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七章
マールト:甥の決意
しおりを挟む彼——我が妹であるリエータの息子、ヴェスナーが部屋を出て行ったあと、その背中を追うようにして彼のメイドが丁寧に礼をしてから出ていき、さらにその後をエルフの姫とその従者である少女がついていった。
そんな光景を眺めたあと、私は異変を伝えにきた伝令に指示を出して兵たちを動かす。
こんな伝令が来るということは、国境の状態は相応に悪いのだろう。でなければ父上が援軍など求めるはずがない。
それはつまり、今回は今までの小競り合いやただの嫌がらせではなく、何かしらの勝算があって全力で勝ちに来ていると言うことに他ならない。
であれば、早急に部隊を整えて送り出さなければ。取り急ぎ騎兵だけの部隊を二千ほど送ることにしたが、砦での戦に馬はさしたる意味をなさないうえ、たった二千程度では役に立つかどうか……。だがそれでも人手があるに越したことはないのだから送る意味はあるだろう。それで時間を稼いでくれれば後から本隊がたどり着く。そうすれば堪えることはできるだろう。
もっとも、敵の持っている『勝算』の内容がわからないのでなんとも言えないが。
だが、ついでに送り出す騎兵の部隊に彼のことも頼めば、少なくとも道中の安全は問題ないだろう。
ひとまず今するべき指示を終えた私は椅子に座り背もたれに体を預けて寄りかかりながら、大きく息を吐き出した。
「……いやはや、恐ろしいものだな。あれが私の甥か……」
思い出されるのは自身の甥のこと。死んだことにされたが実は生きている。と言うのはリエータからの情報で知っていたが、まさかあれほどの存在になっていようとは……。
本当に恐ろしい。見た目はまだ成人しているかいないかという程度のものであるにもかかわらず、その体から感じる威圧感はかつて戦場に出た時に感じた危機感と同じものを……いや、それ以上のものを感じさせた。
リエータもそうだが、あれは恐ろしいと言わずにはいられない。
「伯父様、よろしかったのですか?」
彼らをこの城まで連れてきた張本人であり彼の妹、そして私の姪であり王女でもあるフィーリアが心配そうな表情で問いかけてきた。
だが、正直なところその問いかけに対する答えを、私は持ち合わせていない。良いか悪いかでいったら、間違いなく悪いのだ。だがそれでも私は彼らを行かせることにした。
「よろしいも何も、どうしろと? あれは止められるようなものではない。それは君もわかっているだろう?」
ここで止めたところで、彼は止まらなかっただろう。いや、だろうではなく、まず間違いなく止まらなかった。それこそ、本当に我が領の全軍を相手にしたとしても迷うことなく突っ込んでいくだろう。
そもそも、今の我々にそんな無駄なことに割く余裕などないのだ。問題を起こされて時間を浪費させられるよりは、一緒に連れていってしまった方がいい。
「ですが、向かう先が戦場では……」
「そうです! 戦場に子供一人向かわせたところで何ができるというのですか!」
「アウグスト」
兄を心配するようなフィーリアの言葉に、我が息子であるアウグストがテーブルを叩きながら立ち上がって叫んだ。
私は息子の名前を呼んでたしなめたが、それでも落ち着く様子を見せない。
「見た目で侮るのは良くないというのは理解してます。でも、あいつはその実力が突き抜けてすごいというわけではありません。模擬戦だって、あと少しで俺が勝てたくらいです! 戦場でまともに戦おうとすれば死にます!」
この子はどうにもな……。落ち着きがないというか、些か感情で動くところがある。それはこの子の母——私の妻の血筋であるのだから仕方ないと言えなくもないが、もう少し落ち着いて行動できるようにしてほしいとは思う。
まあ、今のアウグストの場合は普段とは違い些か暴走気味だと言うのは私にも理解できるが。おそらくだが、その暴走の原因は彼だろう。加えて言うのなら、その妹であるフィーリアも。
アウグストはどうにもフィーリアに対して恋愛感情を持っているようだからな。本人は気がついているのかいないのかわからないが、はたから見ていれば一目瞭然だった。
この国では従兄弟の結婚を禁止していないし、我々としても余計な勢力との関わりという面倒がないのでアウグストの結婚相手にフィーリアというのは考えたことがある。
今の段階では絶対に決めなくてはならないということもないので保留となっているが、そんな時に見知らぬ男がフィーリアと親しげにやってきたのだから、まあ焦ることだろう。意識しているのか無意識かは置いておくとしてもな。
今叫んだのは、そんなライバルとも言えるような相手のことを心配したからではなく、ライバルが戦場に行くことで、優位にたたれるのを嫌ったのことだろう。彼がなんらかの成果を成してしまえば王女の結婚相手として一歩リードされることになるのだから、焦りや不安のようなものを感じているのだろうと思う。
その気持ち理解できないわけではないし、
だが……
「死ぬ、か……」
「そうです!」
アウグストは私の呟きに対して大きく頷いているが……どうだろうな?
死ぬ。確かにあの年齢の子供が向かったところで意味はない。それは私とて十分に理解している。だからこそ先程止めたのだしな。
だが、なぜだろうか。どうしても彼が死ぬ姿を想像することができなかった。
「だが、それはまともに戦えば、だろう?」
「父上はあいつが強いとおっしゃられるのですか!?」
私が言っても信じないのは、ライバルに対する敵愾心もあるだろうが、実際に戦ったことがあるからだろう。
アウグストが彼に勝負を挑んでいたのは使用人たちやフィーリアからの報せでわかっていた。
その結果としては負けたらしいが、その勝敗はギリギリだったとも。
だからこそ、彼が強いというのは余計に信じられないのだろう。
「確かに、模擬戦という括りではお前といい勝負なのかもしれない。だが、彼はすでに第六位階にたどり着いている猛者だ。模擬戦ではそれなり程度の力だったとしても、スキルを使った実戦ともなれば話は変わるのだろう」
「ですが所詮は農家です! あの歳で第六位階にたどり着いた。それはすごいことでしょう。ですが非戦闘職である農家がたどり着いたところで何ができるというのですか!」
確かに農家ではあるが、そもそもあの年齢で第六位階にたどり着いているという事実を見落としている。
第六位階など、そう簡単に辿り着けるものではないのだ。それこそ、不快感を感じないギリギリまでスキルを使い続けて鍛えたとしても、十数年という時間がかかる。
だが、彼はあの歳で第六位階だ。それはつまり、不快感を感じないギリギリでスキルを鍛え続けたわけではなく、不快感を感じてもそれを押し殺して使い続けたということに他ならない。
一度体験してしまえばもう二度と体験したくないと思うほどにひどい苦痛。それを耐えて鍛え続けたというのなら、それははっきり言って狂気の沙汰だ。
そんな狂気の行動を選び続けることができるほどの精神力。それはもはや子供だと侮っていいものではない。
「そうだな。確かにそういう意見もあるだろうし、私にもその考えはある」
だが、それはそれとして『農家』という戦いに全く関係ない天職を得てしまっている、という懸念も理解できる。
しかしそれを理解した上で、彼ならば死なないだろうという思いがあったのだ。
「だが、お前はあの彼の様子を見て何も感じなかったと言うのか? 私でさえ気圧されたあの気迫。あれがその気迫の根底たる力もなく吐かれた言葉だと、本当にそう思うのか?」
「それは……」
あれほどの殺気だ。私に向けられていたものだとしても、周囲の者が何も感じなかったわけがない。それも、騎士という職を得て鍛えてきたアウグストであれば尚更気づけなかったなどということはないだろう。
事実、アウグストも感じ取れていたようで私から逃げるように顔を逸らした。
アウグストも彼の殺気を感じ取っていたにもかかわらずそれから目を逸らしていたのは、彼に対する敵愾心のせいだろう。
……さて、そろそろいい時間だろう。これから戦だと思うと気は進まないが、それでも指揮するものとして動かないわけにはいかない。私も準備に向かうとしよう。
「——気迫はすごかった。それは認めましょう」
それで話は終わりかと思い立ち上がろうとしたのだが、今度はアウグストではなく妻のメリーチェが何事かを話し始めた。
「ですが、アウグストの言うことも正しいのではありませんか? 気迫だけ、言葉だけでどうにかなるほど戦争というものは甘いものではありません。それはあなたもよくご存知でしょう? それとも、あなたにはあの子が生き残れるだけの根拠があるとでも?」
「……根拠か。いや、そういう私も実際に見たことがある訳ではないのではっきりとしたことが言えるわけではない。……だが、あの瞳は凄まじかった。勝てると思うだけの何かはあるのだろうな。そう、自然と思えるほどにはな」
そう言って立ち上がると、私は軍の指揮をするために歩き出し、食堂を出ていった。
「守りたいものを守るため、か。青臭い言葉ではあるが……良い家族に恵まれたようだな」
死ぬことなく生きていた甥っ子のことを思い浮かべながらそう呟き、その成功を願うことにした。
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