタル証拠の偽装工作の可能性が高まった今、英里香は確信を持って、同社の顧問弁護士との再度の交渉に臨んでいた。
今回はビデオ会議での対面だ。
モニターの向こうで、初老の男性弁護士が、いかにも老獪そうな笑みを浮かべている。
「大江戸先生、先日のご指摘、すなわちログデータの偽装工作の可能性についてですが、それはあくまで貴職の推測の域を出ませんな」
弁護士は、ゆっくりと、しかし有無を言わせぬ口調で語り始めた。
「弊社としましては、捜査機関には全面的に協力しており、提出すべきデータは全て提出済みです。
貴職が要求されているサーバーの完全なアクセスログや、内部監査の詳細記録となりますと…これは弊社の生命線とも言える最高機密情報が含まれております」
「ですが、高村さんの潔白を証明するためには、その情報が必要不可欠なのです。
偽装工作があったのなら、その証拠もその中に隠されているはずです」英里香は食い下がった。
「ふむ…しかし、それを開示することで、さらなる情報漏洩のリスク、ひいては弊社の事業継続そのものに関わる損害が発生する可能性も否定できません。
弁護士法第1条にもあります通り、我々には社会正義の実現と共に、基本的人権の擁護という使命がございますが、同時に依頼人の正当な利益を守る義務もございますのでな」
法的根拠を巧みに盾に取り、慇懃無礼な態度で要求をかわす。
英里香は、モニターの向こうの男の、冷静さを装った瞳の奥に、真実を隠蔽しようとする強い意志を感じ、苛立ちを禁じ得なかった。 交渉は完全に平行線を辿り、徒労感だけが残った。
『……法が、時に真実を隠すための壁として利用されるなんて皮肉だわ』
会議終了後、英里香は自嘲気味に呟き、事務所の自席で重いため息をついた。
状況を報告すると、御門所長は静かに頷き、いつものように落ち着いた声で言った。
「焦るな、大江戸君。
壁が高く厚く見える時ほど、どこかに脆い部分や、隠された扉があるものだ。視野を広く持ち、あらゆる可能性を探ることだ」
その言葉に少しだけ冷静さを取り戻した時、デスクのスマートフォンが着信を告げた。
ディスプレイには「大江戸 明日菜」の文字。姉からの連絡だった。
「もしもし、明日菜姉さん?」
『英里香、少し時間いいかしら?例のネオ・フロンティアの件、いくつか分かったことがあるわ』
ビデオ通話に切り替えると、モニターには寸分の隙もなく整えられたオフィスを背景に、冷静沈着な姉の姿が映し出された。
『まず、あなたが追っている漏洩したとされるAI……コードネーム「イカロス」について。
これは、単なる新製品や基幹システムのレベルではないわね』
明日菜は、手元のタブレットを操作しながら説明を続ける。
『あれは、自己学習能力と予測精度において、既存のAIとは一線を画すものよ。
完成すれば、金融、医療、交通、インフラ…あらゆる産業の根幹を覆し、ひいては国家間のパワーバランス、安全保障にまで影響を及ぼしかねない、まさに戦略的基幹技術。その価値は計り知れないわ』
英里香は息をのんだ。事件のスケールが、想像を遥かに超えていた。
『次に、ネオ・フロンティア社の内情。
表向きは急成長を遂げている優良企業だけれど、その実態はかなりきな臭い。
強引な開発スケジュールと多額の投資で、財務状況は見た目ほど盤石ではない。
社内では、技術開発を優先する高村亮のようなエンジニアたちと、短期的な利益を追求する経営陣との間で、深刻な対立があるようね。
そして、亮はその対立構造の中で、ある派閥の象徴的な存在になりつつあった…』
明日菜の分析は、事件が単なる産業スパイや社内の個人的な妬みによるものではない可能性を強く示唆していた。もっと大きな力、あるいは国家レベルの思惑が絡んでいる可能性すらある。
『……だから、英里香。この事件、慎重に進めなさい。相手は、あなたが考えている以上に巨大で、複雑かもしれないわ』
「ありがとう、姉さん。助かるわ。心しておく」
明日菜との通話を終え、英里香が重い事実に思考を巡らせていると、事務所のドアが威勢よくノックされた。
「先生!大江戸先生!お疲れ様です!」
息を切らして入ってきたのは、警視庁捜査一課の玉井二郎刑事だった。その手には、なぜかコンビニの大きな袋が握られている。
「これ!差し入れです!疲れた時には甘いものかと!」
そう言って差し出されたのは、大量のあんぱんだった。
「……ありがとう、玉井刑事。それで、何か進展でも?」英里香はあんぱんには手を付けず、冷静に尋ねた。
「は、はい!それがですね、地道に聞き込みを続けた結果、耳寄りな情報をゲットしました!」
玉井刑事は得意げに胸を張る。
「なんと、ネオ・フロンティア社の社長がですね、最近、銀座の高級クラブで相当派手に遊んでるらしいんですよ!
しかも、お相手は社員の女性だとか…これは何か裏があるかもしれません!」
「……」英里香は絶句した。
確かにスキャンダルかもしれないが、今の事件の本筋とはどう考えても関係がない。
「……そう。ありがとう、玉井刑事。
でも、今はゴシップよりも、高村さんの無実につながる確かな証拠が必要なの。
例えば、社内の不審な金の動きとか、アリバイとか…」
内心の深いため息を隠し、できるだけ穏やかに言った。
「あっ……そ、そうですよね!失礼しました!」
玉井刑事は一瞬しょんぼりしたが、すぐに気を取り直した。
「分かりました!社長のクラブ通いについては一旦忘れ、確たる証拠を探して足で稼いできます!押忍!」
そう言って敬礼すると、少しだけ残念そうにあんぱんの袋を抱え直し、慌ただしく事務所を出ていった。
(彼は彼なりに、一生懸命なのだろうけれど…)
英里香は、玉井刑事の去ったドアを見つめ、もう一度ため息をついた。ネオ・フロンティアという巨大企業が築いた分厚い壁。
その背後に蠢くかもしれない、さらに大きな力。そして、いまだ掴みどころのない真犯人の影…。
御門所長の言葉と、明日菜の警告を反芻する。
(壁があるなら、壊すか、迂回するか…あるいは、中から開けてもらうしかないわね……)
英里香は、モニターに表示されたネオ・フロンティア社のロゴを睨みつけ、次の一手を探るべく、再び思考の海へと深く沈んでいった。
0
あなたにおすすめの小説
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
仕事繁忙期の為、2月中旬まで更新を週一に致します。
カクヨム(吉野 ひな)様にも投稿しています。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
ネグレクトされていた四歳の末娘は、前世の経理知識で実家の横領を見抜き追放されました。これからはもふもふ聖獣と美食巡りの旅に出ます。
旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
アークライト子爵家の四歳の末娘リリアは、家族から存在しないものとして扱われていた。食事は厨房の残飯、衣服は兄姉のお下がりを更に継ぎ接ぎしたもの。冷たい床で眠る日々の中、彼女は高熱を出したことをきっかけに前世の記憶を取り戻す。
前世の彼女は、ブラック企業で過労死した経理担当のOLだった。
ある日、父の書斎に忍び込んだリリアは、ずさんな管理の家計簿を発見する。前世の知識でそれを読み解くと、父による悪質な横領と、家の財産がすでに破綻寸前であることが判明した。
「この家は、もうすぐ潰れます」
家族会議の場で、リリアはたった四歳とは思えぬ明瞭な口調で破産の事実を突きつける。激昂した父に「疫病神め!」と罵られ家を追い出されたリリアだったが、それは彼女の望むところだった。
手切れ金代わりの銅貨数枚を握りしめ、自由を手に入れたリリア。これからは誰にも縛られず、前世で夢見た美味しいものをたくさん食べる生活を目指す。
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる