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LIV 招かれざる客-III
しおりを挟む「――奥様、私は馬車でお待ちしております」
彼女がそう声を掛けると、女性が了承の意を込めて振り返る事無く片手をひらりと振った。その姿を見届けた彼女が、女性の背に向かって一度深く頭を下げ、踵を返し馬車の方へと去っていった。
ほんの一瞬の事だった為に確証は持てないが、あの使用人の女性からも妙な感情が流れてきた。主人である女性と少し似ているが、彼女の場合は心を病んでいるというよりも、何かを強く恨んでいる様な、憎んでいる様なものだ。
彼女達の屋敷では一体、何が起こっているのだろうか。
セドリックを頼って此処に来る人間は、皆何かしらの事情を抱えている。それは子供を買う側も、手放す側も同じだ。しかし、彼女達は並じゃない。今迄様々な依頼者を見てきたが、彼女達程闇深い何かを持っている人は初めてだった。
じわりと嫌な予感が沸き上がるのを感じながらも、慌てて玄関扉を閉め女性の後を追う。
「――此方が客室です」
客室の扉を開くと、女性が私を一瞥した後再び不自然な動きで客室へと入っていった。女性がソファに腰を下ろしたのを確認し、彼女の前に1枚の紙とペンを置く。
「此方にお名前と御処、ご要望等のご記入をお願い致します。直ぐにお茶をお持ち致しますので、暫くお待ちください」
やや早口でそう伝え、逃げる様に客室を飛び出す。そして閉じた客室の扉に背を付け、深く息を吐いた。
あの女性が発する、禍々しく不穏な空気。それがあまりにも重たく、水中に潜っているかの様に息が出来なかった。
人の心が読める私じゃなくとも、あの女性から何か嫌な物を感じる人間は居るだろう。“息の詰まる空気”と言えば大体の人には伝わるのではないだろうか。実際はそんな生易しいものでは無いが、例えるのならその言葉が一番近しい気がした。
出来る事なら、あの女性の相手をしたくない。客室に足を踏み入れたくない。彼女と共に居れば、恐らくものの数分で正気を保っていられなくなるだろう。
セドリックは一体何処へ行ってしまったのだろうか。直ぐに戻ると言って、どの位が経過した?
この屋敷を飛び出してセドリックを探しに行きたい衝動をなんとか抑え込み、早く帰ってくる様にと祈りながらお茶の用意をすべくキッチンへと急いだ。
キッチンの戸棚から取り出したのは、客人用のティーカップとソーサー。あまり高価な物では無いが、上流階級の人間に出しても差し支えないブランドの食器だ。
それと揃いの柄のティーポットも取り出し、キッチンに並べてある缶に入った茶葉の中から最も高価な茶葉を選んで手に取る。
失礼の無い様に、早くお茶を用意しなければ。そう思う反面、客室に向かいたくない気持ちが強くこのまま湯が沸かなければ良いのに、なんて願ってしまう。
しかし、どう抗おうが時間は止まってはくれない。ケトルの注ぎ口からは蒸気が吹き出し、湯はぶくぶくと音を出し嫌味な程にはっきりと沸騰を知らせる。
抑える事の出来なかった溜息を漏らし、やや乱暴に火を止めた。そしてケトルの湯をティーポットに注ぎ込み、3分を計る砂時計をひっくり返す。
静かなキッチンに響くのは、カツカツと爪の先で台を突く音。そわそわと落ち着かない心を紛らわせる為の行動だったが、却ってその音が耳を衝いてしまい、堪らずドン、と拳で台を叩いた。その衝撃に周囲に置かれていたカップや砂時計がカタカタと揺れる。
砂が落ち切るこの3分間は、永遠にも、ほんの一瞬にも感じられた。胸に鉛玉でも埋め込まれているのではないかと思う程に苦しく、重く、痛い。砂が落ち切った砂時計を元ある場所に戻し、ティーポットの中の紅茶をカップに注いだ。
セドリックの分は、彼が帰ってきてから淹れれば良いだろう。今は、あの女性に出しておけば問題無い筈だ。
トレーに、紅茶を注いだカップとミルクピッチャー、シュガーポットを乗せ、それを慎重に手に持ちながらキッチンを出た。
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