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XXXV 傷痕-I
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エルの元を後にして、僅かな疲労感を抱えながら街を歩く。
彼女はとても良い娘だ。しかし、今日は上手く会話を進める事が出来なかった。私の心が不安定だからだろうか。彼女を必要以上に問い詰めてしまったり、詮索してしまったりと、思い返すだけで酷い自己嫌悪に陥る。
ポケットから取り出した懐中時計は、現在12時15分を指している。アリアの元へ向かうには、早すぎるだろうか。しかし、今から職場に戻り、時間を潰してまた出直すのも面倒だ。
そんな事を考えている間に足は無意識的に酒場を目指していた様で、気が付けば店の前に立っていた。
店は当然、開いていない。扉にはclosed《閉店》の文字が彫られた木札が掛けられていて、店の中は明かりすら灯っていなかった。
開店していない店に足を踏み入れる勇気など持ち合わせていないが、折角此処まで来たのだ。もしアリアと会えなかったら、その時は出直そう。そう自身に言い聞かせ、重い扉を押し開いた。
ガラン、と重いドアベルの音が鳴り響く。その音に釣られたのか、カウンターの奥から細身で見目麗しい女性が顔を出した。
「あら、こんな時間に珍しい。それに、女の子なんて」
昨晩、カウンターの奥に居た女性だ。彼女がこの店の主人なのだろう。
「でもごめんなさいね、まだ開店前なの」
「あ、私、客じゃなくて……」
女主人から視線を逸らし、店内を見回す。
椅子は全てテーブルの上に上げられていて、木の床は僅かに湿っていた。壁には先の濡れたモップが立てかけられている。掃除をしている途中だった様だ。
「アリアちゃん、居ます? 彼女に用事があるの」
「そうだったのね。良いわよ、今アリアを呼んでくるわ。今は椅子を全て上げてしまっているけれど、そこの椅子自由に下して使ってくれて構わないから、座って待っていて」
「ありがとうございます」
とても心優しい主人だ。流れてくる感情も穏やかで、微笑みを湛えた顔は見ていてとても安心する。
あの様な女性が母親だったなら、きっと幸せな幼少時代を送れたのだろう。しかし何故だか、突如私の母親だった“あの女”の下劣な笑みが頭に浮かび、女主人の優しい微笑みを一瞬にして消し去ってしまった。
今の所、あの女からの接触は無い。せめて、殺人計画が終わるまでは大人しくしていてくれれば良いのだが、あの女の事だ。そう思い通りにはならないだろう。
下手に接触をされて心を乱し、計画に支障が出てしまっては困る。本音を言ってしまえば、今は主犯格よりも先にあの女の方を始末してしまいたかった。
「――だぁれ?」
階段の方から聞こえて来た、舌ったらずな声。その声に我に返り、パッと顔を上げる。
「あ! 昨日お店に来てくれてた……えっと、あの、おにーさんの彼女さん……?」
「覚えててくれたんだ。でも、私はあいつの彼女じゃないよ。ああ見てあいつ結婚してて、見てて引く位の愛妻家なんだ」
「えぇ! 結婚してる人だったの!? ざんねーん! でも、奥さん大事にしてる人なんだ、ちょっと意外かも」
ふふ、と愛らしく笑ったのは、寝間着姿で頭に寝癖を付けたアリア・ベックフォード。どうやら、女主人に呼ばれて起きた様だ。寝起き特有の、やけにふわふわとした口調をしている。
私が来た事で彼女の睡眠を妨げてしまった事には罪悪感を抱くが、無事アリアと接触出来た事に安堵した。
「どうかしたの? 何か忘れ物でもした?」
「うぅん、今日は貴女――アリアちゃんに聞きたい事があって来たの。アリアちゃんのお部屋にお邪魔してもいいかな? ちょっと込み入った話なんだ」
「聞きたい事……? 部屋は、構わないけど。でも何も無いし、お茶も出してあげられないよ? あ、でもママに頼めばお茶位は出せるかな……」
「2人で話せれば大丈夫だから、気にしなくていいよ」
「そう……。なら、部屋は2階だから、こっち」
アリアがやや不信感を抱きながらも、私に向かって手招きをした。
彼女はとても良い娘だ。しかし、今日は上手く会話を進める事が出来なかった。私の心が不安定だからだろうか。彼女を必要以上に問い詰めてしまったり、詮索してしまったりと、思い返すだけで酷い自己嫌悪に陥る。
ポケットから取り出した懐中時計は、現在12時15分を指している。アリアの元へ向かうには、早すぎるだろうか。しかし、今から職場に戻り、時間を潰してまた出直すのも面倒だ。
そんな事を考えている間に足は無意識的に酒場を目指していた様で、気が付けば店の前に立っていた。
店は当然、開いていない。扉にはclosed《閉店》の文字が彫られた木札が掛けられていて、店の中は明かりすら灯っていなかった。
開店していない店に足を踏み入れる勇気など持ち合わせていないが、折角此処まで来たのだ。もしアリアと会えなかったら、その時は出直そう。そう自身に言い聞かせ、重い扉を押し開いた。
ガラン、と重いドアベルの音が鳴り響く。その音に釣られたのか、カウンターの奥から細身で見目麗しい女性が顔を出した。
「あら、こんな時間に珍しい。それに、女の子なんて」
昨晩、カウンターの奥に居た女性だ。彼女がこの店の主人なのだろう。
「でもごめんなさいね、まだ開店前なの」
「あ、私、客じゃなくて……」
女主人から視線を逸らし、店内を見回す。
椅子は全てテーブルの上に上げられていて、木の床は僅かに湿っていた。壁には先の濡れたモップが立てかけられている。掃除をしている途中だった様だ。
「アリアちゃん、居ます? 彼女に用事があるの」
「そうだったのね。良いわよ、今アリアを呼んでくるわ。今は椅子を全て上げてしまっているけれど、そこの椅子自由に下して使ってくれて構わないから、座って待っていて」
「ありがとうございます」
とても心優しい主人だ。流れてくる感情も穏やかで、微笑みを湛えた顔は見ていてとても安心する。
あの様な女性が母親だったなら、きっと幸せな幼少時代を送れたのだろう。しかし何故だか、突如私の母親だった“あの女”の下劣な笑みが頭に浮かび、女主人の優しい微笑みを一瞬にして消し去ってしまった。
今の所、あの女からの接触は無い。せめて、殺人計画が終わるまでは大人しくしていてくれれば良いのだが、あの女の事だ。そう思い通りにはならないだろう。
下手に接触をされて心を乱し、計画に支障が出てしまっては困る。本音を言ってしまえば、今は主犯格よりも先にあの女の方を始末してしまいたかった。
「――だぁれ?」
階段の方から聞こえて来た、舌ったらずな声。その声に我に返り、パッと顔を上げる。
「あ! 昨日お店に来てくれてた……えっと、あの、おにーさんの彼女さん……?」
「覚えててくれたんだ。でも、私はあいつの彼女じゃないよ。ああ見てあいつ結婚してて、見てて引く位の愛妻家なんだ」
「えぇ! 結婚してる人だったの!? ざんねーん! でも、奥さん大事にしてる人なんだ、ちょっと意外かも」
ふふ、と愛らしく笑ったのは、寝間着姿で頭に寝癖を付けたアリア・ベックフォード。どうやら、女主人に呼ばれて起きた様だ。寝起き特有の、やけにふわふわとした口調をしている。
私が来た事で彼女の睡眠を妨げてしまった事には罪悪感を抱くが、無事アリアと接触出来た事に安堵した。
「どうかしたの? 何か忘れ物でもした?」
「うぅん、今日は貴女――アリアちゃんに聞きたい事があって来たの。アリアちゃんのお部屋にお邪魔してもいいかな? ちょっと込み入った話なんだ」
「聞きたい事……? 部屋は、構わないけど。でも何も無いし、お茶も出してあげられないよ? あ、でもママに頼めばお茶位は出せるかな……」
「2人で話せれば大丈夫だから、気にしなくていいよ」
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