二八の約束🐾愛猫のそばで

月影 流詩亜

文字の大きさ
6 / 11

第6話 母ちゃんの「雨」の匂い

しおりを挟む

​ アタシたち猫にとって、人間は「音」と「匂い」の塊だ。

​ 母ちゃん……美冬は、いつもはお日様が当たったわらのような、香ばしくて優しい匂いがする。アタシが一番好きな匂いだ。
 でも、最近の母ちゃんからは、あの嫌な日の匂いがする。

​ あの日……アタシが冷たい雨に打たれて、身体が石みたいに動かなくなっていた時、アタシを抱き上げてくれた母ちゃんの目からこぼれた、あの「雨」の匂い。

 人間はそれを「涙」と呼ぶらしいけれど、アタシにしてみれば、それは心が壊れそうになっている合図だ。

​(……母ちゃん、また雨が降ってるの?)

​ アタシは打ち場の高い棚の上から、母ちゃんを見下ろす。
 真っ白な粉にまみれて、大きな木鉢をかき回している母ちゃんの背中は、アタシが知っているよりずっと小さく見えた。
 
 あの「おっかないお婆(美夏)」が何かを言うたびに、母ちゃんの匂いがツンと尖る。

 あの「派手な匂いの女(美秋)」が来ると、母ちゃんの鼓動がバクバクと早くなる。
 
 アタシは、母ちゃんが一生懸命作っているあの「細長い食べもの」が何なのか、本当のところはよく知らない。
 でも、母ちゃんがそれを作るとき、アタシとの約束「ずっと側にいるよ」っていう約束を、心の中で何度も反唱していることだけはわかる。

​ アタシにできることは、少ない。

 蕎麦は打てないし、お婆を追い払うこともできない。

​ でも、アタシは知っている。

 母ちゃんの心が千切れそうになった時、アタシがその足元に体を擦り付ければ、母ちゃんの指先に少しだけ「温もり」が戻ることを。

 アタシが喉を鳴らせば、母ちゃんの強張った肩が、ほんの少しだけ緩むことを。

​(大丈夫だよ、母ちゃん。アタシはどこにも行かないから)

​ アタシは棚の上から飛び降りて、母ちゃんの足元へ向かう。

 粉が舞って鼻がムズムズするけれど、そんなの構わない。
 
 アタシは、母ちゃんの「そば」の守護者なんだ。

 母ちゃんの心に降る雨を乾かせるのは、アタシの毛並みの温かさだけなんだから。

​「にゃあ」

​ 精一杯の声を出す。

 振り向いた母ちゃんの瞳に、ほんの少しだけ光が灯るのを、アタシは見逃さなかった。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

ちゃんと忠告をしましたよ?

柚木ゆず
ファンタジー
 ある日の、放課後のことでした。王立リザエンドワール学院に籍を置く私フィーナは、生徒会長を務められているジュリアルス侯爵令嬢アゼット様に呼び出されました。 「生徒会の仲間である貴方様に、婚約祝いをお渡したくてこうしておりますの」  アゼット様はそのように仰られていますが、そちらは嘘ですよね? 私は最愛の方に護っていただいているので、貴方様に悪意があると気付けるのですよ。  アゼット様。まだ間に合います。  今なら、引き返せますよ? ※現在体調の影響により、感想欄を一時的に閉じさせていただいております。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

幼い頃、義母に酸で顔を焼かれた公爵令嬢は、それでも愛してくれた王太子が冤罪で追放されたので、ついていくことにしました。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 設定はゆるくなっています、気になる方は最初から読まないでください。 ウィンターレン公爵家令嬢ジェミーは、幼い頃に義母のアイラに酸で顔を焼かれてしまった。何とか命は助かったものの、とても社交界にデビューできるような顔ではなかった。だが不屈の精神力と仮面をつける事で、社交界にデビューを果たした。そんなジェミーを、心優しく人の本質を見抜ける王太子レオナルドが見初めた。王太子はジェミーを婚約者に選び、幸せな家庭を築くかに思われたが、王位を狙う邪悪な弟に冤罪を着せられ追放刑にされてしまった。

処理中です...