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第七章 : デジタルの迷宮
第48話 逆転の証明
しおりを挟む最終弁論の日。
東京地方裁判所の法廷は、これまでの公判とは比較にならないほどの重い緊張感と、固唾を飲んで真実の行方を見守る人々の熱気に満ちていた。
被告人席の高村亮は、憔悴の中にも強い意志を宿した瞳で前を見据え、その隣で英里香は静かに呼吸を整えていた。
傍聴席の沙織は、きつく目を閉じ祈るように両手を組んでいる。
やがて、裁判長の許可を得て英里香は弁護人席から静かに立ち上がり、法廷全体を見渡してから語り始めた。
「裁判長、そして裁判員の皆様。
検察官は、一連の状況証拠を積み重ね、被告人・高村亮氏が金銭目的で会社の機密情報を漏洩した、と主張されました。
しかし、それらの証拠がいかに脆弱で、そして悪意をもって歪められたものであるか、我々弁護側はこれまでの審理で明らかにしてまいりました。本日は、その最終的な証明をさせていただきます」
英里香の声は静かだが、法廷の隅々まで響き渡るような力強さを持っていた。
まず、大型モニターに映し出されたのは、巧が発見したサーバーログの解析結果だった。
「こちらをご覧ください。これは、検察側が最大の根拠とした、被告人のPCからデータが送信されたとされる時刻のサーバーログです。
しかし、詳細な解析の結果、このログには第三者による明確な改ざんの痕跡が確認されました」
英里香は、巧の解析に基づき、タイムスタンプの不整合、削除されたコマンド履歴などを具体的に指摘した。
「これほど高度なログ改ざんを行えるのは、ネオ・フロンティア社のシステムとセキュリティを知り尽くし、かつシステム全体をコントロールできる管理者権限を持つ人物以外にはありえません」
そして、英里香は畳み掛けるように続けた。
「その条件に合致し、かつ被告人を陥れる動機を持つ人物…それは、被告人の上司であり、セキュリティ部門の責任者でもある、佐伯氏です」
英里香が佐伯の名前を口にした瞬間、法廷内に大きな動揺が走った。傍聴席の記者たちが一斉にメモを取り始める。
「匿名ながら、内部からの良心に基づく告発がありました。
そこには、佐伯氏が高村氏の類稀なる才能に激しい嫉妬を抱き、自身の地位が脅かされることを恐れていたこと、そして、ライバル企業であるサイバーダイナミクス社から多額の見返りを受け取る約束で今回の犯行に及んだことが記されていました」
モニターには、匿名告発メールの要旨(個人情報などは伏せた上で)と、嵐が決定的瞬間を捉えた、佐伯とサイバーダイナミクス幹部が高級ホテルのバーで密会し、金品の受け渡しを匂わせる写真が映し出された。
「佐伯氏は、セキュリティ責任者としての立場を悪用し、高村氏のアカウントで不正アクセスを実行。
機密データを外部に送信した後、そのログデータを巧妙に改ざん・偽装し、全ての罪を高村氏一人に着せたのです。 これが、事件の真相です」
英里香は、これまでに集めた証拠をパズルのピースのように組み合わせ、佐伯の犯行に至る動機、計画、そして実行のプロセスを、揺るぎない論理で再構築してみせた。
しかし、決定的な一撃は、まだ残されていた。
英里香は、検察側が提出した佐伯のアリバイに関する書類に言及した。
「佐伯氏は、犯行があったとされる時刻、社内の別室で重要な承認書類を作成しており、アリバイがあると主張しています。 その証拠として提出された書類がこちらです」
モニターに、問題の書類が映し出される。
一見、何の変哲もない書類だ。
「しかし、皆様、この書類の右下に押された、佐伯氏の私印にご注目ください」
印影が拡大表示される。
それと同時に、英里香はもう一枚の写真をモニターに並べて表示させた。
それは、(第47話で)由利凛が持ってきた、若き日の佐伯がコスプレ姿で得意げに手にしている、あの特徴的な万年筆の写真だった。
「この、非常に特徴的な形状を持つ印影……これは、佐伯氏が長年愛用している、この螺鈿細工が施された高級万年筆のキャップの先端に特注で取り付けられた私印の印影と寸分違わず一致します」
法廷が息をのむ。 英里香は、さらに続けた。
「そして皆様、驚くべき事実が判明しました。
この万年筆は、先日、佐伯氏の自宅から任意提出を受け、専門家による微物鑑定が行われました。
その結果……この万年筆のペン先から、犯行に使われたコンピューターのキーボード、あるいは偽装工作を行ったサーバー室の周辺から付着したと考えられる、ごく微量な、しかし特徴的な金属粉塵が検出されたのです !
これは、この万年筆が佐伯氏のアリバイ工作だけでなく、犯行そのものにも関与していた可能性を強く示唆する、極めて重要な物的証拠です !」
(由利凛…たまには役に立つのね…)
英里香は内心で、あのトラブルメーカーに一瞬だけ感謝した。
予想だにしなかった証拠(万年筆というアナログな物証)の登場に傍聴席にいた佐伯は、みるみるうちに顔面蒼白となり、わなわなと震えだした。 その動揺は、誰の目にも明らかだった。
次々と繰り出される決定的な証拠と、それを繋ぎ合わせる完璧な論理構成。
検察官は、もはや反論の言葉を見つけることができず力なくうなだれた。
その表情は、完全な敗北を物語っていた。
英里香は、最後に裁判官と裁判員に向き直り、静かに、しかし確信に満ちた声で訴えた。
「もはや、疑いの余地はありません。
被告人・高村亮氏は無実です。
彼は個人的な嫉妬と組織の論理、そして金銭欲に駆られた人物によって仕組まれた、卑劣極まりない罠の犠牲者なのです。
才能ある一人の若者の未来が、理不尽に奪われようとしました。
どうか、裁判長、そして裁判員の皆様の賢明なるご判断をもって、闇に葬られかけた真実を白日の下にさらし、被告人に正義の光を当ててくださいますよう、弁護人として心からお願い申し上げます」
英里香の言葉が、静まり返った法廷に響き渡る。弁論を終え英里香が着席すると、被告人席の亮は、溢れる涙を堪えるように、深く、深く頭を下げた。
傍聴席の沙織は嗚咽を漏らしながら、隣の支援者と抱き合っていた。
高村亮の無実は、もはや誰の目にも明らかだった。
法廷には重苦しい空気を打ち破る、確かな正義の到来を予感させる空気が満ちていた。
あとは、厳粛な判決を待つだけである。
逆転の証明は果たされたのだ。
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