未来人が未開惑星に行ったら無敵だった件

藤岡 フジオ

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ウォール家の夜の庭

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 タスネ達が馬車の窓から見る夕暮れのアルケディアは、エルダーリッチがもたらした恐怖の余韻でまだ落ち着いていない。

 闘技場にいた観客達が目撃した事を大げさに噂するので、その場にいなかった人々はどこか不安そうな顔で街路を行き交う。

 どこぞのオーガメイジが追い払ったとはいえ、またエルダーリッチが戻ってくるのでは、と考える人もいるのだ。

 少し渋滞気味だった闘技場のある地区を抜け、シルビィやタスネ達を乗せた馬車は、城下町の富裕層地区にあるウォール家の敷地に到着した。

 馬車の後ろをヘルメスブーツで浮いてついてくるヒジリを、敷地に入れまいと守衛や召使いが怯えながら立ちはだかる。

「馬鹿者! そのオーガも立派な客人だ! 丁重におもてなししろ!」

 シルビィは召使長のイツカに命じて彼等を退かせるが、守衛達は主の命令とはいえ不服そうな態度である。

 ヒジリは顎をさすってヘカティニスやドォスンの事を思い浮かべながら、何故オーガは種族としてここまで嫌われるのかを考えたが、特にこれといって答えは出なかった。

 彼等は若干不潔だが話も通じるし、特に危険だとは思えない。やはり敵国の種族であったり身分制度の壁が大きいのだなと適当に考える。

 広い敷地を暫く進むと大きな二階建ての屋敷が見えてきた。

 屋敷の大きな扉が開くとシルビィは嬉しそうにヒジリの手を握ってエントランスに招き入れた。

 が、残念な事に屋敷はオーガ用には作られておらず、ヒジリには何もかもが小さくて不自由だった。

 精巧な細工が施された小さな椅子は、遺伝子操作で巨大化した地球人の臀部を受け入れる余裕はなく、かといって絨毯の上に胡坐をかいて座るのも失礼な気もする。

 ウメボシに椅子を出してもらおうかと思ったが、何となく夜空を見たくなったので、敷地内で野宿をさせてくれと頼んだ。

「客人としての最低限の礼儀は守ってくれないか? もてなさせてくれ!」

 シルビィは駄々っ子のように涙目でヒジリを引き留めようとした。

「済まないな。今日は星を見たい気分なのだ。また今度頼む」

  ヒジリが野宿すると言ったのは幾らかこの国の身分制度を考慮し、シルビィの為に空気を読んだからでもある。

 身分の低い奴隷を客人として丁重にもてなせと言う、お嬢様の無茶振りに対して召使いは良い顔をしていない。

 召使いも下級ではあるが貴族なのだ。奴隷で尚且つ闇側出身の者が敷地に入る事自体、異例な事なので屋敷のエントランスに入った時のヒジリに対する召使い達の表情は実に険しかった。

「臭いオーガめ」

 ヒジリが外に出ようとすると扉横で男性の召使が臭くもないのにハンカチで鼻を押さえて、手を敷地に向けお辞儀をしていた。

「どうぞ、お好きなように」

 ヒジリは特に気にしなかったが、その様子をエントランス奥の階段の上で見ていたタスネ達は、憤慨してヒジリと一緒に外に出ようと階段を駆け下りた。

「そんな慇懃無礼な態度・・・!」

 タスネがそう言いかけたが、ヒジリは屋敷から出ると大きな扉は直ぐに閉まり、姉妹は屋敷の中に残される形となった。

 中からシルビィと召使長であるイツカが召使い達を叱りつける声がヒジリには聞こえてくる。

(地球も旧世紀はこんな感じだったのだろうか?)

 差別的な扱いを受けはしたが、自分は絶対的な強者であるという自信が心に余裕を生んでいる。

 どんな扱いを受けようが自分たちはこの星の誰よりも豊かに過ごしていけるし、その気になれば国の一つぐらいは支配出来るだけの力はある。

 そもそも彼等の古い考え方や制度は、幼い子供たちのごっこ遊びのようにみえて面白いぐらいだ。

 ウメボシは何事もなかったかのように庭を見渡してから屋敷を見た。

「ウォール家の財力は計り知れませんね。郊外であれば、この広さの土地を所有している貴族は沢山いると思いますが・・・。王都の一等地にこれだけの土地を所有し生活するとなれば、並の貴族だと維持費だけで破産します。流石は代々王家に仕える貴族です」

 ウメボシはそう言いながら広域スキャンで周辺に怪しい人物がいないか調べている。

 ミミの一件以来、定時広域スキャンの頻度を上げたのだ。広い敷地には巡回する警備の者しかおらず特に警戒する必要は無さそうだとウメボシは判断した。

でも空かない限り、マスターは安全でしょう」

 ウメボシの皮肉を受け流し、ヒジリは暗くなった敷地を散歩を兼ねて歩き回った。

 夕食を食べるのに最適な場所を探しているのだ。

 敷地内にある散歩道脇の大きな木のテーブルとベンチが目に留まる。

 白い光を放つ魔法灯に照らされており夜でも明るかった。

 食事をするには丁度良い。ヒジリは早速そこに腰を下ろすとウメボシに炭酸水を出してもらい、大きな公園のような夜の庭を楽しそうに眺めている。

 するとどこからともなく、目の前の大きな池の上を青白く発光する蝶達が絡み合うように飛んできた。

 ヒジリもウメボシもその美しさに感嘆の声を上げた。

「あの蝶の名は?」
 
「あの蝶は以前見た昆虫図鑑に”朧月蝶おぼろつきちょう”という名前で載っておりました。寿命が短い分、繁殖力が旺盛で、それに因んだ逸話の多い蝶です。大体が肉欲の絡む恋愛の末の心中、という感じのお話ですので、直接的に繁殖しない地球人にはあまり関係ありませんね。それにしてもおとぎ話にでてくる妖精のように美しいです」

「精神の結びつきのみでの悲恋なら理解出来なくもないがね・・・。人口管理局の埋め込むチップによって劣情を抑制されている地球人にとっては確かにあまり関係ないな」

 ウメボシはその話を聞いて少し黙り込む。

(・・・それについてなのですがマスター。その制御チップが一部機能していないのです。マスターの劣情は制御されているのですが、何故か体から漏れ出すフェロモンは抑制出来ておりません。そのフェロモンを好む特定の女性にとって、なびかないマスターはある意味毒なのです。いつか愛情が憎しみとなってマスターを苦しめたりしないかとウメボシは心配です。人口管理局の許可がないと制御チップは直せないので、ウメボシはどうする事もできません。ただの偶発的な不具合であればいいのですが・・・。今後もこういった機能停止や、暴走するナノマシン等があるとなれば地球への帰還を最優先にしないといけませんね)

 口に出して伝えないのは、その事によって主に気を使わせたくないという配慮からだ。言ったところでこの星にいる限り問題は解決しないので心配させるだけ無駄なのだ。

 ウメボシは心配事を考えてぼんやりとし、ヒジリは黙って炭酸水を飲んで他に珍しい物はないかとキョロキョロしている。

 すると突然近くの茂みで人の声が聞こてきた。二人は一斉に声のする場所を見る。

「何者ですか?!」

 ウメボシは警戒態勢を取り茂みに向けて何度かスキャニングを繰り返すが、植物と昆虫の反応しか返ってこない。

「心配しないで。私だから」

 木々が囲む暗い茂みの近くから、闇のような髪の色と瞳をした少女が現れた。

 紺色のワンピースが更に彼女を暗闇に同化させている。

「どうした? イグナ」

「ヒジリに食事を持ってきた」

 そう言ってサンドイッチの入ったバスケットをテーブルの上に置く。

「これは嬉しいな。このサンドイッチはどうしたのかね?(ウメボシがいれば食べ物に困らない事を、イグナも知っているはずだが・・・)」

「厨房に行って、私が作った」

「ほう、イグナの手作りか。それは楽しみ・・・ん? どうしたのかね?」

 イグナは立ったまま黙ってポロポロと涙をこぼして泣いている。

 ウメボシが体に異常がないかスキャンをして調べるも健康面には特に問題は無い。

「私、胸が苦しくなった。ヒジリとウメボシだけ、のけ者だったから・・・。屋敷の人達のヒジリを見る目が凄く怖かった・・・」

「なんだ、そんな事かね。私は気にしていない。そもそも私自身が外に出たいと望んだのだよ」

「私たちも、村の人達からのけ者にされていたから・・・。今までヒジリと同じ目に遭ってきたのに・・・。私、あの時ヒジリと一緒に出て行きたかった。でも屋敷の人達の心を見たら怖くなって動けなくなって・・。ごめんなさい、ごめんなさい」

 屋敷で【読心】を使った事により召使い達の心の中に渦巻く悪意を読み取ってしまったのだ。

 ヒジリと自身の境遇を重ね合わせて見た十歳の心は、張り裂けそうになっていた。

 ミミという親友が出来て以来、イグナは感情をよく表に出すようになったとヒジリは気が付く。

(今までのイグナは感情が希薄過ぎたのだ。感情を抑えて心を閉ざす原因が、周りの差別や悪意にあったのだな。可哀想に・・・。しかしながら親友が出来た事で、感情を表に出すようになったのは良い兆候だ)

 吸水性と肌触り抜群のハンカチを尻のポケットから出して、イグナの頬を伝う涙をヒジリは優しく拭き取る。
 
(サンドイッチはマスターに対する贖罪というわけですね。イグナは本当に優しい子です・・・。それに比べて・・子供にこんな思いをさせる、この国の大人達ときたら!)

 ウメボシはイグナの心境を察したのか、怒りに瞳を黄色くさせつつも目が潤んでいる。

「心配してくれてありがとうイグナ。でも大丈夫だ。正直な話をすると、私はこの国のネガティブな制度にあまり興味がなくてね。私の目から見ると稚児の遊びのように見えるのだ。子供の御飯事で嫌な目に遭ったからと言って、本気で怒る大人はいないだろう? そういう事だ」

 それでも目を擦って泣き止まないイグナに、ヒジリはアタフタとする。

「うぅむ・・・。ほ、ほら! 見てみたまえ。あの朧月蝶を。綺麗だろう? ・・・どれ、イグナの作ったサンドイッチを食べてみるか。モグモグ・・・。うん、これは美味いな! イグナの作ったサンドイッチは世界で一等美味いやつ!」

 慌ててイグナを慰めようとして、言葉がおかしい主を見て、ウメボシはなんともいえない苦い顔で見つめていた。

(あやし方や話の切り替え方が絶望的に下手ですねマスター・・・。言葉もおかしい。何ですか、世界で一等美味い奴! って。相手が幼児でもそんな慰め方では泣き止んでくれませんよ)

 イグナを膝に乗せてサンドイッチを頬張りつつ、朧月蝶を指さして必死で慰める主は、どこか滑稽であった。

 しかしウメボシのツッコミとは逆に、イグナは一生懸命自分に気を遣ってくれるヒジリを見て微笑えんだ。
 
 ヒジリが差し出すこれまでに触ったことがない感触のハンカチで涙を拭くと「私も食べる」と言って目の前のサンドイッチをモリモリと食べだした。

「君も晩御飯を食べてなかったのかね。ウメボシ、イグナに炭酸入りの葡萄ジュースを」

「かしこまりました」

 ウメボシが炭酸入りの葡萄ジュースを出すと、イグナはいつも飲む葡萄ジュースだと思ってサンドイッチを流し込むように飲んでしまい、口や喉で暴れる炭酸に驚く。

「うう。これ、酸が入ってる・・・」

「ウフフフ、皆同じ事を言いますね。大丈夫ですよ。それは酸ではありません。腸の動きを活発にしたり、疲労を幾らか回復させたりします」

「口の中がパチパチして不思議」

「ところでイグナはどうやってウメボシの目を掻い潜ってここまでやって来たのかね? 普通、ウメボシは広域スキャンをしなくても、ある程度の距離から接近してくる者に対してはすぐに気が付くはずだが」

「厨房の裏口から外に出て、守衛に見つからないように【姿隠し】で消えた」

「普通に姿を隠した程度では、ウメボシはあっという間に体温や体臭、空気の流れ等で見つけてしまうが・・・。もう一度【姿隠し】をやってみてもらえないかね?」

「解った」

 イグナはヒジリの膝から飛び降り、一言何か小さく呟くとその場から消えてしまった。

「どうだウメボシ?」

「残念ながら感知出来ません。ウメボシのセンサーにも異常はありません」

「私は一つ気が付いたぞ。地面を見ろ。イグナの陰だけがある」

 魔法灯の白い光に照らされた地面にイグナの陰が動いている。

「流石ですマスター。イグナの体に付着せずに周辺を飛んでいた追跡ナノマシンが、行き場を失って影の上をウロウロしているのが解ります。体に付着していたナノマシンからの信号は途絶えました。つまりイグナは影と声だけを残して、この世界から完璧に消えてしまっているという事です」

「昔の地球人がこの世界と重なり合う別次元の残留思念の陰を見て、幽霊と勘違いして騒いでいたのを思い出した。ある意味、イグナは幽霊になったって事かね。ハハハ」

「私は生きてる。幽霊じゃない」

 イグナは現れて直ぐにヒジリの膝に飛び乗って抱きついている。幽霊という言葉に怖くなったようだ。

「イグナは確か、一度見覚えという能力を持っているのだったな? きっとサイクロプス事件の時にナンベルの使った【姿隠し】を見て覚えたのだろう」

「うん、そう。あの時、ボロボロの黒いローブを着たヒジリが外を歩くのが見えたから付いて行ったら、ナンベルのおじちゃんだった」

 魔法はいつか科学で解明出来る、という信念のあるウメボシは唸って驚く。

「なるほど、この世界に意識と影を残しつつも別の次元に移動する術・・・。やろうと思えば我々も次元移動は出来ますが、再びこの世界に戻ってくる事は不可能でしょう。この不可解な魔法であれば、ウメボシがナンベル様やイグナを感知出来なかった事に納得がいきます。それにしてもイグナは好奇心旺盛ですね。ナンベル様やオークの跡をつけて光の扉に飛び込むなんて・・・。どの道あの場に留まっていれば間違いなくシルビィ様の魔法で消し炭にされていたでしょうから、結果的には扉に飛び込んで正解です」

「魔法の扉が珍しかったから入った。でも何となくナンベルのおじちゃんも気になった」

「ナンベル殿は変なメイクをしてるからな。子供にとってはハーメルンの笛吹き男の如く魅力的だったろう」

「マスター、お話の最中申し訳ありませんがイグナを探しにタスネ様姉妹とシルビィ様が近づいてきております」

「そうか。イグナはそろそろ屋敷に戻りたまえ」

「イヤ」

 抱きつくイグナから被せ気味に返事が返ってきた。ヒジリはなんとかしろと目で訴えるが、ウメボシは嫉妬している。

「知りませーんだ。ツーン!」

  と言ってそっぽを向いた。

「あー!  やっぱりヒジリのとこにいたー!」

 金髪のお転婆は、魔法灯の下でヒジリに抱きついているイグナを指さしてドラ声で喚いた。

 すぐにタスネとフランもやってきて、最後に現れたシルビィは申し訳なさそうにモジモジとしている。

「先程の召使い達の態度を許してほしい。彼らは種族や身分に拘り過ぎるところがあってな・・・。彼らを雇う側の者としては、実に恥ずかしい限りだ。すまない」

 普通貴族は自分より身分の低い者には頭を下げない。ましてや奴隷階級などは無視して当然な存在なのだが、シルビィは躊躇いもなく腰を折ってヒジリに頭を下げていた。

 タスネ達はそれを見て内心ではとても驚いている。以前も土下座をしてきたからだ。

「なに、別に気にはしていない。それにしてもシルビィ殿には樹族特有の慇懃無礼さや傲慢さがないな。部下の前で面子も気にせずオーガや地走り族に土下座をしたりと。いや、悪い意味で言っているのではないよ」

「褒めてくれるのは嬉しいが、私だってヒジリ殿に化けたナンベルを見て、やはりオーガは闇側の住人なのだな、などと思ったりはしたよ。心のどこかで私は闇側の種族を見下しているのだ」

「まぁそれは戦争中だから仕方ない事だろう。でも今までの様子を見ていれば、シルビィ殿が分け隔てなく他種族に接していたのは解る。それはとても素晴らしい事だ」

「そ、そうか? そこまで褒めてくれるのであれば、あ、頭をナデナデしてもらいたいのだが? デヒヒヒ」

 シルビィは貴族らしからぬ笑い声を発し、ゾンビのようにヨタヨタとヒジリに歩み寄った。

 が、ヒジリの膝上に座るイグナの目が光り威嚇している事に気が付く。更にヒジリの背後で、魔法灯の光が逆光となったウメボシの瞳も赤く光っていた。

 シルビィは彼女の瞳が赤いと、怒っている状態なのだと最近知ったので、撫でてもらうのを断念して「最初から座るつもりでしたよー」と、とぼけた顔でテーブルに座った。

「あーサンドイッチ食べてるー! いいなー! イグナお姉ちゃん」

 コロネはサンドイッチがあるのを目ざとく見つけ、テーブルの周りをウロウロしている。

「晩御飯がまだでしたら皆様もここで食事をしていかれますか?」

「そうさせてもらうよ、ウメボシ殿。実は私も実家は息苦しいと感じているのだ。召使い達に何と言われようが私はここで食べるぞ」

「かしこまりました」

 皆ウメボシの出した料理に歓声を上げたので守衛が何事かと寄ってきたが、ただ食事をしているだけと解ると持ち場に戻っていった。

 外での食事は誰にも遠慮せずに、自由に食べて喋る事が出来るのでみんな笑顔だ。

 ヒジリとウメボシが珍しそうに見ている朧月蝶の(子供が聞いても問題がない)逸話や、闘技場でヒジリがお尻を叩いて挑発していた姿が滑稽だったという話題で大いに盛り上り、いつもは静かな大きな庭も今日ばかりは賑やかだった。



 その頃、城の地下にある一室で拷問官は四肢を鎖に繋がれた地走り族の男を詰問していた。

「そこに置いてある巻物はお前が用意した巻物だろう? チャックよ。誰の差し金だ? どうやって魔法院から厳重に保管してある巻物を盗んだのだ? あの勇敢なオーガが機転を利かせてエルダーリッチに供物を捧げなければ、我が国は滅んでいたかもしれんのだぞ? 個人的にはあのオーガの足にキスをして感謝を示したいほどだ」

 拷問官は特に威圧するようには言っておらず、のんびりとした優しい声で器具を選ぶ後姿が却って不気味だった。

 闘技場の支配人であるチャックは、エルダーリッチが現れた時にいち早く外に逃げようとしたのだが、他の闘技場関係者に捕まり、責任の全てを押し付けられて、残っていたリューロックの部下に差し出されたのだ。

 チャックは国王暗殺の疑いをかけられ、拷問官の持つ大きな針で体中の痛点をで一つ一つブスリと突かれていた。歯を食いしばって苦悶するが悲鳴は挙げない。茶色い長髪から覗く垂れ目が拷問官を睨んだ。

「あ~、懐かしいなぁ。貴族お抱えアサシンだった頃を思い出すぜぇ。捕まったら拷問は確実だったからよぉ~。痛みに抗う訓練は受けているんだわ~、何やっても無理無駄でさぁね。それによぉ~、巻物は俺が用意したんじゃねぇ。お前らと同族の没落貴族が持ってきたんだよ」

(暗殺容疑がかけられているというのに、わざわざ自分は元アサシンだと言う必要があるか? 痛みには慣れているから無理無駄だと? だったら黙って耐えていればいいではないか。ふん、虚勢だな。効果ありとみた。強がってはいるが明らかに動揺している)

 拷問官は表情には出さないが、ちょっと痛みを与えた程度で、ペラペラと喋るチャックを見て仕事が早く済みそうだと心の内でほくそ笑む。

「ほう? その樹族はどんな容姿だったのだ?」

「眼鏡をかけた賢そうな顔をした、頭の悪い女だったよ。名前は確か・・・マギン・マギウスだか、マグニスだったかな? 二日前に闘技場のメインに出すモンスターを酒場で考えていたらその女が、アンタ、闘技場のお偉いさんでしょ? リッチの巻物があるから買ってくれたらアチシもリッチになれるし~、いい感じ~~、とか言って巻物をたった一金貨で売ってくれたのよ」

「私は仕事柄、貴族を拷問する事が、いや寧ろ貴族を拷問する事が多い。ゆえに貴族の家名には詳しいのだ。マギウスやマグニスを苗字に持つ貴族は過去にも現在にも存在しない。それに巻物を識別すれば中身がどんなものか直ぐに解っただろう? なぜ識別をしなかったのか?」

 拷問官は痛点の多い膝の裏側に針を刺す。チャックはまた歯を食いしばって脂汗を流した。

「あ、当たり前だが、その辺の事はもう【知識の欲】で確認済みだ。リッチを召喚する巻物だと、ちゃんと頭の中に浮かんだぜ。あぁ、そうだ! 一つ思い出した! 当日、マギンは闘技場に来て、召喚士の後ろの席に座っているのを見たぜ。てっきり闘技場の熱心なファンかと思っていたがよぉ、あの時どうにかしてすり替えたんだ! きっとそうだ! ちげぇねぇ!」

(どの道、暗殺容疑が晴れたところでお前にはまだまだ余罪がある。ここで最も重要な国王暗殺容疑について喋るメリットは他の罪の減刑を期待しての事か、あるいはもっと重大な何かを隠しているかだ。となるとある程度真実を語っていると見るべきか)

「お前の言っている事は追々調べれば解るだろう。ご苦労様」

 拷問官はそう言うとチャックを魔法で眠らせた。

「さてさて、明日にでもジュウゾ様に報告せねば。報告前に街でムフーの絵草子でも買っておくか。確かあれは、アルハポリスからも新刊が出ていたはずだ。彼の描く絵草子は直ぐに売り切れてしまうからな、早く行って並ばないと。題名は何だったかな・・・。そうそう『エポ村の少女と奴隷オーガの情事』。国の滅亡から救ってくれた英雄ですら、薄い本の登場人物になってしまう我が国の文化、不謹慎ではあるが・・・どうして嫌いになれようか。フフフ」

 樹族にしては珍しく太っている拷問官は、明日買う薄い絵草子の内容を想像して、機嫌よく拷問室から出て行った。
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