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七章
母の元へ
しおりを挟む「なんだ、この叫びはっ……!」
たった今死んだはずのドラゴンの叫びが聞こえてきたことで、イルヴァは目を見開いて驚きを露わにし、バッと勢いよく戦場へと振り向いた。
そしてそこには、やはりというべきか。ドラゴンが空を飛び、俺たちを睥睨していた。
どうして、さっき倒れたはずなのに。そう思ったが、それは違った。
いや、倒したことが違ったわけではなく、先ほど倒したはずのドラゴンが実は死んでいなかったというわけではなかった。さっきまで母と戦っていたドラゴンは確かに死んでおり、その死体は確かに地面に横たわっているままだ。
では何がどうしてドラゴンの鳴き声なんか聞こえてきて、その姿空に見えるのか。
簡単な話だ。敵の操ったドラゴンは一体ではなかったというだけのこと。〝二体目〟のドラゴンが現れたのだ。
「ドラゴン、だと……? ばかな。倒したはずでは……。まさか、一体ではなかったというのか……」
二体目のドラゴンが現れたことでイルヴァは呆然とした様子でそう口にした。
だが、それはその場にいた者全員の心を代弁したものだっただろう。誰もが二体目のドラゴンがいるだなんて考えていなかったに違いない。
「まずいっ!」
しかし、そんなことを考え、宙に浮かぶドラゴンを見ている間にも当のドラゴンは動き出した。
空からゆっくりと地面に降り、多種族であるが故に感情なんてわからないはずなのにそれでも理解できるほどに嗜虐的な感情の見える笑みを浮かべた。
ドラゴンは体を動かしたかと思うと静まり返っていた戦場に女性の悲鳴が響き、それはまるでこの場にいる全員に聞かせようとでもしているんじゃないかと思えるくらい嫌にはっきりと聞こえてきた。
そして、聞こえてきたその声は、今までずっと忘れることのできなかった声と同じだった。
つまりは母の声。一体目のドラゴンと戦い、動けなくなったところを襲われたのだろう。
「くそっ!」
そう理解した瞬間に俺は壁の縁へと向かって走り出し、そのまま飛び降りた。
普通ならこんな高さから落ちたら死ぬだろう。だが俺は非戦闘職とはいえ第六位階。身体能力は常人の五倍近くある。それに加えてカラカスで学んだ逃走術を生かし、高所から飛び降りる際の衝撃の逃し方を行えば怪我をすることなくおりられる。
実際にそんなことを考えてから飛び降りたわけではなく、ただじっとしていることができなかった。ただ考えるよりも先に体がそう動いていただけだ。
「なっ、何をしておる! 行ったところで何ができるというのだ!」
突然壁の上から飛び降りた俺に驚いたのだろう。上からイルヴァの声が聞こえるが、振り向かず、止まらない。
そのまま走り出し、俺は前方に固まっていた兵達の間をくぐり抜けて前へと進んでいく。
「くそっ——《案山子》!」
だが、同然ではあるのだが、向こう側への入り口である橋に近寄ろうとすると敵や魔物達がこちらを狙って攻撃をしてきた。
俺へと向かってくる攻撃は武器や石を投げたり弓矢を使ったりした簡単なものだったから、大した苦労をすることもなく攻撃を避けることができた。
しかし、今の俺には時間がない。急がないといけないのにそんな何度も攻撃をされ、いちいちそれに対処するなんてことをしていれば無駄に時間が取られるだけので、スキルを使って案山子を生み出し、意識をそちらへとそらすことにした。
突如現れた案山子に意識をむけ、誰も俺のことなんて気にしなくなった中、俺はただひたすらに走り続ける。
そうして魔物の群れの中に突っ込んでいけば敵の狙いは俺に集中するが、橋の上という密集している場所では仲間への被害を考慮しなければならないために敵は大した攻撃もできない。
であれば、そんな攻撃は簡単に避けることができる。
それに、そもそも攻撃されること自体がさほど多くはない。案山子を作りだせば、そっちに気を持っていかれるからだ。
時折案山子を無視してこっちに攻撃をしてくる奴もいたが、どうしても避けられない時は播種や潅水を使って敵の隙を作り、肥料生成で敵を倒しながら強引に突き進んでいく。
俺の通った後には少しうねりながらも前へと進んでいく一本の線ができていただろう。
一人で魔物の群れの中に突っ込んでいき、その中を突き進むだなんて話、誰かが聞いたところで笑い話にすらならないだろう。誰も信じない与太話と思われておしまいだ。
だが、そんなバカみたいなことを俺はやり遂げた。
ここに来るまで何十程度では収まらない数のスキルを使い、数百、あるいは千を越したかもしれない。
それでも、俺は魔物の群れの中を抜け、その先にいたドラゴンと、その足元で倒れている女性——母を見つけ出すことができた。
しかし、見つけ出した母親の姿を見て、俺は目を見開いて足を止めそうになった。
遠目から見た限りではただ攻撃を受けているとしかわからなかったのだが、ここまで近寄れば何が起きているのかよくわかる。
本来母の足がある場所には、ドラゴンの手が存在していた。つまりは、踏み潰されているということだ。
寸止めなんかじゃないのは、その下から流れている赤い液体を見ればすぐに分かった。
その光景を見た直後、俺はわずかな時間表情を消して真顔になった。
人ってあまりにも抑え切れない感情が生まれると真顔になるんだって聞いたことはあるけど、初めて体験したな。なんて、そんなことを考える余裕すらあった。
いや、余裕とは違うか。ただ、なんていうか頭の中がまとまらないっていうか、色々と見ているものと頭の中と感情が繋がらないっていうのかな。ぐちゃぐちゃになった思考の中で、足を止めずに走り続けたのが奇跡にすら思える。
でもそれらが全部繋がった瞬間、俺の中の何かが切れた。
ギリッと音を立てて歯を食いしばると、ここに来るまでに結構中身を減らしたポーチの中に乱暴に手を突っ込んでその中身を取り出し、目の前にばら撒きながら殺意を込めて叫んだ。
「落ちろクソ野郎っ!」
そう口にすると同時に《播種》を発動し、ばら撒いた種はドラゴンの前身に向かって飛んでいく。
たかがその辺に売っている植物の種如きを投げたところで、伝説や御伽噺にも出てくるような化け物であるドラゴンに効果があるはずがない。
だが、これはスキルだ。ただ投げたんじゃなく、この体に宿っている神の欠片——神様の力を使って放った〝攻撃〟なのだ。
しかし相手は最強種と言われるような相手。いくらスキルだと言っても、鱗に当たったものは全て弾かれてしまった。
——が、鱗そのものには刺さることはできなかったが、鱗自体に傷をつけることはできずともその隙間から中へと入っていったし、鱗のない羽や腹部や肛門付近には弾かれることなく突き刺さっていった。
そして極め付けは目だ。ドラゴンからすれば取るに足らないものであった……そもそも視認していたのかすら怪しいものだったんだろうが、放った種は片方だけではあったが確かに目に直撃した。
突然の痛みだったからだろう。ドラゴンは体をのけぞらせながら悲鳴を上げた。
その隙に俺は動かしている足にさらに力を込め、倒れている母の元へと駆けていく。
そして——
「人の母親に何してやがる」
——ついに俺は母親と再開することができた。
背後からはなんだか動揺する気配が感じられるが、まだ振り向かない。振り向いてしまえば戦いの手を止めてしまうかもしれないから。
それに、きっと今はひどい顔をしているだろう。せっかくの再会なんだ。こんな自分でもわかるほどに怒りに染まった顔なんかよりも、もっと違う顔をしてあいたい。
だから俺は、振り向かないままドラゴンを見据えて、改めて自分の意思を告げた。
「こっからは俺が相手をしてやる、クソトカゲ」
俺がそう言った瞬間、ドラゴンは格下だと思っている人間に反撃されたのだと理解したのだろう。先ほどまでは嗤いを含んでいた表情は怒りに変わり、咆哮を上げた。
多分だが、母にしたのと同じように叩き潰そうとしたのだろう。その手を大きく振りかぶった。
——先程放った種が直撃したといっても、所詮は種でしかない。ドラゴンからすれば砂粒と対して変わらないものでしかないし、それが刺さってもちょっと痛い程度でしかなかっただろう。それは目に当たったものも同じだ。痛いことは痛いかもしれないが、目が潰れたと言えるほどではない。
でも、それはあくまでも準備でしかないんだよ。トカゲ風情が空を飛べるからって良い気になってんじゃねえよ、三下。
「——《生長》」
先程俺の手から離れてドラゴンへと突き刺さった種。それらに向かってスキルの発動を意味する言葉を告げた。
その瞬間……
——ギャアアアアアア!
種の刺さった箇所から肉を食い破るように根がドラゴンの体を侵食していき始めた。
第六位階になったことで生長のスキルは初期の双葉程度のものとは違い、しっかりと植物が生えているんだとわかる程度にまで大きくすることができるようになった。
とは言っても、まだ『木』と呼べるほど大きくすることができるわけではないので、それだけと言ってしまえばそれだけなんだが……スキルは重ねることができるんだぞ?
「《生長》《生長》《生長》」
俺がスキルを何度も重ねて発動することで、放った種たちはその度にその体を大きくしていき、ドラゴンの体に根を広げる。
スキルを重ねればどんどんその効果が落ちるんだが、それでも何度も何度も繰り返せばご覧の通りだ。
もはや体から芽が出ているどころではない。立派な草が鱗の隙間から生え出し、全身を緑が覆っている。
全身を侵食する植物たちがよほど痛かったのだろう。ドラゴンは最初の時とは比べ物にならないくらいのけぞるとそのまま後方に倒れ込み、倒れたまま全身を襲う痛みによって暴れ始めた。
しばらくするとその痛みにも慣れてきたんだろう。ドラゴンである自分に逆らった不届き者を殺そうとでも考えた鋭い眼をさらに鋭くして俺を睨みつけてきた。
そして口を開くと、その口元に何か光る力のようなものを溜め始めた。多分だが、あれは魔力なんだろう。で、何をしてるのかと言ったら、まあドラゴンの必殺技としては有名すぎるほどに有名な攻撃——ブレスを使おうとしているんだと思う。
流石にあれほどまで威圧感を感じる攻撃を受けてしまえば、俺なんてかけらも残さずに死ぬだろう。
まあ、放てれば、の話だが。
「口を開けるなんて舐めプか? ——《播種》《生長》」
ブレスを吐き出すために大きく開けた口の中に種を放ち、刺さると同時に生長させる。
鱗がないからかすんなりと刺さった種は芽を出して大きくなり、植物達は根を張ってドラゴンの口の中を蹂躙した。
——ガアアアアアッ!
その痛みによってドラゴンは口元に溜めていた力を霧散させ、顔や喉をかきむしるかのように手を動かした。
だがそれでは痛みはどうにもならなかったんだろう。手をおろした後、自身の頭を何度も地面に叩きつけ始めた。
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