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XIV 追憶-生血- -IV
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無意識的に、口元に手を遣った。しかし、その瞬間見えた自身の掌。両の掌を広げ視線を落とすと、自身の掌は赤黒い鮮血で染まっていた。
「ッ……、は、……や、やだ」
苦しい。目が回る。マクファーデンの声も、耳に届かない。指先が、手が、足が、徐々に痺れて動かなくなる。ただ激しい鼓動の音だけが脳内に、耳奥に響き渡り、私を追い詰めていく。
「マーシャ!」
珍しく焦りを含んだ、マクファーデンの声が聞こえた。それと同時に、何か温かな物に身体が包まれる。目の前を覆う、ブラウンのスーツ。背を摩るのは、温かく大きな手。
「マーシャ、大丈夫、ゆっくり息を吐いて。大丈夫です、ウィルソンさんの命に危険はありません」
耳音で囁かれる、普段の冷淡な声とは違う、優しさを孕んだ声。その声に、じわりと瞳に涙が滲んだ。
彼に言われた通り、ゆっくりと呼吸を繰り返す。すると次第に、手足の痺れと呼吸の苦しさが抜けていくのを感じた。
「上手に呼吸が出来ていますね」
さらりと髪を撫でられ、安堵感からか瞳に滲んだ涙が頬を伝った。
マクファーデンに抱きしめられていたからか、それとも彼が安心させる様な言葉を吐いてくれたからか、直ぐに私は落ち着きを取り戻す事が出来た。
「――精神的ショックからの過呼吸ですね。過呼吸で命を落とす事は無いので、心配ありませんよ」
「そう……、ごめん、なさい」
「謝る事はありません。誰だって血液を見れば精神的ショックを受けます。それに、ウィルソンさんは貴女の大切なお友達でしょう」
過呼吸を起こし、苦手意識を持っていたマクファーデンに抱きしめられて無様にも泣いてしまった事に気恥ずかしさを感じ、彼から顔を逸らした。
隣でぼんやりと座っていたマリアの手首を一瞥し、彼女の顔へと視線を遣る。
「マリアちゃん……」
ぽつりと彼女の名を呼ぶと、彼女が僅かに反応した。
「――僕は、下に戻っています。ノエルさんに何も言わず此処へ来てしまいました。彼女も動揺しているかもしれません」
気を利かせてくれたのか、マクファーデンが手早く医療器具を箱に戻し立ち上がった。そして一度も振り返る事無く、部屋を出ていく。
2人きりになった部屋の中は、やけに静かだった。自身の両手も、服も、部屋の床も血液で汚れてしまっているが、不思議と先程の苦しさはもうなかった。
「マリアちゃん」
再び名を呼び、彼女と向き合う。また借金取りが来たのだろうか。彼女の顔の痣が増えている様に見えた。
「――昨日、幼馴染にマリアちゃんとノエルちゃんの話をした」
ゆっくりと言葉を紡ぐと、彼女が再び反応を示した。
「本来は、知人や友人の依頼は受けないんだけど……幼馴染が、マリアちゃんと会ってくれるって。依頼を受けてくれるかはまだはっきり分からないけど、上手くすればノエルちゃん、貴族の家に引き取って貰えるかもしれない」
「そう……」
マリアから伝わるのは、酷い不安と葛藤。その気持ちは、痛い程に理解出来る。
私はセドリックの仕事を知っているだけに、競売とは違うと言い切れるが、何も知らないマリアからすれば自身の娘が売買される時点で競売と然程変わらないのだろう。
昨日の説明だけでは、やはりマリアの心の不安は拭えない様だ。
「……昨日も、言ったけど、幼馴染の――セドリックの取引は、条件に合った依頼者と会ってお互い納得した上で子供の受け渡しがされるから……だから、心配ないよ……」
「そうね……貴女が言うのなら、そうなのでしょう」
マリアがそっと、包帯が巻かれた左腕を摩る。
「馬鹿ね、私。ノエルがまだ居るのに、何も解決していないのに、衝動的に腕を切って、死のうとしてしまうだなんて。娘が競売にかけられてしまうかもしれないって時に、何をやっているのかしら。マーシャも、私とノエルの為に動いてくれていたのに」
「――……」
「自分の精神が、普通じゃないって分かっているの。こんなにも死を願ってしまうだなんておかしい、分かってる。でもやめられないの。腕を切る度に、血を見る度に、安堵してしまう。これで終われるんだって」
彼女の言葉に、ぐっと唇を噛みしめる。
此処で、死ぬのは良くないと、生きていて欲しいと言うのは簡単だ。しかし、マクファーデンがこの診療所へ来た時の言葉が私の頭の中を回っていた。
『エリオット先生が何処へ行ってしまったかは分かりません。先生は尊敬出来る医師です。ですが、僕が彼を止めるのはただのエゴでしかないと思った。だって僕は、彼がどれだけの苦しみを抱えていたかわかりませんから』
その言葉は、あの日聞いた時からずっと私の中に鮮明に残っていた。
私は、マリアと苦しみを分かち合う事は出来ない。苦しみを背負うのは、全てマリアだ。
生きる喜びを失った彼女が、絡みついた苦しみを解く為に導き出した答え。それが、“死”なのだ。彼女にとっての、唯一の希望。
もう、止める事は私には出来ない。
「――早く、ノエルちゃんを幸せな場所に送り出して、楽になろう?」
気が付けば、そんな言葉が口から零れていた。私の言葉に、床の一点を見つめていた彼女が顔を上げる。
「その為にさ、セドリックに会って、ちゃんと依頼して……ノエルちゃんを引き取ってくれる人を探さなきゃ。セドリックは私が一番信頼してる奴だから、大丈夫だよ。信じて欲しい」
優しく、彼女に微笑みかける。すると、彼女が今にも泣きだしそうな顔で笑った。
「そうね、分かったわ……。貴女を、貴女達を信じる」
彼女から流れて来たのは、僅かな安堵。その瞬間、彼女は私に“死”を認めて欲しかったのだと、それが彼女の願望だったのだと悟る。
それでも、気を抜けば生きていて欲しいと口にしてしまいそうだ。だが、これ以上彼女を苦しめない為に、その言葉を飲み込んだ。
「ッ……、は、……や、やだ」
苦しい。目が回る。マクファーデンの声も、耳に届かない。指先が、手が、足が、徐々に痺れて動かなくなる。ただ激しい鼓動の音だけが脳内に、耳奥に響き渡り、私を追い詰めていく。
「マーシャ!」
珍しく焦りを含んだ、マクファーデンの声が聞こえた。それと同時に、何か温かな物に身体が包まれる。目の前を覆う、ブラウンのスーツ。背を摩るのは、温かく大きな手。
「マーシャ、大丈夫、ゆっくり息を吐いて。大丈夫です、ウィルソンさんの命に危険はありません」
耳音で囁かれる、普段の冷淡な声とは違う、優しさを孕んだ声。その声に、じわりと瞳に涙が滲んだ。
彼に言われた通り、ゆっくりと呼吸を繰り返す。すると次第に、手足の痺れと呼吸の苦しさが抜けていくのを感じた。
「上手に呼吸が出来ていますね」
さらりと髪を撫でられ、安堵感からか瞳に滲んだ涙が頬を伝った。
マクファーデンに抱きしめられていたからか、それとも彼が安心させる様な言葉を吐いてくれたからか、直ぐに私は落ち着きを取り戻す事が出来た。
「――精神的ショックからの過呼吸ですね。過呼吸で命を落とす事は無いので、心配ありませんよ」
「そう……、ごめん、なさい」
「謝る事はありません。誰だって血液を見れば精神的ショックを受けます。それに、ウィルソンさんは貴女の大切なお友達でしょう」
過呼吸を起こし、苦手意識を持っていたマクファーデンに抱きしめられて無様にも泣いてしまった事に気恥ずかしさを感じ、彼から顔を逸らした。
隣でぼんやりと座っていたマリアの手首を一瞥し、彼女の顔へと視線を遣る。
「マリアちゃん……」
ぽつりと彼女の名を呼ぶと、彼女が僅かに反応した。
「――僕は、下に戻っています。ノエルさんに何も言わず此処へ来てしまいました。彼女も動揺しているかもしれません」
気を利かせてくれたのか、マクファーデンが手早く医療器具を箱に戻し立ち上がった。そして一度も振り返る事無く、部屋を出ていく。
2人きりになった部屋の中は、やけに静かだった。自身の両手も、服も、部屋の床も血液で汚れてしまっているが、不思議と先程の苦しさはもうなかった。
「マリアちゃん」
再び名を呼び、彼女と向き合う。また借金取りが来たのだろうか。彼女の顔の痣が増えている様に見えた。
「――昨日、幼馴染にマリアちゃんとノエルちゃんの話をした」
ゆっくりと言葉を紡ぐと、彼女が再び反応を示した。
「本来は、知人や友人の依頼は受けないんだけど……幼馴染が、マリアちゃんと会ってくれるって。依頼を受けてくれるかはまだはっきり分からないけど、上手くすればノエルちゃん、貴族の家に引き取って貰えるかもしれない」
「そう……」
マリアから伝わるのは、酷い不安と葛藤。その気持ちは、痛い程に理解出来る。
私はセドリックの仕事を知っているだけに、競売とは違うと言い切れるが、何も知らないマリアからすれば自身の娘が売買される時点で競売と然程変わらないのだろう。
昨日の説明だけでは、やはりマリアの心の不安は拭えない様だ。
「……昨日も、言ったけど、幼馴染の――セドリックの取引は、条件に合った依頼者と会ってお互い納得した上で子供の受け渡しがされるから……だから、心配ないよ……」
「そうね……貴女が言うのなら、そうなのでしょう」
マリアがそっと、包帯が巻かれた左腕を摩る。
「馬鹿ね、私。ノエルがまだ居るのに、何も解決していないのに、衝動的に腕を切って、死のうとしてしまうだなんて。娘が競売にかけられてしまうかもしれないって時に、何をやっているのかしら。マーシャも、私とノエルの為に動いてくれていたのに」
「――……」
「自分の精神が、普通じゃないって分かっているの。こんなにも死を願ってしまうだなんておかしい、分かってる。でもやめられないの。腕を切る度に、血を見る度に、安堵してしまう。これで終われるんだって」
彼女の言葉に、ぐっと唇を噛みしめる。
此処で、死ぬのは良くないと、生きていて欲しいと言うのは簡単だ。しかし、マクファーデンがこの診療所へ来た時の言葉が私の頭の中を回っていた。
『エリオット先生が何処へ行ってしまったかは分かりません。先生は尊敬出来る医師です。ですが、僕が彼を止めるのはただのエゴでしかないと思った。だって僕は、彼がどれだけの苦しみを抱えていたかわかりませんから』
その言葉は、あの日聞いた時からずっと私の中に鮮明に残っていた。
私は、マリアと苦しみを分かち合う事は出来ない。苦しみを背負うのは、全てマリアだ。
生きる喜びを失った彼女が、絡みついた苦しみを解く為に導き出した答え。それが、“死”なのだ。彼女にとっての、唯一の希望。
もう、止める事は私には出来ない。
「――早く、ノエルちゃんを幸せな場所に送り出して、楽になろう?」
気が付けば、そんな言葉が口から零れていた。私の言葉に、床の一点を見つめていた彼女が顔を上げる。
「その為にさ、セドリックに会って、ちゃんと依頼して……ノエルちゃんを引き取ってくれる人を探さなきゃ。セドリックは私が一番信頼してる奴だから、大丈夫だよ。信じて欲しい」
優しく、彼女に微笑みかける。すると、彼女が今にも泣きだしそうな顔で笑った。
「そうね、分かったわ……。貴女を、貴女達を信じる」
彼女から流れて来たのは、僅かな安堵。その瞬間、彼女は私に“死”を認めて欲しかったのだと、それが彼女の願望だったのだと悟る。
それでも、気を抜けば生きていて欲しいと口にしてしまいそうだ。だが、これ以上彼女を苦しめない為に、その言葉を飲み込んだ。
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