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川本明青

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2 マコト君と悠斗君

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 少し迷ってから、教えてもらっていたマコト君の家にたどり着いた。

 チャイムは壊れていて、押してもカスッという気の抜けた手応えしかない。直接何度かドアをノックすると、中で人が動く気配があって、ほどなく開いた。

 顔を出したマコト君がぺこっと頭を下げる。

「自転車持って来たよ」

「すいません。ありがとうございます」

「おばあちゃん、大丈夫だった?」

「はい。でも帰ったらすぐに寝てしまって」

 暑い中裸足で歩き回ったのだから疲れてしまったのだろう。

「あの、どうぞ。散らかってますけど」

「いいのいいの。こんな忙しい時間に」

 時刻は六時半を回っている。たいていの家ではちょうど夕飯の準備時だ。

「誰もおらんけえ大丈夫です」

 通された畳の部屋は、その広さにしてはテレビが大きい。家の中は、マコト君の言ったとおりお世辞にも片付いているとは言えない状態だった。

 少しして、麦茶を入れたグラスを両手に持ってマコト君が台所から出て来た。

「すいません。何もなくて」

 そう言ってわたしと清風さんの前にそれを置く。

 ずっと黙っていた清風さんが咳払いをした。わたしは一度清風さんと目を合わせてから口を開いた。

「あのね、マコト君」

「あ、俺マコトじゃないです」

「え?」

悠斗ゆうとです」

「え、だって」

「ばあちゃんが言っとったからでしょ? マコトは俺の叔父さんなんです。ばあちゃんの息子。二番目の」

「そうなの? じゃあおばあちゃん、マコト君……じゃなくて悠斗君のこと、息子だって思ってるってこと?」

「そう……なんですかねえ。最初は俺もびっくりしたんじゃけど、今は適当に合わせてます」

「じゃあ、ヒデユキさんって誰なの?」

 清風さんが聞いた。

「ヒデユキは俺の親父です。ばあちゃんの長男」

「じゃあノリコちゃんは?」

「それはちょっと……」

 悠斗君は首を傾げた。ノリコちゃんは謎の人物らしい。まあそれはいいとして、わたしは本題を切り出した。

「悠斗君、わたしのこと覚えてる? 土堂の突堤で……」

 悠斗君は頷いた。さっき交番であれっという顔をしたのはやはりそういうことだったのだ。

「それでね、この人が、あのとき悠斗君が助けてくれた人なの」

「雅楽川清風と言います。本当に、ありがとうございました」

 清風さんは正座をしたまま、“武士”のように美しい姿勢で深々と頭を下げた。

「やっぱりそうじゃったんですね。さっき交番で会ったとき、背も高いし、そうなんかなとは思ったんじゃけど、あの時は目をつぶっとったけえ印象が……」

「そうだよね。わかる」

 わたしはお屋敷で最初に顔を合わせた時の清風さんの目を思い出していた。

「なにかお礼をさせていただきたいんだけど、何がいいかしら?」

 突然の清風さんのおネエ口調に、悠斗君の顔が微かにぴくりと動いたのをわたしは見逃さなかった。

「この人、こういう人なの」

 一応フォローのつもりでわたしは言った。

 あんまり驚いた顔をするのは失礼だと思っているのか、それとも特に抵抗もないのか、悠斗君は表情を変えることなく言った。

「そんなの必要ありません。こっちこそ、ばあちゃんのこと、本当にありがとうございました」

 まだ高校生なのになんて謙虚でいい子なのだろう。

「それじゃあたしの気が済まないわ。おばあちゃんはたまたま会って交番に連れて行っただけだもの。でも悠斗君は海に飛び込んで助けてくれたんじゃない。一歩間違えば命の危険だってあったのに」

「別に俺一人で助けたわけじゃないですから。ホントに大丈夫です」

 あまり押し付けるわけにもいかないと思ったのか、清風さんは口をつぐんだ。

 お礼なんかいらないという悠斗君の気持ちもわかるし、清風さんの、何か感謝の気持ちを表したいという思いもわかる。わたしは横から口を出した。

「だったら、せっかくだから今度三人でご飯いかない? 焼肉とかどう? 清風さんのおごりで。この人お金持ちだから、高い肉好きなだけ食べて平気だから。海に飛び込んでずぶ濡れになったんだから、それぐらいはいいんじゃない? 清風さん、いいでしょ?」

「もちろんよ」

 清風さんと事前にそんな話をしていたわけではない。全くもってわたしのいきなりの思い付きだ。焼肉というのも、若い男の子なら肉、という安直なひらめきから口にしたに過ぎない。

「ね、悠斗君。いいでしょ? 焼肉じゃなくてお寿司がいい? フレンチでもイタリアンでも中華でもいいんだよ。なんなら、スイーツ食べ放題とかでも」

「はあ……」

「いつにする?」

 悠斗君は高校二年生で、学校はすでに夏休みに入っているけれど、補習授業がみっちり入っているのと、部活でバスケットボールをやっているのでわりと忙しいらしい。それでも、ただの口約束にならないように、ちょっと強引かなと思いつつも三日後の土曜日に予定を入れた。メニューは結局焼肉に決まった。

「あ、靴」

 悠斗君は玄関でわたしたちを見送りながら、しゃがんでおばあちゃんが履いていた“偽物のクロックス”に手を伸ばした。

「あ、いいの。間に合わせで買った安物で悪いけど、おばあちゃんにあげる。庭に出るときとか、履けるでしょ。じゃあ、お店決まったら連絡するね」

 わたしたちは悠斗君の家を後にした。もう七時を過ぎているけれど、まだそんなに暗くはない。

「なんか引いてましたよね。悠斗君。やっぱりちょっと強引だったかな……」

「まあ、強引は強引だったわね」

「清風さんの強引さがうつっちゃったかな……」

「なんでよ。あたし強引じゃないわよ」

「強引ですよ。強引兄弟ですよ。葵さんと」

 悠斗君は本当はどう思っているのだろう。よく考えてみれば、いくら高級焼肉を奢ってもらえると言ったって、ほぼ初対面の人たちと三人では悠斗君も気が重いかもしれない。お礼をするつもりが、逆に嫌なことを押し付けてしまったようで申し訳ない気持ちになった。

「清風さん、悠斗君に誰かお友達連れて来ていいよって言っていいですか? その方が来やすいんじゃないかな。彼女でもいいし」

「そうね。あんたあたしから見たらガキだけど、悠斗君からすればおっかない年上のオンナだもんね。そんなのが目の前にいたら、怖くて焼肉どころじゃないかもね」

「はあ!? 清風さんの方がコワいでしょうよ」

「あたしのどこが怖いって言うのよ」

 わたしは悠斗君に、《誰か誘ってもいいよ。友達でも彼女でも》とラインを送った。メッセージはすぐに既読になり、返信が来た。

「大丈夫、ですって」

 あの子のことだから気を使っているのかもしれない。けれどそれ以上はもう何も言わなかった。


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