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第5章 貴族と平民のお見合い
残された傷跡
しおりを挟む……あれから、ひと月が過ぎた。あの件が公になり、当初は国中が混乱したものだが、時間が経ちだんだん元の静けさを取り戻していった。
貴族による、平民一家殺し……これは、当然ながらとんでもない騒ぎとなった。騎士学園に通うノラム家の長男が、同じく騎士学園に通う平民生徒の両親を殺したからだ。
ガルドロとギライ・ロロリアの件のように、隠すことは出来なかった。それはそうだろう、実際に人が死んでいるのだ。もしもこの件が、貴族の不祥事だからと隠蔽されるようなことがあったら、俺が声高に叫んでいたところだ。
ガルドロとギライ・ロロリアの件は、隠蔽……というか、ここまでの事の大きさにはならなかったし、なによりミライヤの願いで内々の出来事に収めた。
だが、この一件はそうはいかなかった。目撃者の数、人死、起こした騒ぎの数々……それらを考えれば、いくら貴族の家であっても、揉み消すのは不可能だった。
「……」
あの日、誰が通報したのか学園から何人も教師がやって来た。まあ、あれだけ騒ぎを起こせば誰でも呼ぶだろうが。
話を聞ける状態だったノアリから軽く話を聞いた後、気絶したビライスを2人の教師が拘束。連行した。ヤネッサの治療のために、エルフの教師が治癒魔法をかけてくれたが、残念ながら腕はくっつかなかった。
ヤネッサは、気にしないでと笑っていた。ミライヤを守ることが出来たし、後悔はしていないと。ミライヤは、何度も謝っていた。
俺はというと、状況が状況だったとはいえ、私的な理由で剣を使ったことを咎められた。ミライヤやノアリが必死に弁解してくれてはいたが、それはそれ、これはこれだという。
もっとも、俺は別にそれについて後悔していない。ただ、斬りたい奴を斬った……それだけだ。
『詳細を、聞かせてもらいますね』
学園へと戻った俺たちは、校長室に呼ばれ、話をした。ヤネッサが血のにおいを嗅ぎ取りあの家に行ったこと、ミライヤの両親が殺されていたこと、ミライヤも深手を追っていたこと、魔導書を探してあんな凶行に走ったこと、魔導書は斬り捨てたこと……
教師の何人かは、魔導書について初耳といった感じだ。エルフ族の教師でさえ、聞いたことはあっても見たことはないという。残りは、話の信憑性を考えているようだった。
もちろん、俺ひとりに話を聞くのではなく、ノアリにも話を聞いた。まあ俺とほとんど内容は同じものだったが。ヤネッサは、治癒魔法により傷口の出血は止まったとはいえ休んだほうがいい、というのも拒否し、同じく話をした。
教師たちが一番話を聞きたかったのはミライヤ本人だったようだが、ミライヤはあの後気絶するように眠ってしまった。起きてから話を、といきたいところだったようだが、事が事だけに慎重を持って、扱われた。
ビライスについては、錯乱したように不気味な笑みを浮かべていたのだという。その様子と、俺たちの話を統合し、ビライスがミライヤ一家を襲ったのは事実だと、断定された。
『あなたには、一週間の謹慎を言い渡します』
と、俺への処分が下ったのは翌日。本来なら私的な剣の使用で一ヶ月は謹慎のところを、ノアリとミライヤのおかげで大幅に縮まった。とはいえ、やはり両手を斬り落としたのはまずかったようだ。
相手が悪人でも、だからなにをしていいわけでもない。切羽詰まった状態であったならともかく、俺にはわりと余裕があった。もし殺していたら、退学になっていたかもしれない。
一週間、寮で過ごしている間、暇ではあった。それに、シュベルト様にも怒られた。そんな危ないことをするなんて、なにを考えているんだ、と。
もっとも、やったことは立派なことだと、最後には力強くうなずいてくれたが。
……そして、一週間の後。学園に復帰した俺を待っていたのは、予想もしていない光景だった。
『あ、おはようございます、ヤーク様』
いつもと同じように、俺に挨拶してくれるミライヤ。まだ一週間、傷も癒えていないだろうに。それでも、気丈に笑顔を浮かべていた。
だが、不思議とその距離が近いように感じた。とはいえそれだけなら、まだよかった。だが……
『なぁ、これ、落としたけど……』
ミライヤが物を落とし、それを近くにいたクラスメートが拾ったときのことだ。そいつは当然貴族で、男だった。今までなら、ありえない光景だ。
俺が謹慎している間に、クラスメートにはある程度の事情が話されたらしい。ビライス・ノラムが錯乱し、ミライヤの両親を殺したこと。ミライヤの心の傷……それを知ったクラスメートは、ミライヤへ同情の念を向けた。
両親を、最近親しくしていたクラスメートに殺されたのだ。同情であろうと、これまで平民と見下していた貴族たちは、ミライヤへの接し方を変えた。思ったほど、貴族ってやつは腐った奴ばかりじゃないらしい。
……問題は、その後だ。
『ひっ……いや、ぁあ!』
その貴族が、拾った物を渡すため、手を差し出した……その瞬間、ミライヤは顔を青ざめさせ、体を震わせ、その場に膝をついた。胸元に手を当て、まるで発作が起きているよう。それは、その日が初めてではなかったようだ。
どうやらミライヤは、貴族に……いや、男に生理的な嫌悪感を抱いてしまったらしい。嫌悪感、なんて生易しいものじゃないな……拒絶感、と言えばいいか。
理由は、わかる。一度は自分を想い、共に過ごしてきた男に裏切られ、両親を殺された。それは、ミライヤの心に深く、深い傷となって残った。
結果、男が近くに寄ってくるだけで、抵抗感が出るようになってしまった。これには、クラスメートも困惑し……世話は、女子だけでするようになったとのことだった。ただたまたま、その時は近くに女子がいなくて、俺の前で発作を起こしてしまった。
『ヤーク様は、大丈夫みたいです。お願いします……遠くに、行かないで、ください』
俺とミライヤが会うのも、一週間ぶり。だが、再会しても発作は出なかったという。それは、俺がミライヤを救ったから、という形になっているからなのだろうか。
正直、そのことについて優越感に浸るとか、そんなことはない。傍から見れば、それは自分を救ってくれた者への好意に、見えるかもしれない。
だが、それは違う。それは……依存だ。男を拒絶し、しかしその中で、自分を救ってくれた相手にすがることしかできないという、依存にも近しいものだ。
遠くに行かないでというのも、自分を残して死んでしまった両親のことを思い出してだろうか。……正直、依存であっても、ミライヤの心が休まるまでは、俺はできる限りのことはしてやりたいと思っているが。
「……はぁ」
そうこうしているうちに、3週間……あの事件から、ひと月が経った。今俺は、屋上にひとりで、ベンチに座っている。空が、青い。
ミライヤは相変わらず、男は俺にしか心を開かない。それは、もしかしたら貴族であるクラスメートだからかもと思い、町に出てみたが……貴族でも平民でも、関係ない。男に、異様な拒絶反応を見せる。
その原因となったビライスは、学園から正式に憲兵に引き渡された。その過程で、ガルドロとギライ・ロロリアを魔石で操っていたというのが明らかとなり、2人は釈放された。だが、操られていたとはいえしでかしたことは重い……家でどんな扱いを受けることになるのか。
ノラム家は、ビライスのしでかしたことの責任を取り、当主であるビルリヤ・ノラム……つまりビライスの父親が、謝罪した。世間では、すでにノラム家の殺人事件が広まっていたからだ。
もちろん謝罪だけで済むはずもなく、相応の罰が与えられたようだが……俺には、どうでもいいことだ。家ぐるみの犯行だったならともかく、今回の件はビライスの独断だったのだから。
「……ここに、いたんですね」
「……ミライヤ」
考え事に耽っていたが、入り口から声がした。扉の側には、ミライヤがいた。俺の顔を見るや、照れくさそうにしながら近づいてくる。
ミライヤは、俺に対してそんな表情を向けることが多くなった。それは好意……のように見えて、そうではないものだと、俺は思っている。先ほども考えた、依存だ。
「こんなところに、ひとりでどうしたんですか?」
「いや、ちょっと考え事をな」
風が吹く。ひらひらとはためくスカートを押さえつつ、ミライヤは近づいてくる。そして、抵抗なく俺の隣に座った。
「……先日は、ありがとうございました」
「ん? ……いや」
先日……ほんの数日前、俺はミライヤと、ノアリと、そしてヤネッサとミライヤの実家へ行った。ひと月経っても、現場はあの頃のまま。現場は保存され、何人かの憲兵が忙しそうに調べていた。
あの事件には、まだ謎が多い。ほとんどの教師ですら知らなかった魔導書の存在、それをビライスはどこで知ったのか。ノアリのように、存在は知っていたとして、それがどうしてミライヤの家にあると知っていたのか。
以前の俺たちの会話を聞いたのか……いや、ないな。あの時は前フリなく、そういう話になった。おまけに食堂で、周囲もにぎわっていた。初めから話題に当たりを付けていたならともかく、あんな大勢の中、俺たちの会話から魔導書の単語を聞きつけるのは不可能だ。
だとすれば、ビライスに魔導書の存在をほのめかした奴がいる。ガルドロとギライ・ロロリアを操っていたビライスの、さらに黒幕という話だ。
「……父と母も、きっと、ヤーク様が手を合わせてくれて、喜んでいると思います」
「……そうかな」
俺たちは、ミライヤの両親に手を合わせた。いきなりのことで、まだ墓とかは作られていないから……せめて、亡くなった現場でだ。
ミライヤの両親には会ったことがなかった。だが、いずれは……とも思っていた。変な意味ではなく、純粋に友達として。それが、まさかあんな形で、会うことになるとは思わなかった。
「……私、まだ、怖いんです」
話題が切れてしまったが、ミライヤが呟く。しかし、その声は震えていた。
なにが、とかどうして、とかは聞くまい。それを聞かなければわからないほど、俺は鈍感ではないつもりだ。
まだ……とは、あれからひと月が経つのに、という意味だろう。だが、仕方ないことだと思う。信じていた人に裏切られ、両親を殺されたのだ。怖くないほうがおかしいだろう。
……信じていた人に裏切られる気持ちは、よくわかる。俺も、転生前の最期は、そうだったから。
「お父さんと、お母さんのことも、そうですけど……もしかしたら、ヤーク様やノアリ様まで、いなくなっちゃうんじゃ、ないかって」
ビライス・ノラムの凶行。それを止めに入った俺も、ノアリも、一歩間違えたら死んでいたかもしれない。その事実が、ミライヤは怖かったのだろう
ビライスの剣が片付き、あの後再び気絶したミライヤ。目を覚ましたら、俺もノアリもいなくなっていた……そんなことを想像してしまうほど、恐怖に押しつぶされていたのだ。
「ヤーク様、勝手なお願いなのはわかっています。でも、ヤーク様は、いなくならないで、ください」
俺を見ながら、いつか言ったものと同じような言葉を、告げる。その目は潤み、声は震えている。不安を体現したようにさえ、感じる。
もちろん、俺はミライヤの前からいなくなるつもりはない。だが、人生などなにが起こるかわからない。復讐を終えたとして、俺だとわからないよう考えてやるつもりだが、もしかしたらみんなの前から姿を消すことがあるかもしれない。
それでも……
「あぁ、約束する。ミライヤの前から、いなくなったりしないよ」
ミライヤに不安を残すよりも、俺は、この解答を選んだ。
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