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第3話 雨音と毛玉の記憶
しおりを挟む 降りしきる雨が、古い瓦屋根を叩く。その音を聞くたびに、美冬の胸の奥は今でもちりりと痛む。
五年前、母・美秋が「自分の人生を生きる」と書き置きを残して家を出た、あの日もひどい雨だった。
伝統を守ることに執念を燃やす祖母と、そこから逃げ出した母。
二人の板挟みになり、どちらの味方もできずにいた中学生の美冬は、自分の居場所が家の中から消えてしまったような、ひどい疎外感の中にいた。
店の裏口にある、蕎麦殻を一時的に置いておく小屋の隅。
そこで美冬は、震える小さな「塊」を見つけた。
「……あ」
段ボールの隙間に押し込まれていたのは、泥と雨にまみれて、もとの毛色すらわからないほど汚れた子猫だった。
親猫とはぐれたのか、あるいは捨てられたのか。子猫は弱々しく「ひゃぅ」と、声にもならない声を上げ、虚ろな瞳で美冬を見上げていた。
その姿は、バラバラになった家族の中で、どう振る舞えばいいかわからず震えている美冬自身と、あまりにも似ていた。
「大丈夫だよ」
美冬は迷わず子猫を抱き上げた。
祖母に見つかれば怒鳴られるかもしれない。けれど、冷たくなったこの小さな命を放っておくことなんてできなかった。自分の部屋に忍び込み、泥を拭い、ぬるま湯で体を温める。
少しずつ乾いていく毛並みから、柔らかな杏色(あんずいろ)が顔を出した。
「あんず……杏って呼んでもいい?」
美冬が差し出したミルクを、杏は一生懸命に舐めとった。しばらくすると、杏はよろよろと美冬の膝の上まで這い上がり、そのまま深い眠りに落ちた。
小さな、けれど確かな心臓の鼓動が、美冬の手のひらに伝わってくる。
「寂しいのは、私だけじゃないんだね」
美冬は、眠る杏の頭を指先でそっと撫でた。
母がいなくなったこの家で、自分の声を聞いてくれる相手なんて誰もいないと思っていた。でも、この子は違う。この子には、私が必要なんだ。
「約束するよ。私は、もうどこにも行かない。ずっと、あなたのそばに居るから」
その言葉は、杏に捧げると同時に、自分自身への誓いでもあった。
窓の外では激しい雨音が続いていたが、美冬の心には、小さな灯火が宿っていた。
現在……縁側でまどろむ杏の背中を見つめながら、美冬はそっと呟く。
「あの時は『私が守らなきゃ』って思ってたけど……結局、いつも隣にいて守ってくれてるのは、アンの方だよね」
杏は夢を見ているのか、ピクンと耳を動かした。その平穏な姿こそが、美冬が蕎麦の修行を続けるための、たった一つの、そして最大の理由だった。
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