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XLVII 唯一無二-I
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カーテンの掛かっていない窓から陽の光が差し込み、ぼんやりと目を覚ました。背後から私を抱く様にして眠るマクファーデンからは、規則正しい寝息が聞こえてくる。
彼の腕の中で寝返りを打ち、その寝顔をまじまじと見つめる。
眼鏡の掛けていない素顔に、ブラウンの髪。普段は長い前髪ではっきりとしない目元が、今は睫毛の長さまで良く見える。
ふと目に留まったのは、ヘッドボードの縁に置かれている彼の眼鏡。悪戯心が沸き上がり、その眼鏡に手を伸ばした。
細いシルバーのテンプルはひんやりとしていて、それだけで指先が僅かに冷えていく。色々な角度からその眼鏡を眺めた後、そっと装着してみた。
裸眼で生活が出来る自身の目に、この眼鏡が合う筈が無い。「見えづらい……」と独言を漏らしながらも、新鮮なその視界に周囲を見渡した。
「――こら、何をしているんですか」
目を覚ましたらしき彼の、いつもよりややふわふわとした声が頭上から聞こえる。と、思ったら、彼が素早く私の目元から眼鏡を取り上げた。掴んだ拍子にメキ、と嫌な音がしたが、眼鏡は無事だろうか。
「目に合っていない眼鏡は目を傷める原因になります。折角眼鏡が無くても生活が出来る視力をしているというのに、悪くさせたいんですか」
「目が悪くなるの?」
「正常な視力をしている人間が目に合っていない眼鏡を掛け続けた事で視力が落ちた、という報告は上がっています」
彼の言葉にあまり興味が引かれず、「へぇ」と短く返事をし再び眼鏡に手を伸ばすと、彼が私の額を強く指で弾いた。額に穴が開いたのではないかと思う程の痛みに、額を押さえベッドの中で悶える。
「貴女は本当に人の話を聞きませんね」
「いや、目が悪くなるって言われても現実味無いしなぁ」
「目が悪くなってからでは遅いんですよ。貴女は眼鏡が無いと生活できない苦しみを知らないからその様な事が言えるんです」
溜息を吐きつつベッドから起き上がった彼が、呆れ顔で眼鏡を掛けた。普段通りの彼に戻ってしまった事につまらないと思いながらも、自身も釣られてベッドから起き上がる。
「――そういえば」
ふと思い出した、家賃の存在。彼はこの部屋を、無償で借りている訳では無いだろう。
「私、此処に住むなら家賃払わないと」
ぽつりと呟くと、彼が小さく首を傾げた。
「家賃、ですか? 別にその様な事など気にしなくて良かったのに」
「気にしないって訳にはいかないでしょ。私そこまで厚かましい女ではないよ」
「そうでも無い気がしますが」
彼のその言葉に枕を引っ掴み、思い切り顔面目掛けて投げつける。
見事顔面ヒットした枕は彼の顔にめり込んだまま止まり、そして数秒後ぽとりと彼の膝の上に落下した。
「冗談じゃないですか」
「冗談きついんだよ」
彼の膝の上に落ちた枕を再び掴み引き寄せ、ぬいぐるみの様にそれを胸に抱く。
「でも本当に、一緒に住むならせめて半分は出さないと」
「うぅん、僕は此処の診療所に勤めている形になるので、本来よりも遥かに安く借りているんですよね。最早無償の様なものですし、本当にお気になさらず……」
「そういう訳には……」
私達の場合、押し問答になればヒートアップするだけで止まる事は無い。それをお互い分かっている為、顔を見合わせたまま口を噤んだ。
しかし、黙っていても問題が解決する訳でも無い。どうするべきか、と頭を悩ませていると、彼がぽんと手を打ち流れる沈黙を破った。
「僕にいい考えがあります」
「嫌な予感しかしない」
「失礼ですね、ちゃんとした案ですよ」
彼が何かを思い付いた時、それが良い話だった事が過去にあっただろうか。記憶を巡らせてみるが、彼が自分で“いい案”だと言ったものは漏れなく常識からかけ離れている様に思えた。
彼の言う案に、あまり期待はしない方が良いかもしれない。吐きたい溜息を飲み込み、「いい考えって?」と問うてみる。
しかし彼が放った言葉は、期待を裏切るどころか好感度を地に叩き付けるものであった。
「昨晩の様に、身体で払って貰えばいいんです」
人間とは、怒りが最高潮に達した時声よりも先に手が出るのだと、今日改めて思い知った。
何を言っているのだこの男は、という感情よりも先に手が動き、やや伸びた爪の先が彼の頬の肉を抉り取る。
彼の頬に付いた、見事な赤い3本線。やりすぎてしまった、という後悔は微塵もない。寧ろこんなものでは足りない位だ。
「ふざけるのも大概にしろよこの変態!」
「ふざけてはいませんが」
「どう考えてもふざけてるだろうが!!」
頬を引っ掻くだけでは物足りず、彼のシャツの胸倉を掴み更に頭突きを食らわす。
家賃の代わりに身体を差し出せと、当たり前の様に言って退けるこの男は一体どんな神経をしているのか。
それから約小一時間、怒り狂った私と宥めに徹底する彼の口論が続いたのは言うまでもない。
◇ ◇ ◇
彼の腕の中で寝返りを打ち、その寝顔をまじまじと見つめる。
眼鏡の掛けていない素顔に、ブラウンの髪。普段は長い前髪ではっきりとしない目元が、今は睫毛の長さまで良く見える。
ふと目に留まったのは、ヘッドボードの縁に置かれている彼の眼鏡。悪戯心が沸き上がり、その眼鏡に手を伸ばした。
細いシルバーのテンプルはひんやりとしていて、それだけで指先が僅かに冷えていく。色々な角度からその眼鏡を眺めた後、そっと装着してみた。
裸眼で生活が出来る自身の目に、この眼鏡が合う筈が無い。「見えづらい……」と独言を漏らしながらも、新鮮なその視界に周囲を見渡した。
「――こら、何をしているんですか」
目を覚ましたらしき彼の、いつもよりややふわふわとした声が頭上から聞こえる。と、思ったら、彼が素早く私の目元から眼鏡を取り上げた。掴んだ拍子にメキ、と嫌な音がしたが、眼鏡は無事だろうか。
「目に合っていない眼鏡は目を傷める原因になります。折角眼鏡が無くても生活が出来る視力をしているというのに、悪くさせたいんですか」
「目が悪くなるの?」
「正常な視力をしている人間が目に合っていない眼鏡を掛け続けた事で視力が落ちた、という報告は上がっています」
彼の言葉にあまり興味が引かれず、「へぇ」と短く返事をし再び眼鏡に手を伸ばすと、彼が私の額を強く指で弾いた。額に穴が開いたのではないかと思う程の痛みに、額を押さえベッドの中で悶える。
「貴女は本当に人の話を聞きませんね」
「いや、目が悪くなるって言われても現実味無いしなぁ」
「目が悪くなってからでは遅いんですよ。貴女は眼鏡が無いと生活できない苦しみを知らないからその様な事が言えるんです」
溜息を吐きつつベッドから起き上がった彼が、呆れ顔で眼鏡を掛けた。普段通りの彼に戻ってしまった事につまらないと思いながらも、自身も釣られてベッドから起き上がる。
「――そういえば」
ふと思い出した、家賃の存在。彼はこの部屋を、無償で借りている訳では無いだろう。
「私、此処に住むなら家賃払わないと」
ぽつりと呟くと、彼が小さく首を傾げた。
「家賃、ですか? 別にその様な事など気にしなくて良かったのに」
「気にしないって訳にはいかないでしょ。私そこまで厚かましい女ではないよ」
「そうでも無い気がしますが」
彼のその言葉に枕を引っ掴み、思い切り顔面目掛けて投げつける。
見事顔面ヒットした枕は彼の顔にめり込んだまま止まり、そして数秒後ぽとりと彼の膝の上に落下した。
「冗談じゃないですか」
「冗談きついんだよ」
彼の膝の上に落ちた枕を再び掴み引き寄せ、ぬいぐるみの様にそれを胸に抱く。
「でも本当に、一緒に住むならせめて半分は出さないと」
「うぅん、僕は此処の診療所に勤めている形になるので、本来よりも遥かに安く借りているんですよね。最早無償の様なものですし、本当にお気になさらず……」
「そういう訳には……」
私達の場合、押し問答になればヒートアップするだけで止まる事は無い。それをお互い分かっている為、顔を見合わせたまま口を噤んだ。
しかし、黙っていても問題が解決する訳でも無い。どうするべきか、と頭を悩ませていると、彼がぽんと手を打ち流れる沈黙を破った。
「僕にいい考えがあります」
「嫌な予感しかしない」
「失礼ですね、ちゃんとした案ですよ」
彼が何かを思い付いた時、それが良い話だった事が過去にあっただろうか。記憶を巡らせてみるが、彼が自分で“いい案”だと言ったものは漏れなく常識からかけ離れている様に思えた。
彼の言う案に、あまり期待はしない方が良いかもしれない。吐きたい溜息を飲み込み、「いい考えって?」と問うてみる。
しかし彼が放った言葉は、期待を裏切るどころか好感度を地に叩き付けるものであった。
「昨晩の様に、身体で払って貰えばいいんです」
人間とは、怒りが最高潮に達した時声よりも先に手が出るのだと、今日改めて思い知った。
何を言っているのだこの男は、という感情よりも先に手が動き、やや伸びた爪の先が彼の頬の肉を抉り取る。
彼の頬に付いた、見事な赤い3本線。やりすぎてしまった、という後悔は微塵もない。寧ろこんなものでは足りない位だ。
「ふざけるのも大概にしろよこの変態!」
「ふざけてはいませんが」
「どう考えてもふざけてるだろうが!!」
頬を引っ掻くだけでは物足りず、彼のシャツの胸倉を掴み更に頭突きを食らわす。
家賃の代わりに身体を差し出せと、当たり前の様に言って退けるこの男は一体どんな神経をしているのか。
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