二八の約束🐾愛猫のそばで

月影 流詩亜

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第3話 雨音と毛玉の記憶

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​ 降りしきる雨が、古い瓦屋根を叩く。その音を聞くたびに、美冬の胸の奥は今でもちりりと痛む。

​ 五年前、母・美秋が「自分の人生を生きる」と書き置きを残して家を出た、あの日もひどい雨だった。

 伝統を守ることに執念を燃やす祖母と、そこから逃げ出した母。
 二人の板挟みになり、どちらの味方もできずにいた中学生の美冬は、自分の居場所が家の中から消えてしまったような、ひどい疎外感の中にいた。

​ 店の裏口にある、蕎麦殻を一時的に置いておく小屋の隅。
 そこで美冬は、震える小さな「塊」を見つけた。

​「……あ」

​ 段ボールの隙間に押し込まれていたのは、泥と雨にまみれて、もとの毛色すらわからないほど汚れた子猫だった。

 親猫とはぐれたのか、あるいは捨てられたのか。子猫は弱々しく「ひゃぅ」と、声にもならない声を上げ、虚ろな瞳で美冬を見上げていた。

​ その姿は、バラバラになった家族の中で、どう振る舞えばいいかわからず震えている美冬自身と、あまりにも似ていた。

​「大丈夫だよ」

​ 美冬は迷わず子猫を抱き上げた。

 祖母に見つかれば怒鳴られるかもしれない。けれど、冷たくなったこの小さな命を放っておくことなんてできなかった。自分の部屋に忍び込み、泥を拭い、ぬるま湯で体を温める。

 少しずつ乾いていく毛並みから、柔らかな杏色(あんずいろ)が顔を出した。

​「あんず……杏って呼んでもいい?」

​ 美冬が差し出したミルクを、杏は一生懸命に舐めとった。しばらくすると、杏はよろよろと美冬の膝の上まで這い上がり、そのまま深い眠りに落ちた。

 小さな、けれど確かな心臓の鼓動が、美冬の手のひらに伝わってくる。

​「寂しいのは、私だけじゃないんだね」

​ 美冬は、眠る杏の頭を指先でそっと撫でた。
 母がいなくなったこの家で、自分の声を聞いてくれる相手なんて誰もいないと思っていた。でも、この子は違う。この子には、私が必要なんだ。

​「約束するよ。私は、もうどこにも行かない。ずっと、あなたのそばに居るから」

​ その言葉は、杏に捧げると同時に、自分自身への誓いでもあった。

 窓の外では激しい雨音が続いていたが、美冬の心には、小さな灯火が宿っていた。


​ 現在……縁側でまどろむ杏の背中を見つめながら、美冬はそっと呟く。

「あの時は『私が守らなきゃ』って思ってたけど……結局、いつも隣にいて守ってくれてるのは、アンの方だよね」

​ 杏は夢を見ているのか、ピクンと耳を動かした。その平穏な姿こそが、美冬が蕎麦の修行を続けるための、たった一つの、そして最大の理由だった。


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