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力を得るための代償

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「はぁ、はぁ……」

 リヤは、そこに立っていた。
 幼い体を、しかし血に濡らして……そこに、確かに立っていた。

 息も荒く、見つめる先には、倒れた獣の死体。
 魔物だ。

 元々弱っていた魔物、そこを狙った。
 けれど、しぶとくて……何度も、何度も何度も突き刺した。
 抵抗されても、何度も。

 おかげで、木の枝は何本も犠牲にしてしまった。
 それどころか、魔物の背中には木の枝の他に、石や魔物の爪なんかも、食い込んでいた。
 ありとあらゆるものすべてを、使った。

『おぉ、やったじゃねぇか』

 満身創痍のリヤに、声をかけるのは精霊だ。
 少なからず魔物の反撃を受けたリヤの体は、ボロボロだった。

 抵抗されても、やめなかった。
 武器を使うだけではない、引っかいたり噛みついたり……
 とにかく、思いつく限りのことを、した。

「はぁ……こ、れで、いいの?」

『あぁ、上出来だ』

 幼い少女にとって、生き物を手にかけることは初めてだ。いい気分ではない。
 もちろん、それが魔物だからと言って安らぐわけでもない。

 ただ、故郷の、仲間の、家族の仇……
 そう思えば、この罪悪感のようななにかも、消せるような気がして。

「それで……私はこれから、どうしたらいい?」

『あぁ……』

 精霊の話では、リヤが魔物を倒すのは試練のようなものだ。
 これをして初めて、力を得る方法を教えてくれる。

 姿の見えない存在は、確かにそこにいる。
 その存在を認め、リヤはその先に続く言葉を今か今かと、待ち望んで……

『食え』

「……ん?」

『魔物を、食え』

 ……思考が、停止した。

 それは、なんというか……見えない一から、思い切りぶん殴られたような。
 そんな、衝撃的なものだ。

 思わず、口元を押さえる。
 さっき噛みついた時、生臭かった……今になって、それを鮮明に感じる。

 噛みついただけでも、コレなのだ。
 だというのに……食え、つまりは食べろ、というのだ。

「……うそ、だよね」

『おれ様は嘘はつかねえ』

 無理だ、そんなもの……生理的に、無理。
 この、生き物を……自分が殺した、生き物を……?

 途端に恐ろしくなり、リヤは一歩と後ずさり……

『逃げるか?
 別におれ様は、それでもかまわねえが……後悔は、しないんだな?』

「……っ」

 その言葉に、歩みを止めた。
 後悔……後悔しないか、だと?
 そんなもの……

「……魔物を食べれば、強く、なれるんだね」

『あぁ、おれ様が保証する』

 もう、後悔などしつくした。
 ここで、また逃げて……なんになるというのだ。

 気持ち悪い……それでも、決めたではないか。
 力がほしいと。

 生き残ってしまった自分の……これが、できることだ。

「……わかった」

 そうだ、なにを迷う必要があるというのだ。
 リヤは、一歩一歩と歩みを進め……

 絶命した魔物の前に、立つ。

『そう難しく考えることはねえ。
 魔物の肉、内臓……まあ一部だな。
 を食べれば、莫大な力を得ることが出来る……ただ、それだけの話だ』

「……そんな話、聞いたこともない」

『まあお前はガキだしな。
 それ以前に、人間でこの方法を知る者はほとんどいねえさ』

「ふぅん」

 軽く、息を吸って……吐く。
 覚悟を決めれば、なんということはない。

 まずいと言っても、その間だけ我慢すればいい。
 その先に、魔族を殺せるための力が、手に入るなら。

「……いただきます」

 心を殺し、リヤは魔物の腹部に突き刺さった枝を握り……力の限り、手を動かしていく。
 腹を、裂いていくのだ。

 嫌な感触、音……心を殺しても、そう簡単にできることではない。
 それでも、リヤは魔物の腹へと手を突っ込んで……

「……はむ」

 引きずりだした内臓を、口に運んで食べた。

「……!? うぇえ……!!」

 瞬間、口の中に広がる、なんともいえぬ臭み。
 以前、父親が捕まえてきた魚を、面白半分で調理前にかじりついたが……

 感じる臭みは、あんなものの比ではない。
 思わず、口にしたものを吐き出す。

「うぇっ、えっ……げぇ!」

『おいおい、そんなもんかお前の覚悟は?』

「くっ……」

 吐き出した内臓を、掴み、再びリヤは口の中に突っ込んだ。
 意思とは関係なしにこみあげてくる嘔吐感。
 リヤは口を押さえ、吐き出さないように必死に我慢した。

 汗も涙も鼻水も流れ出してしまうが、これだけは吐き出さない。
 長い時間をかけて、やっと、飲み込んだ。

「っはぁ、はっ……こ、れで…………っ!?」

 ぐちゃぐちゃになった顔で、一種の満足感を感じる。
 これで、力を得ることが出来る……

 そう、思った瞬間だ。
 胸を打つ感覚、直後全身が痛みに襲われる。

「ぅあ、あぁああああぁああああぁあああ!?」

『……』

 胸を押さえて、その場にうずくまる。
 リヤは、自分でも出したことがないほどの声を、出していた。

 体の中で、なにかが暴れている……
 そんな、感覚があったが、すぐに消えた。

 痛みが、苦しみが、ささいな疑問を打ち消していく。

「あぁアアアぁああああァアアああ!!!」

『魔物の一部を食べれば、莫大な力を得ることが出来る……そんなこと聞いたことないと、お前は言ったな』

 苦痛にもがき喘ぐリヤを、おそらくは見下ろしながら……精霊は言う。

『アレは嘘じゃねえよ、真実だ。
 言ったろ、おれ様は嘘をつかない』

 あの情報に、嘘はない。
 そう、嘘はなにもないのだ。

 ならば、なぜその話を聞いたことが、ないのか……
 人間に、伝わっていないのか……

『魔物の一部を食べるとどうなるか、その結果が今のお前さ。
 そして、行く先は二つ……
 成功すれば晴れて魔族に種族チェンジ、失敗すれば……死ぬからだ』

 精霊は、言葉を続ける。

『この話が伝わってない理由だって?
 死んだら伝えられないのはもちろんとしても……成功しても、それを伝える元人間はいないからさ。
 考えてもみろ。魔物の一部を食って魔族になりました……なんて、人間に言えると思うか?
 信じてもらえないか、仮に信じてもらえても魔族になるような狂った奴は殺されるのがオチさ。
 だからお前も……あぁ……

 もう聞こえちゃいないか』

 己の声で、耳がつぶれるほどの絶叫を発するリヤに、そのような言葉聞こえるはずもない。

 成功すれば魔族に、失敗すれば死……
 それこそが、リヤの行き着く先だ。

「ウゥぁアアアあぁあぃいいいいいいァアアあああぃいあああアあああァアアああああ!!!」

 どちらにせよ、決着がつくまで……あと、どれほどかかるのだろうか。
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