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第2話 アルデンテの挑発
しおりを挟む 昼時、忙しさのピークを過ぎた店内に、カランカランと場違いに軽やかなベルの音が響いた。
暖簾をくぐってきたのは、となり町でイタリア料理店を営む母、美秋だった。
「母さん、相変わらずお元気そうで。美冬、顔色が悪いわよ。また朝から粉に振り回されてるんでしょ?」
美秋は、老舗の空気にそぐわない華やかな香水の香りを振りまきながら、カウンターに腰を下ろした。奥から出てきた祖母の美夏が、苦虫を噛み潰したような顔をする。
「あんた、修行の邪魔をしに来たんなら、とっととお帰り。ここはパスタなんてチャラチャラしたものを出す場所じゃないんだ」
「相変わらずね。私はただ、娘が古臭い因習に押し潰されてないか心配してるだけ。
ねえ美冬、無理してここを継ぐ必要なんてないのよ。今の時代、蕎麦一本で生きていくなんて、茹でたてのスパゲッティより脆いんだから」
美冬は返事ができなかった。
母が家を出たのは、祖母との確執だけではない。変わりゆく時代の中で「伝統」という重荷を背負い続けることを拒んだのだ。
その合理的な考え方は、今の自信を失った美冬の心に、毒のように甘く浸透してくる。
夕暮れ。母が去った後の店内で、美冬は一人、縁側に腰を下ろしていた。
冷えてきた空気が、修行で強張った肩に刺さる。自分には才能がないのではないか。母の言う通り、楽な道があるのではないか……
その時、膝の上にどさりと重みが加わった。
「……アン」
杏だった。彼女は美冬の太ももの上で、念入りに足踏みをして居心地のいい場所を確保すると、くるりと丸まった。
美冬は、粉で荒れた指先で、杏の柔らかな耳の付け根をそっと撫でる。
「ごめんね、アン。母さん(美秋)が来ると、私、いつも余裕なくなっちゃう。……でも、アンは変わらないね」
杏は「グルル……」と、胸の奥で小さなエンジンをかけているような音を鳴らし始めた。その規則正しい振動が、美冬の指先から腕へ、そして強張った心臓へと伝わっていく。
誰かに評価されるわけでもなく、見返りを求めるわけでもない。ただそこにいて、体温を分け合ってくれる。その圧倒的な肯定感に、美冬の目の奥が熱くなった。
「ありがとう、アン。あなたがそばにいてくれるだけで、私、まだここに立ってられるよ」
美冬は、杏の背中に顔を埋めた。陽だまりを凝縮したようなお日様の匂いが、母の香水の残香を塗り替えていく。
「ずっと側にいるよ」と言ったあの日。
救われたのは杏ではなく、自分のほうだったのだと、美冬は強く実感していた。
杏は一度だけ「ニャッ」と短く鳴き、美冬の手のひらをザリザリとした舌で舐めた。
まるで、迷う背中を小さな力で押し出してくれるかのように。
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