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X 追憶-崩壊- -I
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それからマリアは、提案通り先生と共に二階で暮らす様になり、そして診療所の看護婦としても働く様になった。
マリアは美人で人当たりも良く、患者からは信頼を置かれる良き看護婦となった。此処へ来た当初は医学の知識はまるで無かったが、今では先生の教えもあってか、マリアの自己判断でカルテを書く事が出来る程には成長した様だ。
彼女は特に年配者から親しまれていて、マリアが此処へ来てからというもの、身体に不調が無いのにも関わらず診療所を訪れる人が劇的に増えた。その殆どの人がマリア目当てであり、マリアと他愛のない話をしては満足気に去っていくのだ。先生も、最初は「此処は談話室では無い」と来る人を窘めていたが、あまりの多さに最近ではもう諦めている様だった。
マリアが元舞台女優だという事に、気付く人は居なかった。その理由の多くは、演劇やコンサートは富裕層の嗜みであり、貧困層には縁の無いものだからだ。勿論、新聞では一面を飾る程の大女優だった為、フルネームを名乗れば気付く人たちは居ただろう。しかし、彼女がファミリーネームを告げる事は一度でも無かった。
その理由は、分からないままだ。何度問うても、彼女ははぐらかすばかりで何も答えてはくれない。心を読む事が出来るとは言え、それにも限度がある。故に、理由を探る事は出来なかった。
そんなマリアに、私はとある疑問を抱いていた。
“それ”を疑問に思い始めたのは、いつ頃からだっただろうか。初めのうちはマリアとの再会、そしてマリアの過去に驚くばかりで気にも留めていなかった。しかし時が経つにつれて、それはじわじわと違和感という形で私の記憶を揺さぶり始めた。
マリアにその問いをぶつけたのは、彼女が此処へ来て1年が経過した時だった。
「――子供、どうしたの?」
マリアには、まだ幼い子供がいた。その子供は普通では無かったが、マリアは子と揃いのタトゥーを彫る程子供を愛していた筈だ。配偶者も家も失ったという事実は知っているが、その子供の行方だけが分からない。
勿論、最初は彼女にも事情があるのだろうと思い、尋ねるのは躊躇していた。しかし、それでも疑問は大きくなるばかりで、終いには一日の大半をその疑問が覆い尽くす程になっていた。
私がその問いを投げ掛けた後、マリアはややあって口を開いた。
「人に、預けたの。とても優しい人に」
とても切なげな表情を浮べ、手元に視線を落としたまま彼女が静かに告げる。
「迎えに行かないの?」
「……そうね、迎えに行きたい。あの子の事を忘れた事は、一度でも無いから。けれど、今は迎えには行けないわ。あの子の事、エリオット先生には黙っていてくれる?」
漸く顔を上げ、マリアが私に視線を向ける。彼女からは、酷く悲しい感情が伝わって来た。
子を思う気持ちに、嘘は無い様だ。しかし、今彼女は立派な看護婦となって先生を支えている。先生と共に暮らしている状況ではあるが、決して迎えに行けない訳では無いだろう。
「……どうして?」
その問いには、色々な意味を含んでいた。一つ一つを説明せずに一言に纏めてしまったが、マリアはきっと私の色々な疑問に気付いていた筈だ。
「……事情、というものがあるのよ。お願い、マーシャ」
それでも彼女は、私の問いにはっきりと答える事はしなかった。
マリアは美人で人当たりも良く、患者からは信頼を置かれる良き看護婦となった。此処へ来た当初は医学の知識はまるで無かったが、今では先生の教えもあってか、マリアの自己判断でカルテを書く事が出来る程には成長した様だ。
彼女は特に年配者から親しまれていて、マリアが此処へ来てからというもの、身体に不調が無いのにも関わらず診療所を訪れる人が劇的に増えた。その殆どの人がマリア目当てであり、マリアと他愛のない話をしては満足気に去っていくのだ。先生も、最初は「此処は談話室では無い」と来る人を窘めていたが、あまりの多さに最近ではもう諦めている様だった。
マリアが元舞台女優だという事に、気付く人は居なかった。その理由の多くは、演劇やコンサートは富裕層の嗜みであり、貧困層には縁の無いものだからだ。勿論、新聞では一面を飾る程の大女優だった為、フルネームを名乗れば気付く人たちは居ただろう。しかし、彼女がファミリーネームを告げる事は一度でも無かった。
その理由は、分からないままだ。何度問うても、彼女ははぐらかすばかりで何も答えてはくれない。心を読む事が出来るとは言え、それにも限度がある。故に、理由を探る事は出来なかった。
そんなマリアに、私はとある疑問を抱いていた。
“それ”を疑問に思い始めたのは、いつ頃からだっただろうか。初めのうちはマリアとの再会、そしてマリアの過去に驚くばかりで気にも留めていなかった。しかし時が経つにつれて、それはじわじわと違和感という形で私の記憶を揺さぶり始めた。
マリアにその問いをぶつけたのは、彼女が此処へ来て1年が経過した時だった。
「――子供、どうしたの?」
マリアには、まだ幼い子供がいた。その子供は普通では無かったが、マリアは子と揃いのタトゥーを彫る程子供を愛していた筈だ。配偶者も家も失ったという事実は知っているが、その子供の行方だけが分からない。
勿論、最初は彼女にも事情があるのだろうと思い、尋ねるのは躊躇していた。しかし、それでも疑問は大きくなるばかりで、終いには一日の大半をその疑問が覆い尽くす程になっていた。
私がその問いを投げ掛けた後、マリアはややあって口を開いた。
「人に、預けたの。とても優しい人に」
とても切なげな表情を浮べ、手元に視線を落としたまま彼女が静かに告げる。
「迎えに行かないの?」
「……そうね、迎えに行きたい。あの子の事を忘れた事は、一度でも無いから。けれど、今は迎えには行けないわ。あの子の事、エリオット先生には黙っていてくれる?」
漸く顔を上げ、マリアが私に視線を向ける。彼女からは、酷く悲しい感情が伝わって来た。
子を思う気持ちに、嘘は無い様だ。しかし、今彼女は立派な看護婦となって先生を支えている。先生と共に暮らしている状況ではあるが、決して迎えに行けない訳では無いだろう。
「……どうして?」
その問いには、色々な意味を含んでいた。一つ一つを説明せずに一言に纏めてしまったが、マリアはきっと私の色々な疑問に気付いていた筈だ。
「……事情、というものがあるのよ。お願い、マーシャ」
それでも彼女は、私の問いにはっきりと答える事はしなかった。
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