終止符を君の手で~国家機密をうっかり立ち聞きしてしまったら結婚を命じられた話~

砂川恭子

文字の大きさ
45 / 48
太陽に手を伸ばす教皇

3

しおりを挟む
 
 皇太子とお茶を味わっている一方で、公爵と陛下との話し合いにはいつの間にかアーサーお兄様が加わっていた。三人は地図のように大きな紙を広げ、額を合わせて話し込んでいる。

 話が終わるのを待っていると、こちらに視線をやった陛下がなにやら合図を出した。ほどなくして侍従が藤の籠を抱えるようにしてやってきた。林檎や芋をいれるような丈夫な籠には、真っ白い布が敷き詰められている。

「あぁ、ようやくご対面か」
 目を細める皇太子につられるように中を覗くと、ころころとした子犬が五、六匹、折り重なるようにして眠り込んでいた。あまりのかわいらしさに声を上げそうになるのを我慢して子犬たちを見つめる。

 白地にぶちのある子犬たちは、狩猟よりも愛玩犬として人気がある小型の犬種だった。陛下の飼犬が先だって子犬を産み、皇太子に譲り渡す約束をしたのだそうだ。公爵の言っていた『かわいいやつ』の子どもかもしれない。

 ぬいぐるみのような子犬たちから目が離せないでいると、一番端の子犬の目がうっすらと開いた。兄弟の体を押しのけるようにして起き上がると、湿った鼻をひくつかせて周りを見渡す。

「起きちゃったか」
 私と同じく目尻を下げていた皇太子が、覚束ない手つきで子犬を抱き上げた。ぎこちなさが子犬にも伝わったのか、それとも歩き回りたいのか、抱かれた犬が腕の中で身をよじる。昔飼っていた犬のことを思い出した私は、つい口と手を出していた。

「貸して。お尻を持ってあげると安定するのよ」
 椅子に掛けたまま、彼からそっと子犬を受け取って抱き上げる。子犬が座るような姿勢になるように固定して、片腕でお尻全体を支える。最初はじたばたしていた子犬も、観念したのか大人しくなった。

 活発だけど素直そうな子だ。そんな感想を抱いた私は、殿下から犬を取り上げるような形になってしまったことに気付いた。
「ごめんなさい、出過ぎたことを」
「ううん。助かったよ。懐かしいね、君のところにいた子犬たちを思い出す」

 殿下は気にしない素振りで腕の中の子犬を愛おしそうに見つめる。犬を見るために、先ほどよりも距離を詰めていることに気付いた。私よりも少し背の高い彼が視線を落とすと、少しそばかすの散った顔にまつ毛の影が落ちた。明るい髪色は成長に連れて暗くなることも多いが、彼の髪色は以前のままだ。

(アレキサンダー様のまつ毛って今も金色なんだ――って何考えてるの私)
 空色の瞳を飾るまつ毛をみて、私は遠い昔に彼が口付けをしてきたことを不意に思い出した。

 子どもの時の戯れとはいえ、なんだか気恥ずかしくなった私は嘘をついた。
「そう、だったかしら?」
「え?」

「記憶は戻りましたが、なにぶん小さいころのことでしたから……」
 単純に忘れてしまったこともある、そう告げると彼はしゅんと犬のように落ち込んだ気がして、私は悪いことをしたような気持ちになった。

 しばらく黙って抱っこしていると、腕の中の毛玉は、黒いうるうるとした瞳をとろとりさせてまどろんできた。
「リンジー、いいかな?そろそろ……」
「あ、はい」

 遠慮がちな殿下の声で周りを見渡すと、いつの間にか話し合いも終わったようだ。最後に子犬のつぶらな瞳をじっと見つめてから、私は籠にそっと子犬を返した。

「子犬をみんな引き取るの?」
「いや、一匹だけだよ。今日はひとまず顔合わせでね」

「それなら、この子になさって」
 そう言って兄弟を起こそうと悪だくみをする、先ほどまで抱いていた一匹を指さすと、殿下は少し目を丸くした後で頷いた。

「リンジーがそう言うなら、この子を迎えようかな。……いつか会いに来たらいいよ」
「ふふ、いつかね。お城もお姉様と見せてもらう約束でしたし」
 訪問できることはないだろう。それでも幼い頃の約束を持ち出すと、彼はご機嫌な様子で家臣を伴い、壁の中へと消えていった。

「さぁ、リンジー。まだ辛いだろう。馬車まで送るよ」
 まるでずっと壁だったかのように、ぴっちりと閉じた壁を見つめて感心している私に、付き添いを申し出てくれたのは兄のアーサーだった。

「ありが、」
 とう、と言い終わる前に、兄が立つ側とは反対側に大きな影が落ちた。

「まだ貴殿には職務があるだろう。式典の準備で人手が足りないと聞いたが」
 私達を引き留めるようにしたのは公爵だった。仏頂面な公爵ににこやかな兄が反論を重ねる。

「ご心配なく。頼りになる部下がおりますので、少しくらい抜けても問題ありません。あなたに妹を任せるほうが、障りがありそうだ」
 冷えていく雰囲気におろおろとしていると、紅茶のカップを手にした陛下が呆れたように言った。

「まったくしつこいね、君のお家は。アーサー、父親ならまだしも、兄の身分で決められた結婚に口出ししたって仕方がないだろう」
「……かしこまりました」

 どうやら軍配は公爵に挙がったようだ。たしなめるような口調に、ぐっと押し黙ったアーサーお兄様が一歩下がった。兄はそのまま礼儀正しく挨拶して執務室を去っていった。

「オリバー、お前もいい加減なんとかしろ。このままわだかまりを残されると面倒だ」
 陛下が今度は苛立ちを隠さずに言った。すっかり慣れてしまっていたが、やはり人の上に立つ御方だ。陛下の言葉には逆らえない雰囲気があった。

 頭を下げた公爵は、恐怖に固まる私の腕をそっととって執務室を出た。
「家のせいで、申し訳ありません」
「いや、元はと言えば私がまいた種だ」
 面倒ごとになってしまっているらしい家のことを詫びると、公爵は苦い表情でそう言った。

 なんとなくそのまま付き添ってもらいながら道を行く。宮殿へ上がるときは盗聴を前に気もそぞろだったけど、ひとまず今日の役目を終えた今は、距離の近さに体がぎこちなく強張った。

「犬を飼いたいのか?」
「え? いえ、そういう訳では」
 ふいに投げかけられた問いに、私は反射的に否定の言葉を返した。

 かわいさはよく分かっているが、以前に飼っていた子犬との別れが辛かったから、迎える気にはなれなかった。それに育てたことがあるからこそ、犬一匹増えるにも手間がかかることも分かっていた。一応婚約者という身分の私が、自分だけで面倒を見るわけにはいかないだろうから、飼いたいなどと簡単には言えない。

 返答を聞いて公爵は少しがっかりしているような気がした。もしかしたら彼にも陛下の犬をもらい受ける話が来ていたのかもしれない。そういうことならお断りするわけにもいかないだろう。私は慌てて口を開いた。

「公爵が飼われたいのでしたら、お迎えしてください」
「いやそういう訳ではないんだ」
 再び黙って歩く私たちの間を、夏の風が吹き抜けた。ふと見ると、庭園には夏に咲く紫の花が太陽に向かって真っすぐに伸びている。どうしても隣の公爵が気になってしまう私は、庭園の花とその芳香を楽しむことに意識を集中させた。

 庭園を抜けて門の近くまで来ると、公爵家の馬車がすでにまわされていた。昼下がりの中途半端な時間だからか周囲には人気がない。取り繕う必要もないかと公爵の腕を離した私は、公爵の後に乗り込むつもりで彼が乗り込むのを待った。

 大きな背中を見ていると、馬車へ踏み出したその背中は少し迷うような動作を見せてくるりと振り向いた。
「いいかな、その、手を取っても?」
 どうやらエスコートをして下さるらしい。先ほどの陛下のおっしゃったことを気にしているんだろうか。

 もちろん、と手を差し出すと、公爵はほっとしたような表情を浮かべてその手を取った。オリバー様の手を借りて、二段ある段差をのぼる。その様子を公爵がやけに慎重に見つめて、丁重すぎるくらいに支えるから、単純なはずの動作に私は緊張してしまった。

「君を馬車に乗せるのは初めてだ」
「え……?」
 噛みしめるように呟かれた言葉を聞き返すと、少し焦ったように公爵が言葉を続けた。

「君はなんというか、一人で先に乗り込んでいることが多かったから。いや、私が悪いんだが」
 思わず詫びようと口を開いた私に慌てて付け足した。

 基本的に貴族女性は馬車の乗り降りに人の手を借りるものだ。しかし、公爵の家へ来て以来、人目がない場で一人で乗り降りすることが多かった私はすっかりそれに慣れてしまっていた。そういえば今日も気が急いて先に乗り込んでしまっていた。

 私の後に公爵が乗り込んできて、無事に馬車が動き出した。
「香水か何か、つけているのか?」
「え、えぇ。香水を少し…」

 コンスタンス様からもらったものを初めてつけてみたのだ。ほんのり香るくらいに留めたつもりだが、乗せてもらったときに香ったのかもしれない。あまり好みが分かれるような香りではないが、お好みではなかったのだろうか。ドキドキしながら次の言葉を待った。

「……君は、皇太子が来ることを知っていたのか?」
 香水についての話が続くかと思った私は、再び変わってしまった話題に虚を突かれた。

「いえ、存じ上げませんでした」
 立ち回りの上手い兄や陛下と比べ、私に情報をくれるのは公爵だけだ。
「そうか……疲れた顔をしている、着くまで休んだ方がいい」
 会話に戸惑いながらも、確かに体は疲れを訴えていた。私は背もたれに寄りかかって目を閉じた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜

百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。 「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」 ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!? ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……? サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います! ※他サイト様にも掲載

死に戻ったら、私だけ幼児化していた件について

えくれあ
恋愛
セラフィーナは6歳の時に王太子となるアルバートとの婚約が決まって以降、ずっと王家のために身を粉にして努力を続けてきたつもりだった。 しかしながら、いつしか悪女と呼ばれるようになり、18歳の時にアルバートから婚約解消を告げられてしまう。 その後、死を迎えたはずのセラフィーナは、目を覚ますと2年前に戻っていた。だが、周囲の人間はセラフィーナが死ぬ2年前の姿と相違ないのに、セラフィーナだけは同じ年齢だったはずのアルバートより10歳も幼い6歳の姿だった。 死を迎える前と同じこともあれば、年齢が異なるが故に違うこともある。 戸惑いを覚えながらも、死んでしまったためにできなかったことを今度こそ、とセラフィーナは心に誓うのだった。

転生者と忘れられた約束

悠十
恋愛
 シュゼットは前世の記憶を持って生まれた転生者である。  シュゼットは前世の最後の瞬間に、幼馴染の少年と約束した。 「もし来世があるのなら、お嫁さんにしてね……」  そして、その記憶を持ってシュゼットは転生した。  しかし、約束した筈の少年には、既に恋人が居て……。

【コミカライズ企画進行中】ヒロインのシスコンお兄様は、悪役令嬢を溺愛してはいけません!

あきのみどり
恋愛
【ヒロイン溺愛のシスコンお兄様(予定)×悪役令嬢(予定)】 小説の悪役令嬢に転生した令嬢グステルは、自分がいずれヒロインを陥れ、失敗し、獄死する運命であることを知っていた。 その運命から逃れるべく、九つの時に家出を決行。平穏に生きていたが…。 ある日彼女のもとへ、その運命に引き戻そうとする青年がやってきた。 その青年が、ヒロインを溺愛する彼女の兄、自分の天敵たる男だと知りグステルは怯えるが、彼はなぜかグステルにぜんぜん冷たくない。それどころか彼女のもとへ日参し、大事なはずの妹も蔑ろにしはじめて──。 優しいはずのヒロインにもひがまれ、さらに実家にはグステルの偽者も現れて物語は次第に思ってもみなかった方向へ。 運命を変えようとした悪役令嬢予定者グステルと、そんな彼女にうっかりシスコンの運命を変えられてしまった次期侯爵の想定外ラブコメ。 ※コミカライズ企画進行中 なろうさんにも同作品を投稿中です。

貴方なんて大嫌い

ララ愛
恋愛
婚約をして5年目でそろそろ結婚の準備の予定だったのに貴方は最近どこかの令嬢と いつも一緒で私の存在はなんだろう・・・2人はむつまじく愛し合っているとみんなが言っている それなら私はもういいです・・・貴方なんて大嫌い

二年後、可愛かった彼の変貌に興ざめ(偽者でしょう?)

岬 空弥
恋愛
二歳年下のユーレットに人目惚れした侯爵家の一人娘エリシア。自分の気持ちを素直に伝えてくる彼女に戸惑いながらも、次第に彼女に好意を持つようになって行くユーレット。しかし大人になりきれない不器用な彼の言動は周りに誤解を与えるようなものばかりだった。ある日、そんなユーレットの態度を誤解した幼馴染のリーシャによって二人の関係は壊されてしまう。 エリシアの卒業式の日、意を決したユーレットは言った。「俺が卒業したら絶対迎えに行く。だから待っていてほしい」 二年の時は、彼らを成長させたはずなのだが・・・。

英雄魔術師様とのシークレットベビーが天才で隠し通すのが大変です

氷雨そら
恋愛
――この魔石の意味がわからないほど子どもじゃない。 英雄魔術師カナンが遠征する直前、フィアーナと交わした一夜で授かった愛娘シェリア。フィアーナは、シェリアがカナンの娘であることを隠し、守るために王都を離れ遠い北の地で魔石を鑑定しながら暮らしていた。けれど、シェリアが三歳を迎えた日、彼女を取り囲む全ての属性の魔石が光る。彼女は父と同じ、全属性の魔力持ちだったのだ。これは、シークレットベビーを育てながら、健気に逞しく生きてきたヒロインが、天才魔術師様と天才愛娘に翻弄されながらも溺愛される幸せいっぱいハートフルストーリー。小説家になろうにも投稿しています。

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました

iru
恋愛
第19回 恋愛小説大賞エントリーしています。ぜひ1票お願いします。 小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

処理中です...