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XXXIX 狂いそうな愛情-III

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「お腹空いてる?ご飯は直ぐに出せるけど、先にお風呂の方が良いかしら」

 僅かにその手が緩んだのを見計らい、彼の腕から逃れ距離を取る。そして手早くエプロンの紐を結び直しながらキッチンの方へと足を向けた。
 夕飯の準備は、もう済ませてある。あとはオーブンで焼くだけだが、サラダの用意がまだだという事を思い出した。彼がお風呂に入っている間に支度をすれば問題無いだろう。

 だが彼の両腕が私を背後から強く抱き、私の身体だけでなく思考迄をも引き止めた。首筋や耳元に彼の吐息が当たり、思わず身を震わす。
 幾ら華奢な体付きをしているとは言え、彼は男性だ。私より頭一つ分程背も高く、当然力も強い。彼に抑え込まれてしまえば、身動きが取れなくなってしまうのは最早当然の事だった。

「――今日は、マーシャと随分長く話し込んでいたんだな」

 耳元で囁かれた低く甘い声に、お腹の奥が疼く様な感覚に襲われる。だが彼はそんな私の事など露知らず、耳に唇を触れさせながら私の手を優しく掬い取った。
 肌は白く、指は長く美しい。私の手より一回りも二回りも大きなそれを見ていると、ついつい夜の情交を思い出してしまい顔に熱が上るのを感じた。

「長く……って程でも、無いと思うけれど……。彼女、昼頃には帰ってしまって……」

 そんな思考を無理矢理頭から払い落し、何とか彼の言葉に返答する。
 マーシャが帰ったのは昼頃。時計の針が、丁度12時を指し重なった時だったと記憶している。
 確か街で調べ物をすると言って出て行った筈だ。セドリックもそれを把握している物だと思っていたが、何か行違いでもあったのだろうか。背後の彼が、ぽつり「昼?」と漏らした。

「――マーシャと、何の話をしたんだ」

 彼の問いに、思い出されるのはマーシャとの会話。様々な会話を交わしたが、主に話題に上がったのはセドリックとの事。情交についてや夫婦仲等、とても彼に出来る話では無い。

「色々と、ね」

 含みを持たせつつ曖昧に誤魔化すと、彼がむっとした顔で私を抱く腕に力を籠めた。

「……なんだよ」

「色々は色々。女同士の会話内容を聞くなんて無粋よ」

 意地悪をする様にふふ、と笑い、身を捻り彼の腕の中から抜け出す。そして徐に彼の手を取り頬擦りをすると、彼が複雑な表情を浮かべた。
 嫉妬でもしているのだろうか。何処か不服そうなその顔に、心が満たされていくのを感じる。

 ――人を“所有物”としてしか見ていない、身勝手な拘束は嫌いだ。他人を自分の望む人間になるよう支配し、自分を引き立てる為の駒にする、所謂上流階級の人間が好むやり方。自己愛だけで構成された、不快な行為である。

 だが、嫉妬は違う。同じ拘束の意味を持ちながらも、特定の物への強い愛や執着が齎す感情であり、その言葉や行動は全て深い愛情表現の一種だ。
 相手はマーシャだと言うのに、会話内容が知れないだけでこんなにも不服そうな顔をする彼が何よりも愛おしい。
 もっと嫉妬させたい、不安にさせたい、なんて思ってしまう程“嫉妬”という感情は私を虜にするものだった。胸の奥が擽ったくなる様な甘心で満たされていく。
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