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XIV 訪問者-III
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男女が腕を組んで、街を歩く。それは、恋人関係、もしくは夫婦関係にある者達がする行為であり、他人である私達が出来る筈が無い。当然、主人と使用人の関係だったとしてもそうだ。
何を考えているのだろう。たかが屋敷から連れ出してくれた位で、浮かれてしまって。
彼は私を迷惑に思っているのかもしれないのに。私を面倒だと思っているのかもしれないのに。
彼と私が、そんな仲になれる筈が無い。彼が私を、女性として愛してくれる筈が無い。
分かり切っていた事だが、改めてそう思うと胸がズキリと痛んだ。
だがそこで、更にその考え自体も“普通じゃない”事に気付く。
恋人?誰が?私と、セドリックが?
私は確かに、彼と“他人以上の関係”になりたいと望んだ。だが、決して恋人になりたいと望んだ訳では無い。女性として、愛して欲しいと願った訳でも無い。
ただ、他人に言える関係であった方が、生活していく上で好都合だと思っただけ。
――そうでしょう?
自分自身に問い掛けてみるが、当然返事はない。
彼に抱いたこの気持ちも、胸の高鳴りも、知らない。意味など分からない。そんな物、分かる筈が無い。
くらりと眩暈がして、その場に蹲る様に座り込んだ。壁に額を付け、気持ちが悪い程に高鳴る胸を手で強く押さえる。
知らないからこそ、分からない物だからこそ、私は男女を描いた物語を好んでいた。知らない感情を、第三者目線だとしても知る事が出来るのは楽しかった。
その感情を理解する事こそ出来なかったが、恋に狂い、妬み、苦しみ、そして深く愛し合う者達を愛おしく思い、長年かけて眺める様に文字を辿って行った。
それは私に無い物。私が持ち合わせて居ない物。だからこそ、知りたい。知るのが楽しい。
そうだった、筈なのに。
今は自分のこの感情を、解き明かすのが怖い。
彼と出逢った日、此処へ来た晩は、こんな事思いもしなかったのに。ただ、彼を見ていると胸が高鳴り、胸の中が幸福感で満たされる。それだけだった筈なのに。
ゴツ、と自身の額を壁に叩き付け、うぅんと小さな唸り声を上げる。
こんなの自分じゃない。早く目を覚まさなければ。このままでは、自分が自分でなくなってしまう。自分が消えてしまう。
知らない感情に飲み込まれて、またあの悪夢の様な不安感に苛まれてしまう。
再び吐いた溜息は、自分でも何故だか分からない程酷く震えていた。
そんな自身の思考を止める様に響き渡ったのは、ドアノッカーが叩かれる音。一瞬自身の聞き間違いかとも思ったが、どうやらこの家に誰かが訪ねてきたのは事実の様だ。玄関扉の外から、僅かに人の気配がする。
ぴり、と僅かに緊張感が走った。
毎朝仕事に行く前に、セドリックからきつく言われていた事を思い出す。
誰かが家を訪ねて来ても、決して扉を開けてはいけない。この家に人が訪ねてくる事は殆ど無い為、訪問者が居たとしたら、それは私を探している人物だと思え、と。
先程の胸の高鳴りとは大きく違う、恐怖や緊張感が齎す激しい動悸。冷汗が流れ、背を濡らす。
まだ此処へ来て、たったの3日だ。そして私は、この家を1歩も出ていない。因って、この家に私が居ると特定するのは極めて難しい。
それこそ、密告者が居ない限り――
ふと、頭に浮かんだ1人の人物。
3日前、セドリックと共にこの家に来た女性。名前は確か、マーシャ・レイノルズと言っただろうか。
彼女は、私が元貴族の人間だと言う事を知っている口ぶりをしていた。それに、気になるのは彼女が私に告げた一言。
――どうやってセディを惚れさせたの?
その言葉が、ぐるぐると頭の中を回る。
彼女が仮に、セドリックに好意を寄せていたのだとしたら。私を疎ましく、邪魔に思っていたのだとしたら。
彼女たちは普通じゃない。故に、私の家の事だって、容易く調べられる腕を持っていたっておかしくはない。
あの日彼女が私に掛けてくれた優しい言葉は、嘘には見えなかった。出来る事なら、こんな事考えたくは無い。
だがセドリックと距離の近い彼女なら?
その可能性を捨てきる事は出来なかった。
――もし、扉の外に立っている人物が私の父だったら。
使用人にした様に、私に手を上げるかもしれない。もう二度と逃げ出さない様にと、地下室に閉じ込められてしまうかもしれない。
昔、父が折檻と称して使用人を地下室に閉じ込めた時、父は笑って「暗闇の中に人間を72時間閉じ込めておくと、精神が崩壊するらしい」と母に話していた。まるで、見物だとでも言うように。
その使用人が、その後どうなったかは知らない。地下室の場所は両親以外誰も知らず、閉じ込められた使用人もそれ以降姿を見て居なかった。
もし、彼女があの時本当に精神を壊してしまっていたのだとしたら。命を落としていたのだとしたら。
私も、彼女と同じことを、されたとしたら。
暗闇に、何日も、何日も、精神が壊れるまで、命を落とす迄、閉じ込められたら。
呼吸が浅くなり、手足が震えだす。
――怖い。
震えは手足から全身へと広がり、気が触れそうな恐怖に脳が支配される。
自身が声を上げてしまわぬ様に、両手で強く口を塞いだ。外に居る人物に、自分の存在を気付かれてはいけない。
呼吸を止め、目を強く瞑り、ただ只管に時が過ぎるのを待つ。
「――こんにちは」
突如玄関扉の外から聞こえてきた声に、鼓動が跳ね上がった。
それはやけに聞き覚えのある、媚態の無い軽やかな口調。
「――私、この前会ったマーシャだけど、今大丈夫?」
何を考えているのだろう。たかが屋敷から連れ出してくれた位で、浮かれてしまって。
彼は私を迷惑に思っているのかもしれないのに。私を面倒だと思っているのかもしれないのに。
彼と私が、そんな仲になれる筈が無い。彼が私を、女性として愛してくれる筈が無い。
分かり切っていた事だが、改めてそう思うと胸がズキリと痛んだ。
だがそこで、更にその考え自体も“普通じゃない”事に気付く。
恋人?誰が?私と、セドリックが?
私は確かに、彼と“他人以上の関係”になりたいと望んだ。だが、決して恋人になりたいと望んだ訳では無い。女性として、愛して欲しいと願った訳でも無い。
ただ、他人に言える関係であった方が、生活していく上で好都合だと思っただけ。
――そうでしょう?
自分自身に問い掛けてみるが、当然返事はない。
彼に抱いたこの気持ちも、胸の高鳴りも、知らない。意味など分からない。そんな物、分かる筈が無い。
くらりと眩暈がして、その場に蹲る様に座り込んだ。壁に額を付け、気持ちが悪い程に高鳴る胸を手で強く押さえる。
知らないからこそ、分からない物だからこそ、私は男女を描いた物語を好んでいた。知らない感情を、第三者目線だとしても知る事が出来るのは楽しかった。
その感情を理解する事こそ出来なかったが、恋に狂い、妬み、苦しみ、そして深く愛し合う者達を愛おしく思い、長年かけて眺める様に文字を辿って行った。
それは私に無い物。私が持ち合わせて居ない物。だからこそ、知りたい。知るのが楽しい。
そうだった、筈なのに。
今は自分のこの感情を、解き明かすのが怖い。
彼と出逢った日、此処へ来た晩は、こんな事思いもしなかったのに。ただ、彼を見ていると胸が高鳴り、胸の中が幸福感で満たされる。それだけだった筈なのに。
ゴツ、と自身の額を壁に叩き付け、うぅんと小さな唸り声を上げる。
こんなの自分じゃない。早く目を覚まさなければ。このままでは、自分が自分でなくなってしまう。自分が消えてしまう。
知らない感情に飲み込まれて、またあの悪夢の様な不安感に苛まれてしまう。
再び吐いた溜息は、自分でも何故だか分からない程酷く震えていた。
そんな自身の思考を止める様に響き渡ったのは、ドアノッカーが叩かれる音。一瞬自身の聞き間違いかとも思ったが、どうやらこの家に誰かが訪ねてきたのは事実の様だ。玄関扉の外から、僅かに人の気配がする。
ぴり、と僅かに緊張感が走った。
毎朝仕事に行く前に、セドリックからきつく言われていた事を思い出す。
誰かが家を訪ねて来ても、決して扉を開けてはいけない。この家に人が訪ねてくる事は殆ど無い為、訪問者が居たとしたら、それは私を探している人物だと思え、と。
先程の胸の高鳴りとは大きく違う、恐怖や緊張感が齎す激しい動悸。冷汗が流れ、背を濡らす。
まだ此処へ来て、たったの3日だ。そして私は、この家を1歩も出ていない。因って、この家に私が居ると特定するのは極めて難しい。
それこそ、密告者が居ない限り――
ふと、頭に浮かんだ1人の人物。
3日前、セドリックと共にこの家に来た女性。名前は確か、マーシャ・レイノルズと言っただろうか。
彼女は、私が元貴族の人間だと言う事を知っている口ぶりをしていた。それに、気になるのは彼女が私に告げた一言。
――どうやってセディを惚れさせたの?
その言葉が、ぐるぐると頭の中を回る。
彼女が仮に、セドリックに好意を寄せていたのだとしたら。私を疎ましく、邪魔に思っていたのだとしたら。
彼女たちは普通じゃない。故に、私の家の事だって、容易く調べられる腕を持っていたっておかしくはない。
あの日彼女が私に掛けてくれた優しい言葉は、嘘には見えなかった。出来る事なら、こんな事考えたくは無い。
だがセドリックと距離の近い彼女なら?
その可能性を捨てきる事は出来なかった。
――もし、扉の外に立っている人物が私の父だったら。
使用人にした様に、私に手を上げるかもしれない。もう二度と逃げ出さない様にと、地下室に閉じ込められてしまうかもしれない。
昔、父が折檻と称して使用人を地下室に閉じ込めた時、父は笑って「暗闇の中に人間を72時間閉じ込めておくと、精神が崩壊するらしい」と母に話していた。まるで、見物だとでも言うように。
その使用人が、その後どうなったかは知らない。地下室の場所は両親以外誰も知らず、閉じ込められた使用人もそれ以降姿を見て居なかった。
もし、彼女があの時本当に精神を壊してしまっていたのだとしたら。命を落としていたのだとしたら。
私も、彼女と同じことを、されたとしたら。
暗闇に、何日も、何日も、精神が壊れるまで、命を落とす迄、閉じ込められたら。
呼吸が浅くなり、手足が震えだす。
――怖い。
震えは手足から全身へと広がり、気が触れそうな恐怖に脳が支配される。
自身が声を上げてしまわぬ様に、両手で強く口を塞いだ。外に居る人物に、自分の存在を気付かれてはいけない。
呼吸を止め、目を強く瞑り、ただ只管に時が過ぎるのを待つ。
「――こんにちは」
突如玄関扉の外から聞こえてきた声に、鼓動が跳ね上がった。
それはやけに聞き覚えのある、媚態の無い軽やかな口調。
「――私、この前会ったマーシャだけど、今大丈夫?」
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