DachuRa 3rd story -天使と讃えられたのは、悲劇に堕ちた哀れな教唆犯-

白城 由紀菜

文字の大きさ
39 / 222

XIV 追憶-生血- -IV

しおりを挟む
 無意識的に、口元に手をった。しかし、その瞬間見えた自身の掌。両の掌を広げ視線を落とすと、自身の掌は赤黒い鮮血で染まっていた。

「ッ……、は、……や、やだ」

 苦しい。目が回る。マクファーデンの声も、耳に届かない。指先が、手が、足が、徐々に痺れて動かなくなる。ただ激しい鼓動の音だけが脳内に、耳奥に響き渡り、私を追い詰めていく。

「マーシャ!」

 珍しく焦りを含んだ、マクファーデンの声が聞こえた。それと同時に、何か温かな物に身体が包まれる。目の前を覆う、ブラウンのスーツ。背をさするのは、温かく大きな手。

「マーシャ、大丈夫、ゆっくり息を吐いて。大丈夫です、ウィルソンさんの命に危険はありません」

 耳音で囁かれる、普段の冷淡な声とは違う、優しさを孕んだ声。その声に、じわりと瞳に涙が滲んだ。
 彼に言われた通り、ゆっくりと呼吸を繰り返す。すると次第に、手足の痺れと呼吸の苦しさが抜けていくのを感じた。

「上手に呼吸が出来ていますね」

 さらりと髪を撫でられ、安堵感からか瞳に滲んだ涙が頬を伝った。
 マクファーデンに抱きしめられていたからか、それとも彼が安心させる様な言葉を吐いてくれたからか、直ぐに私は落ち着きを取り戻す事が出来た。

「――精神的ショックからの過呼吸ですね。過呼吸で命を落とす事は無いので、心配ありませんよ」

「そう……、ごめん、なさい」

「謝る事はありません。誰だって血液を見れば精神的ショックを受けます。それに、ウィルソンさんは貴女の大切なお友達でしょう」

 過呼吸を起こし、苦手意識を持っていたマクファーデンに抱きしめられて無様にも泣いてしまった事に気恥ずかしさを感じ、彼から顔を逸らした。
 隣でぼんやりと座っていたマリアの手首を一瞥いちべつし、彼女の顔へと視線を遣る。

「マリアちゃん……」

 ぽつりと彼女の名を呼ぶと、彼女がわずかに反応した。

「――僕は、下に戻っています。ノエルさんに何も言わず此処へ来てしまいました。彼女も動揺しているかもしれません」

 気を利かせてくれたのか、マクファーデンが手早く医療器具を箱に戻し立ち上がった。そして一度も振り返る事無く、部屋を出ていく。
 2人きりになった部屋の中は、やけに静かだった。自身の両手も、服も、部屋の床も血液で汚れてしまっているが、不思議と先程の苦しさはもうなかった。

「マリアちゃん」

 再び名を呼び、彼女と向き合う。また借金取りが来たのだろうか。彼女の顔の痣が増えている様に見えた。

「――昨日、幼馴染にマリアちゃんとノエルちゃんの話をした」

 ゆっくりと言葉を紡ぐと、彼女が再び反応を示した。

「本来は、知人や友人の依頼は受けないんだけど……幼馴染が、マリアちゃんと会ってくれるって。依頼を受けてくれるかはまだはっきり分からないけど、上手くすればノエルちゃん、貴族の家に引き取って貰えるかもしれない」

「そう……」

 マリアから伝わるのは、酷い不安と葛藤。その気持ちは、痛い程に理解出来る。
 私はセドリックの仕事を知っているだけに、競売とは違うと言い切れるが、何も知らないマリアからすれば自身の娘が売買される時点で競売と然程変わらないのだろう。
 昨日の説明だけでは、やはりマリアの心の不安は拭えない様だ。

「……昨日も、言ったけど、幼馴染の――セドリックの取引は、条件に合った依頼者と会ってお互い納得した上で子供の受け渡しがされるから……だから、心配ないよ……」

「そうね……貴女が言うのなら、そうなのでしょう」

 マリアがそっと、包帯が巻かれた左腕を摩る。

「馬鹿ね、私。ノエルがまだ居るのに、何も解決していないのに、衝動的に腕を切って、死のうとしてしまうだなんて。娘が競売にかけられてしまうかもしれないって時に、何をやっているのかしら。マーシャも、私とノエルの為に動いてくれていたのに」

「――……」

「自分の精神が、普通じゃないって分かっているの。こんなにも死を願ってしまうだなんておかしい、分かってる。でもやめられないの。腕を切る度に、血を見る度に、安堵してしまう。これで終われるんだって」

 彼女の言葉に、ぐっと唇を噛みしめる。
 此処で、死ぬのは良くないと、生きていて欲しいと言うのは簡単だ。しかし、マクファーデンがこの診療所へ来た時の言葉が私の頭の中を回っていた。
 『エリオット先生が何処へ行ってしまったかは分かりません。先生は尊敬出来る医師です。ですが、僕が彼を止めるのはただのエゴでしかないと思った。だって僕は、彼がどれだけの苦しみを抱えていたかわかりませんから』
 その言葉は、あの日聞いた時からずっと私の中に鮮明に残っていた。
 
 私は、マリアと苦しみを分かち合う事は出来ない。苦しみを背負うのは、全てマリアだ。
 生きる喜びを失った彼女が、絡みついた苦しみを解く為に導き出した答え。それが、“死”なのだ。彼女にとっての、唯一の希望。
 もう、止める事は私には出来ない。

「――早く、ノエルちゃんを幸せな場所に送り出して、楽になろう?」

 気が付けば、そんな言葉が口から零れていた。私の言葉に、床の一点を見つめていた彼女が顔を上げる。

「その為にさ、セドリックに会って、ちゃんと依頼して……ノエルちゃんを引き取ってくれる人を探さなきゃ。セドリックは私が一番信頼してる奴だから、大丈夫だよ。信じて欲しい」

 優しく、彼女に微笑みかける。すると、彼女が今にも泣きだしそうな顔で笑った。

「そうね、分かったわ……。貴女を、貴女達を信じる」

 彼女から流れて来たのは、僅かな安堵。その瞬間、彼女は私に“死”を認めて欲しかったのだと、それが彼女の願望だったのだと悟る。
 それでも、気を抜けば生きていて欲しいと口にしてしまいそうだ。だが、これ以上彼女を苦しめない為に、その言葉を飲み込んだ。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...