10 / 38
第二部:天下布武と二人の軍師
第10話 迷子の功名
しおりを挟む「ああ、私はなんというミスを~~~~~っ!」
夜の森に響き渡る俺の情けない慟哭は、背後から振り下ろされた利家の拳によって、物理的に止められた。
「やかましい!泣いて道が分かるか、たわけが!」
利家の怒声が、ゴツンと鈍い痛みが走る頭の上から降り注ぐ。彼の顔は、怒りと焦りで鬼のようだった。
無理もない。この絶体絶命の状況で、唯一の命綱であった地図を、俺は握り飯でダメにしてしまったのだから。
「も、申し訳ございません!この通りでございます!」
俺は馬から転げ落ちるようにして、泥だらけの地面に額をこすりつけた。しかし、謝罪で兵糧が湧くわけでも、道が開けるわけでもない。
「……こうなれば、仕方あるまい」
利家は深いため息をつくと、俺の襟首を掴んで無理やり立たせた。
「学人、貴様の記憶を頼る!朧げでも構わん。信長様が見ていた地図の道を思い出せ!」
「む、無茶でございます!
私の記憶など、味噌で汚れた地図よりも当てになりませぬ!」
「黙れ!やるしかないのだ!」
こうして、俺たちの絶望的な彷徨が始まった。
俺の曖昧な記憶を頼りに、右へ、左へと進むが、周囲はどこまで行っても同じような木々が続くだけ。
兵たちの間にも、次第に不安と疲労の色が広がっていく。
「利家様……本当に、この道で合っておりますのか……」
「学人殿の顔色が、ますます土気色に……」
利家は「黙って歩け!」と一喝して士気を保とうとするが、その額にも脂汗が滲んでいた。
俺は、もはや半泣き状態で利家の馬の鞍にしがみついているだけだった。
やがて、道とも呼べぬような、草木が生い茂る狭い獣道へと迷い込んだ。
「こ、こちらでございます!確か、地図にこのような抜け道が……あったような気がいたします……!」
俺の自信のない言葉に、利家も「本当か?」と疑いの目を向けるが、もはや他に道はない。
一行が、息を潜めるようにその獣道を進んでいた、その時だった。
すぐ近く、おそらくは並行して走る街道の方から、地響きのような音が聞こえてきた。
ーードッドッドッドッ……!
数えきれないほどの馬蹄の音と、鎧の擦れる音、そして人々の荒い息遣い。
「……静かにしろ!伏せろ!」
利家の鋭い号令で、俺たちは慌ててその場に身を伏せた。
木の葉の隙間から、街道の方角を窺う。
そこを、松明の光を連ねた大軍が、凄まじい勢いで駆け抜けていくのが見えた。
旗印は、朝倉家のものだ。
「……追撃の本隊か。危ないところだった……」
利家は、冷や汗を拭って安堵の息を漏らす。
俺たちは、ただ運良く見つからなかっただけだと思っていた。
この獣道に迷い込んだおかげで、敵の主力部隊との正面衝突を奇跡的に回避できたことなど、知る由もなかったのだ。
夜が明け、疲労困憊のまま山中を彷徨い続けた俺たちは、ついに森を抜け、開けた場所へと転がり出た。
そして、目の前に広がっていた光景に言葉を失った。
そこは、小さな川が流れる谷間のようになっており、数十の荷駄と共に、多くの兵たちが休息を取っていたのだ。
彼らは武装を解き、焚火を囲んで談笑したり、川で馬に水を飲ませたりと、完全に油断しきっていた。
そして、その掲げられた旗印は……浅井家のものだった。
「……敵……」
利家が、唸るように呟く。
しかも、その様子からして、戦闘部隊ではない。前線へ兵糧や武具を運ぶ、補給部隊のようだった。
浅井の兵たちも、森から突然現れた俺たちに気づき、一瞬、何が起きたか分からないといった顔できょとんとしている。
その数秒の静寂を破ったのは、やけくそになった利家の雄叫びだった。
「うおおおおっ! 敵襲と勘違いしたか、者ども!こうなれば、やぶれかぶれじゃあ!」
利家は、自ら槍を構えると、真っ先に敵陣へと突っ込んでいった。
「かかれぇぇぇっ!」
俺たちも、もはやどうにでもなれという気持ちで、その後に続く。
完全に意表を突かれた浅井の補給部隊は、何の抵抗もできなかった。
非戦闘員も多い彼らは、鬼の形相で突撃してくる利家たちを見て、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
戦いは、一方的な蹂躙に終わった。
俺たちは、そこに残された大量の兵糧を焼き払い、追撃の足を少しでも遅らせることに成功したのだった。
数日後、命からがら京の都へたどり着いた信長様の本陣。
そこでは、竹中半兵衛が、各地から集まる報告を元に、各部隊の損害状況と撤退経路の確認を不眠不休で続けていた。
「……柴田殿の隊は、損害三十」
「丹羽殿は、五十か……」
苦々しい表情で筆を走らせる半兵衛の元へ、新たな報告書が届けられた。
「……前田利家、及び呉学人の部隊より、報告にございます」
半兵衛は、何気なくその報告書に目を通し……そして、凍りついた。
「……損害、数名。そして……浅井軍の補給部隊を撃破、兵糧を焼却……?」
馬鹿な、と半兵衛は地図を広げた。
報告書に記された戦闘場所は、正規の退却路から大きく外れた、山中の僻地。
なぜ、そんな場所に……
半兵衛は、地図上の点と点を思考の糸で結びつけていく。
正規の退却路を外すことで、朝倉の追撃本隊の予測から逃れる。
そして、あえて険しい獣道を進むことで、敵の斥候網を完全に掻い潜る。
その最終目的は……敵の追撃能力そのものを奪うための、兵站への直接攻撃。
全ての駒が、盤上にはまったかのように、完璧な意味を持ち始めた。
「まさか……」
半兵衛の背筋を、冷たい汗が伝った。
「陽動と見せかけ、敵の追撃部隊を避け、兵站を叩くのが……真の目的だったというのか……」
あの時、信長様は確かに彼らを「陽動」だと言った。
だが、それは敵だけでなく、味方をも欺くための偽装だったとしたら?
半兵衛の脳裏に、軍議で恥をかき、うろたえていた呉学人の姿が蘇る。
あの姿さえも、自らの真意を隠すための「演技」だったとでも言うのか。
「私の策など……彼の掌の上だったとは……」
竹中半兵衛は、呉学人という軍師の、その底知れない深謀遠慮に、もはや戦慄を禁じ得なかった。
1
あなたにおすすめの小説
武田義信は謀略で天下取りを始めるようです ~信玄「今川攻めを命じたはずの義信が、勝手に徳川を攻めてるんだが???」~
田島はる
歴史・時代
桶狭間の戦いで今川義元が戦死すると、武田家は外交方針の転換を余儀なくされた。
今川との婚姻を破棄して駿河侵攻を主張する信玄に、義信は待ったをかけた。
義信「此度の侵攻、それがしにお任せください!」
領地を貰うとすぐさま侵攻を始める義信。しかし、信玄の思惑とは別に義信が攻めたのは徳川領、三河だった。
信玄「ちょっ、なにやってるの!?!?!?」
信玄の意に反して、突如始まった対徳川戦。義信は持ち前の奇策と野蛮さで織田・徳川の討伐に乗り出すのだった。
かくして、武田義信の敵討ちが幕を開けるのだった。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
皇国の栄光
ypaaaaaaa
歴史・時代
1929年に起こった世界恐慌。
日本はこの影響で不況に陥るが、大々的な植民地の開発や産業の重工業化によっていち早く不況から抜け出した。この功績を受け犬養毅首相は国民から熱烈に支持されていた。そして彼は社会改革と並行して秘密裏に軍備の拡張を開始していた。
激動の昭和時代。
皇国の行く末は旭日が輝く朝だろうか?
それとも47の星が照らす夜だろうか?
趣味の範囲で書いているので違うところもあると思います。
こんなことがあったらいいな程度で見ていただくと幸いです
土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
連合艦隊司令長官、井上成美
ypaaaaaaa
歴史・時代
2・26事件に端を発する国内の動乱や、日中両国の緊張状態の最中にある1937年1月16日、内々に海軍大臣就任が決定していた米内光政中将が高血圧で倒れた。命には別状がなかったものの、少しの間の病養が必要となった。これを受け、米内は信頼のおける部下として山本五十六を自分の代替として海軍大臣に推薦。そして空席になった連合艦隊司令長官には…。
毎度毎度こんなことがあったらいいな読んで、楽しんで頂いたら幸いです!
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる