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老婆の涙
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「酷いよ・・・。ヒジリのために、必死にスケルトンドラゴンと戦ったのに」
拗ねるシオにヒジリは申し訳なさそうに笑った。
「すまない、シオ」
「謝る必要ねぇよ、ヒジ坊。シオとウメボシちゃんは、おめえさんの肛門にキノコ入れようとしてたんだからよ」
杖がキシシシと笑う。
「ちょ! 馬鹿! 何でそれを言っちゃうんだよ!」
シオは焦りながらちらりとヒジリを見ると、彼はドン引きして僅かに後ずさりをしていた。
「う、嘘に決まってるだろ!(わぁこんなにドン引きするヒジリ、初めて見た・・・)」
「あの、マスター・・・」
ウメボシが近寄るとヒジリはビクリと驚き、バク転で離れる。
「暫くの間、私に近付かないでもらおう」
「しょ、しょんなぁ~~~!」
しょぼくれるウメボシを見て、闇ドラゴンは杖をついて笑う。
「ひゃひゃひゃ! そう嫌ってやるな、オーガ殿。彼女たちはお前さんの為に本当に頑張っておったようだしねぇ。少人数で、あの人工的なアンデッドを倒すのは容易な事じゃないよぉ」
「ふむ。では礼を言っておく。ありがとうウメボシ、シオ、ヘカティニス」
ヒジリが両手を広げている。抱きついても良しというサインだ。
三人は一斉にヒジリに抱きついて嬉しそうに頬ずりをしだした。
ふざけてマサヨシもヒジリに抱きつこうとしたが、シオに蹴られて弾き出される。
「やだ、なんだか寂しい! マサヨシにも愛のハグを!」
天を仰ぎ嘆いてからこちらを見るマサヨシを無視するように、老婆は「さてと」と言って腰を伸ばした。
「ヒジリや。お前さんは願いや、祈り、呪いまでも断ち切る。だったら、あたしをここから解放出来るはずだよ」
彼女がそう言って足元を指差したが、ヒジリには何も見えなかった。
「見えなくていいんだぁよ。ただ、あたしの踝辺りに触れてくれりゃあいい。ヒッヒッヒ」
ヒジリは言われるまま、ローブをたくし上げる老婆の踝に触れた。
シオ達には老婆を繋ぎ止める魔法の鎖が見えている。その鎖が一つずつ音を立てて壊れていく様子をじっと見ていた。
もしかしたら彼女の解放はとんでもない間違いだったという可能性もある。そういった不安がシオの頭を駆け巡ったが、最早どうしようもない。なるようになれと覚悟を決める。
「はぁぁぁ。力が戻ってくるよぉ! 今頃、色付きどもは大騒ぎだろうね! あはは!」
両手を広げて喜ぶ老婆の姿が、突然闇に霧散する。
代わりに光が集まり、八つの黒い翼を持つドラゴンが現れた。体長十五メートルほどあるだろうか? 羽ばたきもせず空中を浮遊している。
彼女はそっと地面に着地すると、息子の竜人を長い体で囲み、細い舌をチロチロさせながらヒジリを見る。
「ありがとうねぇ、お前さん達。お陰で力を取り戻せたよ。ところでさぁ、あんた達はダン・グランデモニウムを叩きのめしに行くんだろう? だったらあたしもついていくよ。あたしをここに縛り付けたのもあの男だからねぇ。ヒヒ」
「それは構わないが、手出しは無用だ。私の手でけじめを付けさせてもらう」
「勿論さ。見届けるだけでも十分だよ。さぁ行こうかい? 坊や」
闇ドラゴンは羽の生えた蛇のような姿から、再びゴブリンの老婆に戻ると、幼い我が子を抱き上げた。
穴の壁に沿うように作られた螺旋状の階段に向かうヒジリを、シオは呼び止める。
「あのさ、ヒジリ。狂王の城へ行くのはいいんだけど、俺たち、また狂っちまうんじゃないのか?」
「聖闘士に同じ手は通用しない。狂王のあの力は物理的なものだ」
「聖闘士? えっ? なに?」
「流石はマスター。その事に気がついていたのですね」
「あれを自動で防御できるウメボシを見ていたら、嫌でも答えは出る」
「いつもウメボシのことを見ていてくださるなんて、嬉しいです。でも、あの時は皆様が落下しないようにするのに必死でしたから、あれをどうにかする余裕はありませんでした」
シオは二人の会話を聞いて「う~ん」と首を捻って唸る。
「でもよ、マナが作用していたのは確かなんだよなぁ。魔法的なものでもあるはずなんだけど・・・」
「なに、現場で証明してみせるさ」
ヒジリの顔はいつも通り自信に満ちていた。シオはそんな彼の顔を見ると、なんとかなるような気がしてくる。
「そうだな。ヒジリは無敵のオーガだもんな」
ゴデの街から北東にあるグランデモニウム城に怒号や悲鳴が走った。
いきなり攻め込んできたオーガメイジに対し、騎士や衛兵の攻撃は全く通じない。
非力なはずのオーガメイジのゲンコツ一つで、オーガ門衛が地面にめり込み、ゴブリン兵士が掌底で吹き飛ばされ、しまいにはオークの騎士団が何もされていないのに吹き飛んだ。
「念力使いか?」
「馬鹿な! あれは上位ドラゴンの技だぞ! オーガメイジごときに使えるものか!」
オーガメイジを恐れた近衛兵達が、焦りと恐怖で顔を歪ませながら鉄の扉を急いで閉めたが、いとも簡単に扉は蹴破られてしまった。
鉄の扉のすぐ後ろには鋼鉄の格子があり、その隙間からシャーマン達が必死に魔法を唱えて攻撃をしているが、オーガメイジには全く効かない。
「あわわわ・・・。この化け物じみたオーガはどこから来た? 前からこの国にいたっけか?」
「し、知らねぇ! 聞いたこともねぇ。・・・あ! おい! 近衛兵の癖に! 王様を守りもせずに逃げるんじゃねぇよ!」
格好だけはきらびやかなゴブリンやオークの近衛兵たちは、王族専用の隠し扉を勝手に開けて中に入り逃げていった。
その様子を見ていたシャーマン達は、うむと頷く。
「よし! 作戦変更! 『命を大事に!』」
近衛兵の脱走を皮切りに、烏合の衆で名高いグランデモニウムの軍人達は城を見捨てて、さっさと逃げだしていった。
それを後ろで見ていたマサヨシが呟く。
「エェー・・・。よくこんな忠誠心の無さで国を維持出来ていたもんでつな。流石の俺でも引きますぞ」
「この国は狂王の個人的な能力と、ナンベルや砦の戦士ギルドでもっていたようなもんだかだな」
「君も国を支えていた一人だ、ヘカティニス。死の竜巻という通り名は、周辺国を震え上がらせていただろう?」
「おでは単体でしか役に立っていない。ナンベルは軍隊を上手に動かすし、砦の戦士たちも傭兵に指図して、集団で戦うのが上手い。一人のおでとは違う」
「君は実力が十分過ぎるほどあるし、いるだけで味方の士気を上げたり、相手を怯ませたりするから役に立っている。もっと自信を持ちたまえ」
そう言いながらヒジリは鋼鉄の格子をぽきぽきと折って通れるようにした。
「うん、ヒジリがそう言ってくでるならそうする」
ヘカティニスはたぬき顔を笑顔にすると、敵のいなくなった城内でヒジリの手を握って一緒に歩きだした。
「ちょ!(くっそー! ヘカティニスに随分とリードされているような気がする。俺だってヒジリのことが好きなんだぞ!)」
後方で二人の様子を見ていたシオがイライラしていると、それを察した杖がニヒヒと笑いだした。
「ヘカちゃんは天然の男殺しだな。あの可愛いたぬき顔で言い寄られたら、男は間違いなく骨抜きにされるだろうよ。それに素直だし、思った事をちゃんと口にするから裏表がない。お嬢ちゃんとは真逆だな。諦めたらどうだ? ニヒヒ!」
「ふーんだ、そろそろ王座の間だぞ。お前の戯言なんか聞いている暇はないもんね、馬鹿杖」
悔し涙をちょちょ切らせながら「ぐぬぬ」と呻くシオは涙をローブの裾で拭くと、杖を構えた。
「では王座の間に入る」
ヒジリが扉を開けると、いきなりオーク達が襲いかかってきた。目に光が無いところを見ると、既に狂王の能力によって自我を失っているようだ。
ヒジリが手刀で彼らの首の後ろを叩くと、狂気に蝕まれた近衛兵達はヘッドスライディングするような形で、扉の外へと飛び出し気絶した。
「可哀想にねぇ。ヒッヒッヒ」
足元に沈む近衛兵たちを見て、闇ドラゴンは杖を掲げた。
光が近衛兵達を包むと、狂気から開放され意識を取り戻し逃げていく。彼らは余程狂王に酷い目にあわされたのか、振り返ることもなく一目散に走っていった。
「婆さんは祈りも出来るのか! お嬢ちゃんと同じだな」
「あたしがいたあの穴は、魔法を使い放題、修行し放題だったからね。だからこそあそこにいたんだけどさぁ。ヒヒヒ。それにあたしゃ元々黒竜だったしさぁ、精神系の魔法や祈りは得意だぁよ」
杖は自分の知識を探る。殆どは長い年月の間、風化したり忘れたりしているが、過去に闇竜と戦った事があるのか、あるいは誰かから聞いた知識なのか、闇ドラゴンに関して、それなりの知識はあった。
闇ドラゴンとは、竜がその身を闇魔法に捧げて変化した姿だ。闇ドラゴンになった竜は、闇に傾倒するあまり邪悪に染まる者も多い。
残酷で禍々しい闇魔法を極めようとする者は間違いなく危険人物扱いをされる。
本人が至って温厚な人柄であろうが、関係なく誰もが忌み嫌うのだ。それほど危険な魔法が多い。だからこのドラゴンは他の仲間から疎まれ、監視されていたのだろう。
「きっとこの元黒竜は、辛い生き方をしてきたんだろうな・・・」
杖は誰にも聞こえない声でそう呟いた。
ヒジリが王座を見ると、脚を組んで頬杖をつく――――、不遜な態度の狂王がじっとヒジリを見つめていた。
「よく来たな、オーガメイジ。大方後ろの闇竜に助けてもらったのだろう? そいつは闇竜の癖に邪な考えを持つものを嫌う。お前は合格だったわけだ。ハッハッハ!」
「ん? 君はこの竜が怖いのではなかったかね? 態度に余裕が見えるな」
「まぁそれは後々解るであろう。さて、闇ドラゴンよ。宝を渡してくれる気にはなったかな?」
「答えはずっと前から出ていたはずだぁよ、ガン。あそこに宝はない。お前さんが寄こした冒険者の生き残りが、何度もそう伝えただろう?」
「嘘だな。色付き達はお前がとてつもない宝を隠し持っていると言っていたぞ。でなければお前のその強大な魔力の理由がつかん。魔力を増幅させる宝がきっとあるはずだ」
「色付き共に惑わされて、馬鹿な坊やだよ。お喋りはもういいよぉ。ヒジリや。ガンをコテンパンにしておやり」
「うむ」
ヒジリはいつものようにガチンと電撃グローブを叩き合わせた。バチバチと光がグローブの周りを飛ぶ。
小さな放電を見ても、ガンは臆する事なく頬杖をついたままだ。
「ふん、まぁいい。オーガメイジを倒した後はお前だぞ、闇ドラゴン。今回は色付き達が協力してくれるからな。楽しみに待っていろ。さぁ狂え! オーガメイジとその仲間たちよ!」
狂王の命令を聞いて涼しい顔をするヒジリとウメボシ以外は、皆額に脂汗をかいている。マサヨシに至っては頭頂部とTシャツの腋が汗でびっちょりだ。
「本当に大丈夫なんでしょうな? ヒジリ氏~・・・って、あれ? 前回は狂え! って言われた時点で俺達は狂い始めたんだけど・・・」
「ほんとだぜ! なんともなっていない! あの心の底から湧き上がってくる狂気が全くない! どうしてだ?」
どうして? ねぇねぇどうして? と纏わりついてくるシオとマサヨシにヒジリは迷惑そうな顔で説明をする。
「狂王は我々の周りに、目に見えない魔法の音波発生装置を作っていたのだ。マサヨシには音響兵器と同じ役目をするものだと言えば解りやすいかね? その音響兵器から生物が狂う周波数が出ており、それで我々は発狂させられていたのだよ。パワードスーツとセットになっているヘルメットを被っていれば、私もウメボシ同様効果はなかった」
「え? でも今は被っていないじゃん。それに俺たちにも効果がないの何故に?」
マサヨシの頭に浮く汗を見かねて、ヒジリはハンカチで素早く拭いた。
「ウメボシが狂王に向けて全く同じ周波数を出して、相殺しているからだ」
おおー、とマサヨシは納得し腕を組んで頷いた。
「なるほど! ステカセキングから地獄のシンフォニーを受けたキン肉マンとウォーズマンが、耳を近づけて耳鳴りを治したあれですな?」
「うむ。フフフ」
妙な例えにヒジリは笑った。
笑うヒジリの横を、杖をついた闇ドラゴンが歩き前に出る。彼女の息子はヘカティニスが抱いていた。
「チェックメイトだねぇ。ガンや。もうお前さんに手持ちの駒は無いよ」
「う、うるさい!」
ガンが咄嗟に丸い作り物の目玉を闇ドラゴンに投げた。ヒジリを飛んでくるそれを片手でキャッチする。
「なんだね? これは・・・?」
「透かし見の目だね。これであたしの宝の在り処を調べようとしたんだろうさ。ぶつけた相手の思考を隅々まで透かし見る貴重なマジックアイテムだよ。対のアイテムだからガンがもう一つを持っていないということは、ドラゴンが持っているんだろう」
はぁ、とため息をついた闇ドラゴンの目は、少し潤んでいるように見える。
「馬鹿だねぇ・・・。どうせ色付き達に沢山騙されたんだろう? これであたしから情報を引き出したら、お前の身を守ってやるとか言われたんじゃないかい? でもね、ガン坊や。色付きどもは来やしないよ。あいつらは、お前たち人型を見下しているからねぇ。使うだけ使ってポイさぁね」
狂王は前のめりになって、肘掛けを拳で連打する。
「黙れ黙れ黙れ! 私は利用などされてはおらん!」
腰から魔法をの剣を抜いて、逆上するガンは闇ドラゴンに襲いかかった。
「俺はあいつらからこの剣を私は貰った! この剣が何か解るか? ドラゴンキラーだ! これで斬ればお前の傷は永遠に塞がらないぞ! さぁ怯えろ!」
鍔には大きく口を開けたドラゴンの装飾があり、刃は薄っすらと魔力の光を放っている。
「見苦しいな」
ガンが剣を振り上げたところで、その手をヒジリは叩いた。
怪力で叩かれたガンの手は痺れ、剣は衝撃で弾き飛ばされた。
マサヨシがすぐにドラゴンキラーを拾っておどける。
「やりぃ! この剣は俺のもの! 俺のものったら俺のもの!」
高速で剣を掲げたり下げたりしてふざけている。
「ぐぬぅ・・・」
踊るオークの横で、悔しそうに蹲るオークキングを闇ドラゴンは悲しい目で見つめていた。
「この男はねぇ、生かしといても哀れなだけだよ。なにせ怒りの精霊に支配されているからねぇ」
「どういう事かね?」
「色付き達がこの男に強引に授けた力さね。こんなものは神が与えた力でもなんでもないよぉ。あいつらはこの男に怒りの精霊を無理やり宿らせて、狂気の力を与えたのさ」
「何のために?」
「そりゃあ、冒険者を狂わせてあたしと戦わせる為だよ。その間に宝を探すつもりだったんだろうけどさ。最近は破れかぶれになって穴の上から冒険者を落としていたねぇ」
「狂え! 狂え! 狂え!」
狂王と呼ばれた男は怒りと狂気でもう何も聞こえていないのか、ただひたすら「狂え!」と叫ぶばかりだった。
「当たり前だけど、この精霊は宿った本人もじわじわと狂わせていくのさ。もうこのオークは限界だよ。一思いにやっておくれ」
「私が触れば怒りの精霊は消えるのではないかね?」
「勿論消えるさぁ。でもその後は? あんたらと違って長年狂気に侵された彼の心は元に戻らないよ? 精霊が去ったってさぁ・・・彼はきっと」
ここでゴブリンの老婆はポロポロと涙を零した。
「きっと抜け殻みたいになって元通りには・・・、いかないよ。優しかったあの頃のガンみたいに、戻りやしないんだ・・・・」
「まんまぁぁ!」
竜人の息子が慌てて母親の元に駆け寄り、肩を抱く。
ウメボシの目からもポタポタと、ホログラムの涙が落ちた。
「まさか、その子は!」
拗ねるシオにヒジリは申し訳なさそうに笑った。
「すまない、シオ」
「謝る必要ねぇよ、ヒジ坊。シオとウメボシちゃんは、おめえさんの肛門にキノコ入れようとしてたんだからよ」
杖がキシシシと笑う。
「ちょ! 馬鹿! 何でそれを言っちゃうんだよ!」
シオは焦りながらちらりとヒジリを見ると、彼はドン引きして僅かに後ずさりをしていた。
「う、嘘に決まってるだろ!(わぁこんなにドン引きするヒジリ、初めて見た・・・)」
「あの、マスター・・・」
ウメボシが近寄るとヒジリはビクリと驚き、バク転で離れる。
「暫くの間、私に近付かないでもらおう」
「しょ、しょんなぁ~~~!」
しょぼくれるウメボシを見て、闇ドラゴンは杖をついて笑う。
「ひゃひゃひゃ! そう嫌ってやるな、オーガ殿。彼女たちはお前さんの為に本当に頑張っておったようだしねぇ。少人数で、あの人工的なアンデッドを倒すのは容易な事じゃないよぉ」
「ふむ。では礼を言っておく。ありがとうウメボシ、シオ、ヘカティニス」
ヒジリが両手を広げている。抱きついても良しというサインだ。
三人は一斉にヒジリに抱きついて嬉しそうに頬ずりをしだした。
ふざけてマサヨシもヒジリに抱きつこうとしたが、シオに蹴られて弾き出される。
「やだ、なんだか寂しい! マサヨシにも愛のハグを!」
天を仰ぎ嘆いてからこちらを見るマサヨシを無視するように、老婆は「さてと」と言って腰を伸ばした。
「ヒジリや。お前さんは願いや、祈り、呪いまでも断ち切る。だったら、あたしをここから解放出来るはずだよ」
彼女がそう言って足元を指差したが、ヒジリには何も見えなかった。
「見えなくていいんだぁよ。ただ、あたしの踝辺りに触れてくれりゃあいい。ヒッヒッヒ」
ヒジリは言われるまま、ローブをたくし上げる老婆の踝に触れた。
シオ達には老婆を繋ぎ止める魔法の鎖が見えている。その鎖が一つずつ音を立てて壊れていく様子をじっと見ていた。
もしかしたら彼女の解放はとんでもない間違いだったという可能性もある。そういった不安がシオの頭を駆け巡ったが、最早どうしようもない。なるようになれと覚悟を決める。
「はぁぁぁ。力が戻ってくるよぉ! 今頃、色付きどもは大騒ぎだろうね! あはは!」
両手を広げて喜ぶ老婆の姿が、突然闇に霧散する。
代わりに光が集まり、八つの黒い翼を持つドラゴンが現れた。体長十五メートルほどあるだろうか? 羽ばたきもせず空中を浮遊している。
彼女はそっと地面に着地すると、息子の竜人を長い体で囲み、細い舌をチロチロさせながらヒジリを見る。
「ありがとうねぇ、お前さん達。お陰で力を取り戻せたよ。ところでさぁ、あんた達はダン・グランデモニウムを叩きのめしに行くんだろう? だったらあたしもついていくよ。あたしをここに縛り付けたのもあの男だからねぇ。ヒヒ」
「それは構わないが、手出しは無用だ。私の手でけじめを付けさせてもらう」
「勿論さ。見届けるだけでも十分だよ。さぁ行こうかい? 坊や」
闇ドラゴンは羽の生えた蛇のような姿から、再びゴブリンの老婆に戻ると、幼い我が子を抱き上げた。
穴の壁に沿うように作られた螺旋状の階段に向かうヒジリを、シオは呼び止める。
「あのさ、ヒジリ。狂王の城へ行くのはいいんだけど、俺たち、また狂っちまうんじゃないのか?」
「聖闘士に同じ手は通用しない。狂王のあの力は物理的なものだ」
「聖闘士? えっ? なに?」
「流石はマスター。その事に気がついていたのですね」
「あれを自動で防御できるウメボシを見ていたら、嫌でも答えは出る」
「いつもウメボシのことを見ていてくださるなんて、嬉しいです。でも、あの時は皆様が落下しないようにするのに必死でしたから、あれをどうにかする余裕はありませんでした」
シオは二人の会話を聞いて「う~ん」と首を捻って唸る。
「でもよ、マナが作用していたのは確かなんだよなぁ。魔法的なものでもあるはずなんだけど・・・」
「なに、現場で証明してみせるさ」
ヒジリの顔はいつも通り自信に満ちていた。シオはそんな彼の顔を見ると、なんとかなるような気がしてくる。
「そうだな。ヒジリは無敵のオーガだもんな」
ゴデの街から北東にあるグランデモニウム城に怒号や悲鳴が走った。
いきなり攻め込んできたオーガメイジに対し、騎士や衛兵の攻撃は全く通じない。
非力なはずのオーガメイジのゲンコツ一つで、オーガ門衛が地面にめり込み、ゴブリン兵士が掌底で吹き飛ばされ、しまいにはオークの騎士団が何もされていないのに吹き飛んだ。
「念力使いか?」
「馬鹿な! あれは上位ドラゴンの技だぞ! オーガメイジごときに使えるものか!」
オーガメイジを恐れた近衛兵達が、焦りと恐怖で顔を歪ませながら鉄の扉を急いで閉めたが、いとも簡単に扉は蹴破られてしまった。
鉄の扉のすぐ後ろには鋼鉄の格子があり、その隙間からシャーマン達が必死に魔法を唱えて攻撃をしているが、オーガメイジには全く効かない。
「あわわわ・・・。この化け物じみたオーガはどこから来た? 前からこの国にいたっけか?」
「し、知らねぇ! 聞いたこともねぇ。・・・あ! おい! 近衛兵の癖に! 王様を守りもせずに逃げるんじゃねぇよ!」
格好だけはきらびやかなゴブリンやオークの近衛兵たちは、王族専用の隠し扉を勝手に開けて中に入り逃げていった。
その様子を見ていたシャーマン達は、うむと頷く。
「よし! 作戦変更! 『命を大事に!』」
近衛兵の脱走を皮切りに、烏合の衆で名高いグランデモニウムの軍人達は城を見捨てて、さっさと逃げだしていった。
それを後ろで見ていたマサヨシが呟く。
「エェー・・・。よくこんな忠誠心の無さで国を維持出来ていたもんでつな。流石の俺でも引きますぞ」
「この国は狂王の個人的な能力と、ナンベルや砦の戦士ギルドでもっていたようなもんだかだな」
「君も国を支えていた一人だ、ヘカティニス。死の竜巻という通り名は、周辺国を震え上がらせていただろう?」
「おでは単体でしか役に立っていない。ナンベルは軍隊を上手に動かすし、砦の戦士たちも傭兵に指図して、集団で戦うのが上手い。一人のおでとは違う」
「君は実力が十分過ぎるほどあるし、いるだけで味方の士気を上げたり、相手を怯ませたりするから役に立っている。もっと自信を持ちたまえ」
そう言いながらヒジリは鋼鉄の格子をぽきぽきと折って通れるようにした。
「うん、ヒジリがそう言ってくでるならそうする」
ヘカティニスはたぬき顔を笑顔にすると、敵のいなくなった城内でヒジリの手を握って一緒に歩きだした。
「ちょ!(くっそー! ヘカティニスに随分とリードされているような気がする。俺だってヒジリのことが好きなんだぞ!)」
後方で二人の様子を見ていたシオがイライラしていると、それを察した杖がニヒヒと笑いだした。
「ヘカちゃんは天然の男殺しだな。あの可愛いたぬき顔で言い寄られたら、男は間違いなく骨抜きにされるだろうよ。それに素直だし、思った事をちゃんと口にするから裏表がない。お嬢ちゃんとは真逆だな。諦めたらどうだ? ニヒヒ!」
「ふーんだ、そろそろ王座の間だぞ。お前の戯言なんか聞いている暇はないもんね、馬鹿杖」
悔し涙をちょちょ切らせながら「ぐぬぬ」と呻くシオは涙をローブの裾で拭くと、杖を構えた。
「では王座の間に入る」
ヒジリが扉を開けると、いきなりオーク達が襲いかかってきた。目に光が無いところを見ると、既に狂王の能力によって自我を失っているようだ。
ヒジリが手刀で彼らの首の後ろを叩くと、狂気に蝕まれた近衛兵達はヘッドスライディングするような形で、扉の外へと飛び出し気絶した。
「可哀想にねぇ。ヒッヒッヒ」
足元に沈む近衛兵たちを見て、闇ドラゴンは杖を掲げた。
光が近衛兵達を包むと、狂気から開放され意識を取り戻し逃げていく。彼らは余程狂王に酷い目にあわされたのか、振り返ることもなく一目散に走っていった。
「婆さんは祈りも出来るのか! お嬢ちゃんと同じだな」
「あたしがいたあの穴は、魔法を使い放題、修行し放題だったからね。だからこそあそこにいたんだけどさぁ。ヒヒヒ。それにあたしゃ元々黒竜だったしさぁ、精神系の魔法や祈りは得意だぁよ」
杖は自分の知識を探る。殆どは長い年月の間、風化したり忘れたりしているが、過去に闇竜と戦った事があるのか、あるいは誰かから聞いた知識なのか、闇ドラゴンに関して、それなりの知識はあった。
闇ドラゴンとは、竜がその身を闇魔法に捧げて変化した姿だ。闇ドラゴンになった竜は、闇に傾倒するあまり邪悪に染まる者も多い。
残酷で禍々しい闇魔法を極めようとする者は間違いなく危険人物扱いをされる。
本人が至って温厚な人柄であろうが、関係なく誰もが忌み嫌うのだ。それほど危険な魔法が多い。だからこのドラゴンは他の仲間から疎まれ、監視されていたのだろう。
「きっとこの元黒竜は、辛い生き方をしてきたんだろうな・・・」
杖は誰にも聞こえない声でそう呟いた。
ヒジリが王座を見ると、脚を組んで頬杖をつく――――、不遜な態度の狂王がじっとヒジリを見つめていた。
「よく来たな、オーガメイジ。大方後ろの闇竜に助けてもらったのだろう? そいつは闇竜の癖に邪な考えを持つものを嫌う。お前は合格だったわけだ。ハッハッハ!」
「ん? 君はこの竜が怖いのではなかったかね? 態度に余裕が見えるな」
「まぁそれは後々解るであろう。さて、闇ドラゴンよ。宝を渡してくれる気にはなったかな?」
「答えはずっと前から出ていたはずだぁよ、ガン。あそこに宝はない。お前さんが寄こした冒険者の生き残りが、何度もそう伝えただろう?」
「嘘だな。色付き達はお前がとてつもない宝を隠し持っていると言っていたぞ。でなければお前のその強大な魔力の理由がつかん。魔力を増幅させる宝がきっとあるはずだ」
「色付き共に惑わされて、馬鹿な坊やだよ。お喋りはもういいよぉ。ヒジリや。ガンをコテンパンにしておやり」
「うむ」
ヒジリはいつものようにガチンと電撃グローブを叩き合わせた。バチバチと光がグローブの周りを飛ぶ。
小さな放電を見ても、ガンは臆する事なく頬杖をついたままだ。
「ふん、まぁいい。オーガメイジを倒した後はお前だぞ、闇ドラゴン。今回は色付き達が協力してくれるからな。楽しみに待っていろ。さぁ狂え! オーガメイジとその仲間たちよ!」
狂王の命令を聞いて涼しい顔をするヒジリとウメボシ以外は、皆額に脂汗をかいている。マサヨシに至っては頭頂部とTシャツの腋が汗でびっちょりだ。
「本当に大丈夫なんでしょうな? ヒジリ氏~・・・って、あれ? 前回は狂え! って言われた時点で俺達は狂い始めたんだけど・・・」
「ほんとだぜ! なんともなっていない! あの心の底から湧き上がってくる狂気が全くない! どうしてだ?」
どうして? ねぇねぇどうして? と纏わりついてくるシオとマサヨシにヒジリは迷惑そうな顔で説明をする。
「狂王は我々の周りに、目に見えない魔法の音波発生装置を作っていたのだ。マサヨシには音響兵器と同じ役目をするものだと言えば解りやすいかね? その音響兵器から生物が狂う周波数が出ており、それで我々は発狂させられていたのだよ。パワードスーツとセットになっているヘルメットを被っていれば、私もウメボシ同様効果はなかった」
「え? でも今は被っていないじゃん。それに俺たちにも効果がないの何故に?」
マサヨシの頭に浮く汗を見かねて、ヒジリはハンカチで素早く拭いた。
「ウメボシが狂王に向けて全く同じ周波数を出して、相殺しているからだ」
おおー、とマサヨシは納得し腕を組んで頷いた。
「なるほど! ステカセキングから地獄のシンフォニーを受けたキン肉マンとウォーズマンが、耳を近づけて耳鳴りを治したあれですな?」
「うむ。フフフ」
妙な例えにヒジリは笑った。
笑うヒジリの横を、杖をついた闇ドラゴンが歩き前に出る。彼女の息子はヘカティニスが抱いていた。
「チェックメイトだねぇ。ガンや。もうお前さんに手持ちの駒は無いよ」
「う、うるさい!」
ガンが咄嗟に丸い作り物の目玉を闇ドラゴンに投げた。ヒジリを飛んでくるそれを片手でキャッチする。
「なんだね? これは・・・?」
「透かし見の目だね。これであたしの宝の在り処を調べようとしたんだろうさ。ぶつけた相手の思考を隅々まで透かし見る貴重なマジックアイテムだよ。対のアイテムだからガンがもう一つを持っていないということは、ドラゴンが持っているんだろう」
はぁ、とため息をついた闇ドラゴンの目は、少し潤んでいるように見える。
「馬鹿だねぇ・・・。どうせ色付き達に沢山騙されたんだろう? これであたしから情報を引き出したら、お前の身を守ってやるとか言われたんじゃないかい? でもね、ガン坊や。色付きどもは来やしないよ。あいつらは、お前たち人型を見下しているからねぇ。使うだけ使ってポイさぁね」
狂王は前のめりになって、肘掛けを拳で連打する。
「黙れ黙れ黙れ! 私は利用などされてはおらん!」
腰から魔法をの剣を抜いて、逆上するガンは闇ドラゴンに襲いかかった。
「俺はあいつらからこの剣を私は貰った! この剣が何か解るか? ドラゴンキラーだ! これで斬ればお前の傷は永遠に塞がらないぞ! さぁ怯えろ!」
鍔には大きく口を開けたドラゴンの装飾があり、刃は薄っすらと魔力の光を放っている。
「見苦しいな」
ガンが剣を振り上げたところで、その手をヒジリは叩いた。
怪力で叩かれたガンの手は痺れ、剣は衝撃で弾き飛ばされた。
マサヨシがすぐにドラゴンキラーを拾っておどける。
「やりぃ! この剣は俺のもの! 俺のものったら俺のもの!」
高速で剣を掲げたり下げたりしてふざけている。
「ぐぬぅ・・・」
踊るオークの横で、悔しそうに蹲るオークキングを闇ドラゴンは悲しい目で見つめていた。
「この男はねぇ、生かしといても哀れなだけだよ。なにせ怒りの精霊に支配されているからねぇ」
「どういう事かね?」
「色付き達がこの男に強引に授けた力さね。こんなものは神が与えた力でもなんでもないよぉ。あいつらはこの男に怒りの精霊を無理やり宿らせて、狂気の力を与えたのさ」
「何のために?」
「そりゃあ、冒険者を狂わせてあたしと戦わせる為だよ。その間に宝を探すつもりだったんだろうけどさ。最近は破れかぶれになって穴の上から冒険者を落としていたねぇ」
「狂え! 狂え! 狂え!」
狂王と呼ばれた男は怒りと狂気でもう何も聞こえていないのか、ただひたすら「狂え!」と叫ぶばかりだった。
「当たり前だけど、この精霊は宿った本人もじわじわと狂わせていくのさ。もうこのオークは限界だよ。一思いにやっておくれ」
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