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XXXVI 罪の意識-III
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淡々とした、作り物の様な声。
私を真っ直ぐに見つめるサファイアブルーの瞳は、光が無くまるで深海の様だ。静かに告げられたその言葉には何処か諦めの様なものが籠っていて、彼の病んだ心は想像を絶するものなのだと覚った。
幾ら人の心が読めようと、共感しようと、本物の苦しさは本人にしか分からない。彼の様に、苦しい境地に立たされている人間は特にそうだ。私は人より共感しやすいだけの話であり、痛みを代わってやれる訳では決してない。
「あの男は、妹を――ステラを狙ってた」
「狙ってた……って」
「そのままの意味だよ。あいつは女性を、ただの性欲処理の道具としてしか見ていない。あの男にとってステラも、その道具の1つだった」
そこまで告げて、再び彼がその場に俯く。
「俺には、ステラしか居ない。ステラは、両親が俺に託したたった1人の家族なんだ。だから、ステラにだけは手を出して欲しくなかった……」
「それで、事件に加担したの?」
「勿論、それ以外の方法でステラを助けられないか考えたよ! ロンドンを離れ、遠くの街に引っ越す事も考えた。でも……そんな事が出来る程の金なんて無かった……。だからあの男に、ステラにだけは手を出さないで欲しいって何度も訴えた。その結果が……これだ……」
ウォーレンが両手で顔を覆い、嘆き呟く。
「被害者の女性には、何の罪も無かった……。ただあの男に“使われた”だけだ。それを俺は、黙って見ているどころか手までも貸してしまった。あの男が次に目を付けている娘も、何の罪もない女性だ。もう……もう嫌だ……」
耳に響くのは、彼の震えた声と絶望を乗せた耳鳴り。彼の精神は、もう限界をとっくに超えているのだろう。今にも壊れてしまいそうだ。――いや、もう壊れているのかもしれない。
「これ以上被害を広げさせない為にも、彼にやめさせないとね」
なるべく彼を刺激しない様に、安心させようと静かに告げる。しかし、彼は安心をするどころか更に心を病んでいく様だった。
「……やめさせたって、今迄被害にあった女性達の心の傷が癒える訳じゃない。これ以上被害者を増やしてはいけないのは事実だ。だがあいつがそう簡単にやめる訳が無いんだ。抑々、やめさせる事が出来るなら、そんな方法があるなら……! もうとっくに俺がやめさせてるよ!」
彼が感情のままに、テーブルを叩いた。その拍子に、テーブルの上に置かれていた花瓶が倒れ床に落下する。
パリン、と音を立てて割れた花瓶にウォーレンの昂った感情が緩まり、彼が慌てて散らばった破片を拾い集めようと床に手を伸ばした。それに続き、自身も席を立ち破片を拾い集める。
「……ステラが買った花なんだ。俺が少しでも元気になる様に、って……。アクセサリーの1つでも欲しかっただろうに、俺なんかの為に、わざわざ……」
ウォーレンの話を聞く事が、崩壊していく様を見ている事が、今はただただつらかった。
彼がやった事は、決して許されるものではない。幾ら脅されていようと、彼はアルフレッドの共犯であり、法で裁かれる。
だが、彼は悪では無い。ただ、彼は大切な家族を守りたかっただけだ。守る方法が、残酷にもアルフレッドに従うしか無かっただけで。
「――君に、俺の気持ちが分かるか。罪の無い女性を傷つけ、更には妹を人質に取られている状況の所為で自首する事も、死んで償う事も出来ない気持ちが」
「でも、貴方が自首をして証言すれば、アルフレッドの犯行は止められるんじゃないの?」
「あぁ、そうだな。俺だって最初はそう思ったよ。でも、奴は口が上手い。それに、あいつは上流階級の家に長男として生まれた貴族の1人なんだ。俺が証言したところで、奴の行動が封じられるのは精々1週間程度だろう。貴族は警察までをも翻弄する。どうせ、すぐに奴だけ釈放されるのがオチだ」
「……貴族の1人? どういう事?」
「何処まで本当の話かは知らない。だが……確か、出来の良い弟が居たって言ってたな。あの男は、次期当主なんて面倒なものにはなりたくなかった。だが弟は逆に、あいつのスペアである事に不満を抱いていた。それで、利害が一致……? したとかなんとかで、あいつは死んだ事になってて、弟が次期当主になったらしい。家を出た今も、弟から定期的に大金を貰って遊んで暮らしてるんだ。自由になる金も多い。……昨日、俺ともう1人男が居たのを覚えているか?」
彼の問い掛けに、首肯する。
「あいつも、俺と同じく従わされてるだけなんだ。母親が病気で、その治療費と薬代をフレッドに肩代わりしてもらってる。それの代償が、犯行への加担だ。でも、あいつの母親は少し前に病に耐えきれず亡くなってるんだ。だがどうせ、それを言った所で抜け出せない。それを、あいつも分かってる。だから、母親の治療費と薬代だと嘘を吐いて金を貰って、その金で遠くに逃げると昨晩言っていた。きっとあいつは、もうロンドンには居ない。今頃、列車の中にでも居るんじゃないかな」
彼が自嘲気味に笑い、「俺達も逃げる事が出来たらな」と言葉を付け加えた。
「いっそ、フレッドを殺してやろうとも思った。あいつを殺して俺も死ねば、全てが終わる。何度も、何度も深夜に奴の家の前まで行った。だけど……これ以上、罪を重ねる事が出来なかった。それに、奴が怖かったんだ。殺しても尚、あいつは俺を、ステラを苦しめる気がして……怖くて仕方が無かった」
花瓶の破片が彼の指を傷つけ、その指から真っ赤な鮮血が零れ落ちる。
「俺は、どうしたらいい……、どうしたら……」
今も流れ続ける血液を見ながら、ウォーレンが譫言の様に言葉を漏らした。
「――私に1つ、案がある。でもそれは、とても残酷な案。だけど、貴方にとっては悪い話ではない筈」
ベストのポケットに入れたハンカチを取り出し、血液が溢れ出す彼の指先に当てた。ハンカチが彼の血液を吸い込み、赤いシミが広がっていく。
「私が、全部終わらせる。この事件も、貴方の苦しみも、妹さんの将来も私が守る」
顔を上げたウォーレンの瞳を、真っ直ぐに見つめた。
「だから私の案、聞いてくれる?」
私を真っ直ぐに見つめるサファイアブルーの瞳は、光が無くまるで深海の様だ。静かに告げられたその言葉には何処か諦めの様なものが籠っていて、彼の病んだ心は想像を絶するものなのだと覚った。
幾ら人の心が読めようと、共感しようと、本物の苦しさは本人にしか分からない。彼の様に、苦しい境地に立たされている人間は特にそうだ。私は人より共感しやすいだけの話であり、痛みを代わってやれる訳では決してない。
「あの男は、妹を――ステラを狙ってた」
「狙ってた……って」
「そのままの意味だよ。あいつは女性を、ただの性欲処理の道具としてしか見ていない。あの男にとってステラも、その道具の1つだった」
そこまで告げて、再び彼がその場に俯く。
「俺には、ステラしか居ない。ステラは、両親が俺に託したたった1人の家族なんだ。だから、ステラにだけは手を出して欲しくなかった……」
「それで、事件に加担したの?」
「勿論、それ以外の方法でステラを助けられないか考えたよ! ロンドンを離れ、遠くの街に引っ越す事も考えた。でも……そんな事が出来る程の金なんて無かった……。だからあの男に、ステラにだけは手を出さないで欲しいって何度も訴えた。その結果が……これだ……」
ウォーレンが両手で顔を覆い、嘆き呟く。
「被害者の女性には、何の罪も無かった……。ただあの男に“使われた”だけだ。それを俺は、黙って見ているどころか手までも貸してしまった。あの男が次に目を付けている娘も、何の罪もない女性だ。もう……もう嫌だ……」
耳に響くのは、彼の震えた声と絶望を乗せた耳鳴り。彼の精神は、もう限界をとっくに超えているのだろう。今にも壊れてしまいそうだ。――いや、もう壊れているのかもしれない。
「これ以上被害を広げさせない為にも、彼にやめさせないとね」
なるべく彼を刺激しない様に、安心させようと静かに告げる。しかし、彼は安心をするどころか更に心を病んでいく様だった。
「……やめさせたって、今迄被害にあった女性達の心の傷が癒える訳じゃない。これ以上被害者を増やしてはいけないのは事実だ。だがあいつがそう簡単にやめる訳が無いんだ。抑々、やめさせる事が出来るなら、そんな方法があるなら……! もうとっくに俺がやめさせてるよ!」
彼が感情のままに、テーブルを叩いた。その拍子に、テーブルの上に置かれていた花瓶が倒れ床に落下する。
パリン、と音を立てて割れた花瓶にウォーレンの昂った感情が緩まり、彼が慌てて散らばった破片を拾い集めようと床に手を伸ばした。それに続き、自身も席を立ち破片を拾い集める。
「……ステラが買った花なんだ。俺が少しでも元気になる様に、って……。アクセサリーの1つでも欲しかっただろうに、俺なんかの為に、わざわざ……」
ウォーレンの話を聞く事が、崩壊していく様を見ている事が、今はただただつらかった。
彼がやった事は、決して許されるものではない。幾ら脅されていようと、彼はアルフレッドの共犯であり、法で裁かれる。
だが、彼は悪では無い。ただ、彼は大切な家族を守りたかっただけだ。守る方法が、残酷にもアルフレッドに従うしか無かっただけで。
「――君に、俺の気持ちが分かるか。罪の無い女性を傷つけ、更には妹を人質に取られている状況の所為で自首する事も、死んで償う事も出来ない気持ちが」
「でも、貴方が自首をして証言すれば、アルフレッドの犯行は止められるんじゃないの?」
「あぁ、そうだな。俺だって最初はそう思ったよ。でも、奴は口が上手い。それに、あいつは上流階級の家に長男として生まれた貴族の1人なんだ。俺が証言したところで、奴の行動が封じられるのは精々1週間程度だろう。貴族は警察までをも翻弄する。どうせ、すぐに奴だけ釈放されるのがオチだ」
「……貴族の1人? どういう事?」
「何処まで本当の話かは知らない。だが……確か、出来の良い弟が居たって言ってたな。あの男は、次期当主なんて面倒なものにはなりたくなかった。だが弟は逆に、あいつのスペアである事に不満を抱いていた。それで、利害が一致……? したとかなんとかで、あいつは死んだ事になってて、弟が次期当主になったらしい。家を出た今も、弟から定期的に大金を貰って遊んで暮らしてるんだ。自由になる金も多い。……昨日、俺ともう1人男が居たのを覚えているか?」
彼の問い掛けに、首肯する。
「あいつも、俺と同じく従わされてるだけなんだ。母親が病気で、その治療費と薬代をフレッドに肩代わりしてもらってる。それの代償が、犯行への加担だ。でも、あいつの母親は少し前に病に耐えきれず亡くなってるんだ。だがどうせ、それを言った所で抜け出せない。それを、あいつも分かってる。だから、母親の治療費と薬代だと嘘を吐いて金を貰って、その金で遠くに逃げると昨晩言っていた。きっとあいつは、もうロンドンには居ない。今頃、列車の中にでも居るんじゃないかな」
彼が自嘲気味に笑い、「俺達も逃げる事が出来たらな」と言葉を付け加えた。
「いっそ、フレッドを殺してやろうとも思った。あいつを殺して俺も死ねば、全てが終わる。何度も、何度も深夜に奴の家の前まで行った。だけど……これ以上、罪を重ねる事が出来なかった。それに、奴が怖かったんだ。殺しても尚、あいつは俺を、ステラを苦しめる気がして……怖くて仕方が無かった」
花瓶の破片が彼の指を傷つけ、その指から真っ赤な鮮血が零れ落ちる。
「俺は、どうしたらいい……、どうしたら……」
今も流れ続ける血液を見ながら、ウォーレンが譫言の様に言葉を漏らした。
「――私に1つ、案がある。でもそれは、とても残酷な案。だけど、貴方にとっては悪い話ではない筈」
ベストのポケットに入れたハンカチを取り出し、血液が溢れ出す彼の指先に当てた。ハンカチが彼の血液を吸い込み、赤いシミが広がっていく。
「私が、全部終わらせる。この事件も、貴方の苦しみも、妹さんの将来も私が守る」
顔を上げたウォーレンの瞳を、真っ直ぐに見つめた。
「だから私の案、聞いてくれる?」
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