100 / 222
XXXII 忠告と犯意-II
しおりを挟む
彼はしっかりと、例の事件を把握していた様だ。その事実に安堵していると、徐に煙草を口に咥えたセドリックが言葉を続けた。
「一昨日この街で、6人目の被害者が出たと今朝ライリーから聞いた。被害者は……、確かアリア・ベックフォードといった名前だったと思う。あの酒場で、踊り子として働いてた女らしい。深夜街を巡回してた警察官が、酒場の裏のゴミ溜めで倒れているのを発見したんだとか。だがまぁ、その女は娼婦としても商売していた様で、他の被害者みたいに精神的なショックは無いと聞いてる」
「そっか……、警察は当てにならないなぁ」
そう嘆く様に言うと、彼が溜息と共に煙を吐き出した。
「エルちゃん、凄い美人だから狙われそうで怖いね。あの子警戒心無いし、知らない男でも優しい事言われたらすぐ信用しちゃいそう」
「……やめろ、お前が言うと洒落にならない」
「まぁ、犯行時刻は大体深夜だし、大丈夫だとは思うけど」
言った通り、犯行時刻は全て深夜だ。6人目の被害者については良く知らないが、話を聞く限りでは彼女――アリア・ベックフォード――も狙われたのは深夜だろう。
深夜はセドリックが必ず家に居る時間であり、エルが勝手に外を出歩くとも思えない。
そんな事を悶々と考えていると、私の思考を邪魔する様に甘い紅茶の香りが鼻腔を抜けた。ほぼ無意識的に、香りがする方へと視線を向ける。
手書きの看板が扉の前に立てられたその店は、個人経営の紅茶専門店だ。店主と顔見知りになる程、私が何度も足を運んでいる店である。
今日は紅茶を買うつもりは無く、更には金銭的に余裕があるとは決して言えない状況だが、この店の茶葉は然程高くない。少し見ていく事位は許されるだろう。それに、店主とも久々に話がしたかった。
「ごめん、ちょっと寄りたいお店あるから待ってて」
隣のセドリックを一度も見ること無く、ふらふらと店に近付く。虹色のステンドグラスが埋め込まれた木の扉をゆっくり開くと、カラリと鈴の音に似たドアベルが響いた。
「あ、マーシャちゃん! 久しぶりだね!」
カウンターの奥から顔を出したのは、この店の女店主――アシュリー・エイデンだ。頬に散ったそばかすが印象的で、臨月を迎えたばかりの妊婦である。
アシュリーが経営するこの店は街でも評判高く、この街の人達は皆出産を今か今かと楽しみにしていた。勿論私も、その1人だ。
「最近来れてなかったからね。アシュリーさんも、元気そうで良かった」
「私より、お腹の子の方が元気だよ。毎朝、中からお腹を蹴られて起きるんだ、本当に大変で困っちゃうよ」
「あはは、それはちょっと大変そう」
他愛の無い会話を交わし、並べられた茶葉をゆっくりと見て回る。此処へ来ると、いつも気持ちが楽になる。沢山の茶葉は視覚を充足させるだけでなく、心迄をも癒してくれる。
「マーシャちゃん、顔色があまり良くないね」
「あぁ、今仕事帰りなの。今回ちょっと大変で」
「あんまり根詰めすぎないようにね。あぁ、そうだ。診療所のマクファーデン先生の所に行ってみるといいよ。あの先生はカウンセリングもしてくれるらしくってね、話を聞いて貰って心が楽になったって子が結構多いんだ」
「……そうなんだ」
カウンセリングと言ってはいるが、一体どれだけの患者が心の病を患っていたのだろう。カウンセリングを求め、彼の元に多くの女性患者が訪ねてきていたのは知っていた。しかし、その殆どがマクファーデン目当てであり、とても悩み事がある様には見えなかった。
「マーシャちゃんは、あの先生が嫌い?」
「え? なんで?」
「あまり、良い顔をしなかったから」
顔に出したつもりは無かったが、アシュリーは勘が鋭く人の顔色の変化に良く気付く女性だ。私がマクファーデンの事で複雑な思いを抱えている事を、少なからず感じ取ったのかもしれない。
「……先生の事は、好きでも嫌いでも無いよ」
実際、彼の事が好きな筈だった。彼の行動、言動、仕草に惹かれて、いつの間にかずっと傍に居たいと思う様になっていた。
しかし今、本を渡された事もあってか自身の気持ちが分からなくなっていた。彼には想い人が居る。私では無い別の誰か。彼を好きでいても、何の意味も無い。
それに彼は、本を読み終わるまで診療所に来るなと言った。それは、私を遠ざけたかったからだろう。だが彼が最後に言った言葉。心を読めなくて残念だと、あの言葉にはどんな意味が籠っていたのだろうか。考えれば考える程、頭が痛くなって分からなくなる。
「今度、カウンセリング行ってみるね」
しかしこれは、私自身の問題だ。臨月の妊婦であるアシュリーに余計な心配を掛ける訳にもいかず、精一杯の笑顔を作って穏やかにそう告げた。
「一昨日この街で、6人目の被害者が出たと今朝ライリーから聞いた。被害者は……、確かアリア・ベックフォードといった名前だったと思う。あの酒場で、踊り子として働いてた女らしい。深夜街を巡回してた警察官が、酒場の裏のゴミ溜めで倒れているのを発見したんだとか。だがまぁ、その女は娼婦としても商売していた様で、他の被害者みたいに精神的なショックは無いと聞いてる」
「そっか……、警察は当てにならないなぁ」
そう嘆く様に言うと、彼が溜息と共に煙を吐き出した。
「エルちゃん、凄い美人だから狙われそうで怖いね。あの子警戒心無いし、知らない男でも優しい事言われたらすぐ信用しちゃいそう」
「……やめろ、お前が言うと洒落にならない」
「まぁ、犯行時刻は大体深夜だし、大丈夫だとは思うけど」
言った通り、犯行時刻は全て深夜だ。6人目の被害者については良く知らないが、話を聞く限りでは彼女――アリア・ベックフォード――も狙われたのは深夜だろう。
深夜はセドリックが必ず家に居る時間であり、エルが勝手に外を出歩くとも思えない。
そんな事を悶々と考えていると、私の思考を邪魔する様に甘い紅茶の香りが鼻腔を抜けた。ほぼ無意識的に、香りがする方へと視線を向ける。
手書きの看板が扉の前に立てられたその店は、個人経営の紅茶専門店だ。店主と顔見知りになる程、私が何度も足を運んでいる店である。
今日は紅茶を買うつもりは無く、更には金銭的に余裕があるとは決して言えない状況だが、この店の茶葉は然程高くない。少し見ていく事位は許されるだろう。それに、店主とも久々に話がしたかった。
「ごめん、ちょっと寄りたいお店あるから待ってて」
隣のセドリックを一度も見ること無く、ふらふらと店に近付く。虹色のステンドグラスが埋め込まれた木の扉をゆっくり開くと、カラリと鈴の音に似たドアベルが響いた。
「あ、マーシャちゃん! 久しぶりだね!」
カウンターの奥から顔を出したのは、この店の女店主――アシュリー・エイデンだ。頬に散ったそばかすが印象的で、臨月を迎えたばかりの妊婦である。
アシュリーが経営するこの店は街でも評判高く、この街の人達は皆出産を今か今かと楽しみにしていた。勿論私も、その1人だ。
「最近来れてなかったからね。アシュリーさんも、元気そうで良かった」
「私より、お腹の子の方が元気だよ。毎朝、中からお腹を蹴られて起きるんだ、本当に大変で困っちゃうよ」
「あはは、それはちょっと大変そう」
他愛の無い会話を交わし、並べられた茶葉をゆっくりと見て回る。此処へ来ると、いつも気持ちが楽になる。沢山の茶葉は視覚を充足させるだけでなく、心迄をも癒してくれる。
「マーシャちゃん、顔色があまり良くないね」
「あぁ、今仕事帰りなの。今回ちょっと大変で」
「あんまり根詰めすぎないようにね。あぁ、そうだ。診療所のマクファーデン先生の所に行ってみるといいよ。あの先生はカウンセリングもしてくれるらしくってね、話を聞いて貰って心が楽になったって子が結構多いんだ」
「……そうなんだ」
カウンセリングと言ってはいるが、一体どれだけの患者が心の病を患っていたのだろう。カウンセリングを求め、彼の元に多くの女性患者が訪ねてきていたのは知っていた。しかし、その殆どがマクファーデン目当てであり、とても悩み事がある様には見えなかった。
「マーシャちゃんは、あの先生が嫌い?」
「え? なんで?」
「あまり、良い顔をしなかったから」
顔に出したつもりは無かったが、アシュリーは勘が鋭く人の顔色の変化に良く気付く女性だ。私がマクファーデンの事で複雑な思いを抱えている事を、少なからず感じ取ったのかもしれない。
「……先生の事は、好きでも嫌いでも無いよ」
実際、彼の事が好きな筈だった。彼の行動、言動、仕草に惹かれて、いつの間にかずっと傍に居たいと思う様になっていた。
しかし今、本を渡された事もあってか自身の気持ちが分からなくなっていた。彼には想い人が居る。私では無い別の誰か。彼を好きでいても、何の意味も無い。
それに彼は、本を読み終わるまで診療所に来るなと言った。それは、私を遠ざけたかったからだろう。だが彼が最後に言った言葉。心を読めなくて残念だと、あの言葉にはどんな意味が籠っていたのだろうか。考えれば考える程、頭が痛くなって分からなくなる。
「今度、カウンセリング行ってみるね」
しかしこれは、私自身の問題だ。臨月の妊婦であるアシュリーに余計な心配を掛ける訳にもいかず、精一杯の笑顔を作って穏やかにそう告げた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる