二八の約束🐾愛猫のそばで

月影 流詩亜

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第8話 深夜の守護者

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​ 夜が深まると、世界から音が消える。

 この古い家が時折、ミシリと骨を鳴らす音と、遠くで聞こえる風の音だけ。

 そして……

​ トン トン トン トン 

​ 規則正しく、リズムを刻む音。

 アタシは打ち場の高い棚の上、粉がかからない一番端っこで、重たくなっていくまぶたと戦っていた。
 
(ふぁ……いけない、寝ちゃダメだ。アタシが寝たら、誰が母ちゃんを応援するのさ)

​ 下では、母ちゃんがたった一人、電球の下で蕎麦を打っている。

 昼間の失敗なんて嘘みたいに、今の母ちゃんの動きには無駄がない。粉を混ぜ、練り、伸ばしていく。その一挙手一投足から目が離せない。

​ アタシにはわかる。母ちゃんの指先から、あの「嫌な雨の匂い」が消え、代わりに凛とした、冷たくて清らかな水の匂いが立ち上っているのを。
 
 母ちゃんが大きく生地を広げる。

 その時、母ちゃんがふっと肩を落として、動きを止めた。

 静寂が、重たく打ち場にのしかかる。

​(母ちゃん……?)

​ アタシは棚から身を乗り出した。

 母ちゃんは、自分の手を見つめて震えている。
きっと、またあのお婆の言葉や、あの香水の女の言葉が、耳元でうるさく鳴っているんだ。
 
 アタシは思い切って、棚からしなやかに飛び降りた。

 トサッ、と粉の舞う床に着地し、母ちゃんの足元へ駆け寄る。
 
「……にゃん」

​ 甘えた声じゃない。叱咤するような、短く強い声。
 母ちゃんの長いエプロンの裾を、甘噛みしてグイと引いた。
 
『顔を上げて、母ちゃん。アタシが見てる。アタシが世界で一番近くで、母ちゃんの頑張りを見てるんだから』

​ 母ちゃんがハッとしたように、アタシを見た。
 
「……アン。起きてたの? ごめんね、寂しくさせちゃったかな」

​ 違うよ、母ちゃん。寂しいのは、母ちゃんの方でしょ。

 アタシは母ちゃんの足に、自分の身体を力いっぱい押し付けた。アタシの体温を、母ちゃんの冷えた脚に、そして心に、全部移してあげるみたいに。
 
 母ちゃんは深呼吸をして、もう一度、麺棒を握り直した。
 
「ありがと。……そうだね、アンが見ててくれるもんね。最後まで、やり遂げるよ」
 
 再び、リズムが動き出す。
 トン、トン、トン、トン。
 
 アタシはもう一度、高い場所へと駆け上がった。

 眠気なんて、どこかへ飛んでいった。

 夜が明けるまで。母ちゃんが、納得のいく「花」を咲かせるまで。

 アタシは瞬きすら惜しんで、その「一番のそば」に居続けるんだ。

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