夜明けまでにキスをして

しおりの人

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プロローグ:始まりの鐘の音

夜が更けた頃

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「大丈夫……大丈夫よ」

 自分に言い聞かせるように呟く。

 私は人間ではないのだ。人間と関わってはいけない。あの物語も、青年を助けたときも、化け物が人間と関わりを持ったときの最後はいつも同じだ。
 
 しばらくして、ようやく落ち着いた私は、よろめくようにして立ち上がると、ベッドへと倒れこんだ。
 私は天井を眺めながら考える。なぜこんなことになってしまったのか。いや、本当は分かっていた。あの時、男の子を見捨てていればこんなことにはならなかったはずだ。だが、私にはできなかった。それは、私自身が心の奥底で、まだ人間であるつもりだったからだろう。それはもう、叶わない妄想だというのに。だからこそ、私はこうして苦しんでいるのだ。

 私は天井を見上げたまま、小さく溜め息を漏らした。

 窓の外からは、相変わらず激しい雨風が叩きつけられている。その雨粒はまるで弾丸のように窓ガラスを叩いている。
 分厚い雲は月を覆い隠し、夜は暗闇が支配していた。私は、私の中の衝動が一層高まるのを感じる。目が一層紅に輝き、喉が渇き、息が荒くなる。身体が、まるで鎖で縛られているかのような苦しみに襲われる。

 ふと、その時だった。不意に部屋のドアがノックされたかと思うと、続いて誰かが入ってくる気配がした。

「誰?」

 私がそう尋ねると、ドアの向こうから聞き覚えのある声がした。

「僕だよ」

 男の子の声だ。私はベッドから起き上がると、ドアを開けた。そこには、やはりというべきか、先ほどの男の子が立っていた。

「どうしたのかしら」

 私が努めて冷静にそう言うと、彼はこう答えた。

「お姉さん、さっきはごめんなさい」

 どうやら、私が突き放したことを気にしているらしい。別に気にすることではないと思うのだが、おそらく彼にとってはかなりショックだったのだろう。
 あのときの私には余裕がなかったとはいえ、ひどいことをしてしまったかも知れない。

「気にしなくていいのよ」

 私はできる限り優しい口調でそう言った。すると、男の子は少しほっとしたような表情を見せた後、おずおずとこちらに近づいてきた。そして、私の手をそっと握るとこう言ったのだった。

「一緒に居たいよ」

 私の心が再び激しく揺さぶられたような気がした。心臓が、頭が、身体が、彼の血を求めているのを感じる。

 ──血が吸いたい

 見知らぬ場所で一人で寝るのは不安なのだろうか。しかし、私の意識は全くの別のところにあった。
 いけないことだとはわかっている。しかし、私は彼を拒むことができなかった。それどころか、無意識のうちに彼の手を握りしめていた。私の衝動から漏れた、本能の一端。

 彼は何か勘違いしたのか、驚いたようにこちらを見上げると、少し恥ずかしそうに微笑んだ。私は、彼のそのまま手を引いて部屋の中へ招き入れた。

 雨風はさらに激しさを増している。時折、雷が鳴り響き、そのたびに館が悲鳴を上げるかのように揺れた。窓の外では大粒の雨がひっきりなしに降り注いでいる。

 私は、さっそく彼を部屋に招き入れてしまったことを後悔していた。
 私の喉の渇きは限界だった。
 いや、だからこそ彼を部屋に招き入れてしまったのだろうか。

 私が無言でいると、彼はふいに私に声をかけた。

「ねぇ、こっちに来てよ」

 そう言って、ベッドに腰かけると自分の隣を軽く叩いた。
 私は一瞬躊躇ったが、結局彼の隣に腰を下ろした。

「あのね、お願いがあるんだ」

 彼はどこか緊張した様子で話し始めた。

「なにかしら」

 私は平静を装って答える。

「お姉さんにキスをしたいんだ」

 彼の言葉を聞いた瞬間、私の胸は大きく跳ね上がった。まさかそんなことを言われるとは思ってもみなかったからだ。しかし、すぐに我に帰ると、慌ててそれを否定する。

「だめよ! そんなことしたらあなたは──」

 そこまで言いかけたところで、彼が私の言葉を遮るように続けた。

「僕は大丈夫だよ」

 そして彼はいきなり私の唇にキスをした。
 その瞬間、全身が痺れるような感覚が私を襲った。全身に力が入らず、頭の中が真っ白になる。身体が急激に脱力感を覚え、自分の身体からいくつかの部品が抜き取られたかのように、私の手足からは力が抜けていった。まるで自分が自分ではないような感覚に襲われる。そして、私はあることに気がついた。

 ──あれ、吸血衝動がなくなっている……?

 そのことを考えるよりも先に、私の意識は深く深く沈んでいった。
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