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第七章 : デジタルの迷宮
第43話 証言者の影
しおりを挟むネオ・フロンティアという巨大企業が築いた壁は、物理的なセキュリティゲートだけでなく、社員たちの心の中にも深く根差しているようだった。
英里香は、前回とは異なり、顧問弁護士の同席を排して、高村亮と直接関わりのあったプロジェクトメンバーや、直属の上司である佐伯に個別の聞き込みを試みていた。
しかし、その成果は芳しいものではなかった。
「高村君ですか…ええ、まあ、仕事はできましたが、少しコミュニケーションが一方的というか……」
「周りの意見を聞かないところがあって、それでプロジェクトが滞ることもありましたね」
「事件については、会社からの公式な説明以外は何も…。捜査にも協力していますし……」
誰もが、判で押したように当たり障りのない言葉を繰り返す。
亮の才能を認めはするものの、その裏には必ずと言っていいほど、彼の協調性のなさや扱いにくさを指摘する言葉が続く。
直接的に彼を庇ったり、無実を示唆したりする声は、不思議なほど皆無だった。
特に、亮の才能を妬んでいたと噂される同僚エンジニアは、視線を合わせようとせず、
「彼は特別でしたから…我々とは違う次元で生きていたんじゃないですかね」と、皮肉とも諦めともつかない口調で呟いた。
そして、亮が抜擢されるまでプロジェクトリーダーに近い立場にあり、今回の事件で結果的にそのポジションを取り戻した形になった上司・佐伯。彼は温和な笑みを絶やさず、英里香の質問に丁寧に答える。
しかし、その丁寧さが逆に壁のように感じられた。
「高村君の逮捕は、本当に残念です。
まさか彼が、と今でも信じられない気持ちですよ」
佐伯はそう言いながら、一瞬だけ、英里香の目から視線を逸らした。
その僅かな動きを、英里香は見逃さなかった。
(この人は、何かを知っている…あるいは、何かを隠している…?)
しかし、それ以上の追及は、巧みにかわされてしまう。
彼らは皆、組織の一員としての立場をわきまえ、あるいは自身の保身を考えて、固く口を閉ざしている。見えざる壁、あるいは同調圧力。
英里香は、個人の良心よりも組織の論理が優先される、巨大企業特有の空気の重さを改めて感じていた。
一方、嵐は都内の喧騒から離れた、古びた雑居ビルの一室にいた。
そこは彼が情報収集のために利用している、いくつかのセーフハウスの一つだった。
薄暗い部屋の中、モニターの光だけが嵐の険しい顔を照らしている。
画面には、サイバーダイナミクス社に関する、一般には出回らない情報がリストアップされていた。
「……ハッカー集団『ケルベロス』との繋がり、元自衛隊のサイバー部隊出身者の雇用、競合他社への妨害工作の噂…やっぱり、真っ黒じゃねえか」
嵐は吐き捨てるように呟き、情報屋に電話をかけた。
「俺だ。例の件、サイバーダイナミクスに雇われてるっていう”掃除屋”……産業スパイの後始末とか、証拠隠滅を専門にやる連中のことだ。何か情報は掴めたか ?」
『……いや、まだだ。連中は尻尾を掴ませない。
かなり腕が立つプロ集団らしい 。だが、少し気になる動きはある。
最近、ネオ・フロンティアの件と関連がありそうな金の動きが…』
「詳しく話せ」
嵐は、電話の向こうの情報屋から、サイバーダイナミクス周辺の不審な金の流れや、暗躍する「掃除屋」の存在について、断片的な情報を得た。
決定的な証拠ではない。
だが、今回の事件が、単なる内部犯行ではなく、サイバーダイナミクス側が仕掛けた、より組織的な工作である可能性を補強するものだった。
嵐は、諦めずに糸を辿り続けることを決意する。
その頃、大江戸グループ中央研究所では、巧がモニターに映し出された複雑なコードと格闘していた。
偽装されたログデータの解析は、パズルのピースを一つ一つ嵌めていくような地道な作業だ。
そこへ、予告なく研究室のドアが勢いよく開き、フリル付きの白衣を着た潮来由利凛が、ヘルメットのような奇妙な機械を小脇に抱えて姿を現した。
「巧兄ちゃん ! 待たせたのう ! ついに完成したぞ、犯人特定マシーンが !」
由利凛は、アンテナが林立し、無数のランプが点滅するそのヘルメットを、得意満面に掲げてみせた。
「これぞ、妾の最新発明 !
『残留思念ハッキング探知くんゼーット!』じゃ ! ネオ・フロンティア社に行ってこれを被れば、犯人がキーボードを叩いた時に放った邪悪な残留思念波をキャッチ !
その周波数から、犯人の脳波パターンを逆算し、IPアドレスどころか、今夜の夕食のメニューまで特定できる、画期的なデバイスなのじゃ !」
モニターから目を離すことなく、巧は冷静に、しかしはっきりと告げた。
「由利凛、まず残留思念に周波数もIPアドレスも夕食のメニューもない。
それは科学ではなくオカルトだ。
それに、その機械、以前にも似たようなコンセプトで研究所のメインサーバーを危うくメルトダウンさせかけたのを覚えているか ?」
「む!あれは不可抗力じゃ!
今回は改良を加えたからのう!」
「頼むから、今回は本当に、本当に余計なことはしないでくれ。こっちは今、1ビットのノイズも許されない繊細な解析をしているんだ」
巧の静かだが有無を言わせぬ口調に、由利凛は
「むむぅ…天才の孤独は、凡人には理解できぬものじゃ…」と不満そうに呟きながらも、すごすごとヘルメットを抱えて研究室から出て行った。
巧は小さくため息をつき、再び解析作業に集中した。
夜、英里香は事務所で、嵐からの報告と、自身の聞き込み調査の結果を整理していた。
サイバーダイナミクスの黒い影、そしてネオ・フロンティア社員たちの不自然なまでの沈黙。
特に上司である佐伯への疑念は、確証こそないものの深まる一方だった。
(証言者の影…誰もが口を閉ざし、真実は厚いベールに覆われている。 でも、彼らの言葉の端々、視線の揺らぎにこそ、隠された真実への糸口があるはず…)
今はまだ、暗闇の中を手探りで進むしかない。
だが、英里香は諦めなかった。
粘り強く、一つ一つの影を追い、真実の光を手繰り寄せる。
その決意を胸に英里香は深く息を吸い込んだ。
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