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LVIII 不穏な予感-V
しおりを挟むどれ程の時間が経過しただろう。
騒ぎにならない様に、問題を起こさない様にとどれだけ祈っても現実は祈り等では変わりはしない。客室から怒鳴り声が聞こえ、食器が割れる音が響く度に、自身の意志とは関係なく肩が跳ねる。そろそろ仲裁に入るべきだろうか。
階段の中間に立ち尽くしていた自身の足を無理矢理動かし、階段を降り切った頃、丁度タイミング良く客室の扉が開かれた。肩で大きく息をしながら玄関扉へと向かっていく男は、先程とは打って変わって血走った眼をしている。セドリックがあの様なまともではない男を相手に、神経を逆撫でする発言をするとは思えないが、相当な口論になった様だ。とにかくセドリックの状態を確認しなければと、扉が開いたままになっている客室へと駆けた。
「――話は終わった?」
客室の中を覗き込み、ソファに座り込んでいるセドリックに声を掛けた。
「多分な」
「……なにそれ」
彼の返答は、酷く曖昧だ。彼自身もあの男の事が良く分かっていない様で、困惑と疲労が彼から伝わってくる。
ふと床に目を遣ると、ティーカップが粉々になって散らばっていた。相当な力で投げつけられた事が窺える。その場にしゃがみ込み、割れたカップの破片を摘み上げた。
「――この程度で済んで良かった」
見た限り、セドリックに怪我は無い。あの男が暴れただけで済んだ様だ。
「あの人、相当精神病んでるみたいだったけど、何しに来たの?」
「……何しに、って言われてもな……。養女が精神異常者だ、とかなんとか」
「それで? 責任取れって?」
彼が曖昧に頷き、紅茶を被ったらしきジャケットを脱いだ。それを向かいのソファに抛り、ネクタイを緩めながら深い溜息を吐く。
「此処の掃除は私がしておくから、セディはその人の書類、探しに行って」
養女の事で揉めているのなら、当時の書類を探し出す事が最優先だ。寧ろ、今出来る事はそれ位しか無いだろう。
しかし、彼は「いや、でも」と口籠った。
「良いから、早く。その書類が無いと、対処も出来ないでしょ」
客室から追い出す様に、彼の背を強く押す。
片付け等、私1人で幾らだって出来る。しかし、書類を探すのは彼にしか出来ない事だ。こんな所で時間を消費している位ならば、早く書類を見つけてあの男を黙らせてしまった方が良いに決まっている。
彼が渋々階段の方へと向かうのを見届け、再びその場にしゃがみ込んだ。
少々気に入っている食器だったが、致し方が無い。ブローカーの様に貴族を相手にする職業をしていれば、いずれはこうなる事は分かっていた。
「っ……」
割れた陶器の破片に触れた瞬間、ピリ、と痺れる様な冷たい痛みが指先に走った。指先に出来た赤い線から、ふつふつと玉の形をした血液が溢れ出す。
それを客室の床に落としカーペットを汚してしまわぬ様に、慌てて指を口へと運んだ。口の中に広がる、錆びた味。身体が拒絶する様な、嫌な味だ。
その味が口の中に広がるのと同様に、何かこれから嫌な事が起こるのではないかと、不穏な予感が心の中を渦巻いていた。
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