夜明けまでにキスをして

しおりの人

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プロローグ:始まりの鐘の音

曇り空と憂鬱

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 時が止まればいいと思っていた。
 今が永遠に続けばいいと願っていた。
 この一瞬を永遠に引き延ばして、その日常の中で暮らしていたいと希っていた。


 時計の秒針が、重々しい静寂を際立たせるようにコチコチとなっている。月の光がほのかに暖炉の輪郭を映し出し、まるで死の世界に迷い込んだかのような妖しさを映しだす。
 冷めきった暖炉の前に移ると、静かにその傍に置いてあった椅子へと座る。月明かりに照らされた彼女の顔は、どこか妖艶で、死を彩っているかのような美しさがあった。

 彼女は、少し寂しげな顔をしながら静かに窓を眺める。

「あの日も、こんな夜だったかな」

 夜の水面を揺らすように、静かに音が伝播する。
 
 部屋の中央に置かれた、一人で使うには少し大きい机を見ながら彼のことを思う。
 あの夜と少し違うのは、夜を暖かく包むランプの光がないことくらいだ。








 永遠とも思えるほど長い、幾星霜を経て私は彼と出会った。彼と出会うまでは、ただ永遠とも呼べるほど長い寿命がただ終わるのを待つだけだった。しかし、そんな空に立ち込める分厚い雲のように閉ざした私の心は、たった一つの出会いが全てを変えた。

 彼と出会った日は、暗鬱とした雲が重苦しく広がる日のことだった。向かい風が、私が森に入るのを拒んでいるようだ。森が会話しているかのようにザワザワと騒ぎ出す。
 
「今日はちょっと風が強いかしら」

 せっかくの曇り空だというのに、どうやらこの森は少しの散歩も許してくれないようだ。今日は風が強いから明日は晴れかもしれない。そうなると今度曇り空になるのはいつか分からないのだ。そう考えると、自然と私の足は早くなる。
 今日はイーシャの花とパモモの実を実をとってこないといけないのだ。そしたら、この前作った鎮静薬と混ぜ合わせて、三日ほど煮込まないといけなくて……

「いてっ」

 私の意識は、そんな声と共に現実に返された。考え事をしていたからだろうか、もしくは木々の話し声がうるさかったからだろうか、ちょっとだけ油断していたのかもしれない。普段ならそうなる前にこの場から静かに去っていたはずなのに、その小さな生き物が私の近くに来るまで気づくことができなかった。

 目の前に男の子が降ってきた。
 いや、多分それはちょっとだけ違うのだろう。突然草むらから飛び出してきたかと思うと、そのまま私の目の前に倒れてきたのだ。

「だ、大丈夫?」

 私が彼に手を伸ばして、ゆっくりと体を起こさせる。

 彼はものすごくような顔をして、まんまるとその大きな目を見開いた。
 幼い茶色色の瞳が、私の顔を反射した。無邪気な顔をした彼が、私の心を少しざわめかせる。そんな気持ちを無視して、私は脳面のような顔をするように努める。私は、話し方を思い出すように彼の目を見ながらゆっくりと話し始める。

「あなたはここに何をしにきたの?」
「森を探検しようと思って!」

 元気よく答えた彼は、んっ、と手に持っていたものを私の方へと突き出した。その手には子ども用の小さなナイフと、小さなポーチが握られている。
 小さなポーチは誕生日にもらったのだろうか、花の刺繍が施されている。よく手入れされた、シワのない緑色のシャツを着た彼は、満面の笑みを浮かべて私を見上げていた。

「ここには近づかないように言われなかったの?」
「ううん」
「私のことは知ってる?」
「ううん」
「お姉さんはどうしてここにいるの?」
「私はね――」

 そう言って言葉を切ると、私は辺りを見渡した。

「私は、ここに住んでいるの」
「この森で?」
「そうよ。この森で一人で住んでいるの」
「へえ、それはすごいなあ。けど一人で住んでいて寂しくないの?」
「寂しくないよ。私の館には本がたくさんあるから」
「本ってどんな本が置いてあるの?」
「えっと、それはね――」

 私は彼に、『マンゴラドラの恋愛相談室』という本の話をしようとしたが、その瞬間、突然強い風が吹き始めた。男の子は、突然の風にびっくりしたようでその身をすくっと丸める。
 私は目を細めて周りを見渡した。分厚い曇り空だった空はますます暗くなり、嵐を予感させるように渦を巻いている。木々は激しく揺れ、葉っぱや枝が狂ったように踊りながら飛ばされていた。動物たちは恐怖に震えて隠れ場所を探している。

「これは……、大変だわ。早く帰らなくちゃ」
「え、お姉さんどうしたの?」
「今から嵐が来るわ。この森は危険になるから、あなたも早く家に帰りなさい」
「でも……」
「でもじゃないわ。早く行きなさい!」

 私は彼を押しやって、自分の家に向かった。彼は私に一瞬ついてこようとしたが、逃げるように私は振り返らなかった。彼と話している間に、時間が経ってしまったのだ。もうすぐ嵐の夜が来る。そして、夜になると私は――

 私は何も考えないように夢中で走り続けた。館に着くまであともう少しというところで、雨が降り始めた。雷が鳴り響き、稲妻が空を切り裂く。風が吹きすさぶ中、窓ガラスを叩くような激しい雨が降る。ドアを閉めると鍵をかけた。途端に私は糸が切れた人形のように、その場に崩れ落ちる。
 私は自分の部屋に向かった。そして、早く夜が終われと祈りながら毛布をかぶって縮こまる。しかしながら、嵐の夜はますますとその激しさを増していく。

 私はそのまま目を閉じてしまおうとした。

 しかし、その瞬間、ドアの外から激しくドアを叩く音が聞こえた。
 明らかに雨風がドアを叩く音とは異なる。もっと荒々しい音。そして、微かに聞こえる高い声。

「お姉さん!お姉さん!開けて!」

 それは男の子の声だった。
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