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第6話:特等席はフタの上🐾明日は特別な日
しおりを挟む🐾ジョー視点🐾
あれから二年。
私は立派なレディへと成長し、艶やかな黒毛はさらに磨きがかかった。
相変わらず、マユミがお風呂に向かうと、私はすりガラスの扉の前で待機し、「しょうがないから開けてあげなさいよ」と鳴いて浴室に入るのが日課になっている。
けれど、一つだけ大きな問題があった。
あの『黄色い小舟』……洗面器が、私には小さくなりすぎてしまったのだ。
いや、私が太ったわけではない。
立派に成長しただけだ。
だが、無理にあの丸い器に収まろうとすると、長い手足やふくよかなお尻がどうしてもはみ出してしまう。
一度、無理やり入ろうとしてツルッと滑り、片足がお湯に浸かりそうになったという屈辱的な事件があって以来、私は洗面器を諦めることにした。
今の私の特等席は、お湯が冷めないように半分だけ閉められた『お風呂のフタ』の上だ。
ここなら足は濡れないし、下からの蒸気で岩盤浴のように暖かい。何より、お湯に浸かるマユミの顔を、一番いい角度で見下ろして監視することができる。
「ふふっ、ジョー、今日も見回りに来てくれたの?」
「……にゃぅ(監視任務よ、勘違いしないで)」
私は短く答え、フタの上で香箱座りを作った。
二年前、このお風呂場で毎晩のようにシクシクと泣いていたマユミは、もういない。
今のマユミは、防水カバーに入れた光る板(スマホ)をお風呂に持ち込み、湯船に浸かりながら何やら楽しそうに指を動かしている。
「うーん……明日の『猫の日』用の短編、どうしようかな。いっそ、猫だけじゃなくて犬も出しちゃおうかな。……ポメラニアンと猫のドタバタ劇とか、どう思う? ジョー」
マユミが、お湯の中から私を見上げて笑いかけてくる。
ポメラニアンだか何だか知らないけれど、光る板に向かうマユミから漂うのは、二年前のあの「悲しい匂い」ではなく、ワクワクとした「楽しい匂い」だ。
カクヨムとかいう場所で、自分の書いた物語を誰かに読んでもらう喜びを、マユミはすっかり取り戻したらしい。
「にゃあ(好きにすれば? ちゃんと面白く書きなさいよ)」
「あはは、ジョーも賛成してくれてる。よし、これでいこう!」
マユミは嬉しそうにスマホの画面をタップし続ける。そして、ふと思いついたように顔を上げた。
「そういえば、明日は二月二十二日。特別な日だね。ジョーたちには、特大のチュールを用意してあるからね。楽しみにしてて」
チュール。その甘美な響きに、私の耳はピクッと反応してしまった。
いけない、いけない。私は誇り高き黒猫。食べ物で釣られるような安い女ではないのだ。
「ふぁぁ……」
私は動揺を隠すように、わざとらしく大きなあくびをして見せた。そして、フタの上で目を細め、静かに喉を鳴らし始める。
ゴロゴロゴロゴロ……
……まあ、いいでしょう。
あなたが泣かずに、楽しそうに光る板に向かっていられるのなら。そして、明日美味しいものを貢いでくれるというのなら。
(これからも、この特等席から執筆の監視くらいはしてあげるわ。……あんたには、私が必要みたいだからね)
浴室に響くタイピングの音と、私自身の心地よいゴロゴロ音。
湯気の向こうで微笑むマユミの顔を見つめながら、私は静かにまどろみの世界へと落ちていった。
── おわり ──
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