36 / 52
X 朝の支度
V
「お気に召しませんでしたか」
アイリーンの声が聞こえ、ぱっと顔を上げる。彼女のガラス玉の様な瞳と鏡越しに視線が交わり、止まる事無く沸き上がる不安からその場に俯いた。
「い、いえ、私たちが、デザインの違うドレスを着る事が、過去に、無かったので」
言葉に詰まりながらそう答えると、彼女は興味があるのか無いのか分からない声音で「左様で御座いますか」と返した。上目遣いに鏡を見遣ると、アイリーンはクローゼットの中のドレスを漁っている様だった。何を探しているのだろう。
ややあって、彼女がドレスを見つめながら「なるほど」と呟き、私たちの方に身体を向けた。今度は身を捻って振り返り、鏡越しでは無いアイリーンを見る。
「確認した所、同じ色合いやデザインのドレスが複数御座います。イブニングドレスはどれも落ち着いた色合いですので、その中でも似たデザインのものを夕刻までに用意させます。無ければ――元針子仕事をしていた使用人にリメイクさせましょう。
ご希望でしたら、今からでも似たデザインや色合いのデイドレスをお探しする事は可能で御座いますが、如何なさいますか?」
予想だにしていなかったアイリーンの言葉に、思わず「え?」と間抜けな声が漏れてしまう。
変更、とは、今からもう一度着替えるという事だろうか。コルセットまで変更する必要は無い為ドレスのみだろうが、このドレスを着用するのもそれなりの時間が掛かった。貴族のドレスは、頭から被ってホックを留めれば終わり、と言う訳では無いのだ。それを今からもう一度やるだなんて考えるだけでも気が遠くなる。
「あ、あの」
それよりも、彼女の言葉で気になるワードがあった。
「い、イブニングドレス、ってなんですか……? 何処かに、出掛けるという事ですか?」
「夕刻から夜間に掛けて着用するドレスで御座います。お嬢様方に、外食や来客のご予定は御座いません」
「……夕食を食べるだけの為に、わざわざまた着替えるんですか?」
「お召し物を変えるのは夕刻時だけでは御座いません。1日4回から5回着替えるご婦人もいらっしゃいます。お嬢様方は現在、外出の許可が旦那様や奥様から得られておりませんので、1日2回で問題ありません」
「…………この――デイドレス? で、夕食を食べたらいけないんですか?」
「夕刻から夜間に掛けてはイブニングドレスを着用するのが基本となります」
今度こそ、眩暈がした。
服なんて、1日1着で良いじゃないか。何故、何度も何度も着替えを行う必要があるのか。また日が落ちれば着替えをしなければならないのかと思うと、心の底からうんざりとしてしまう。
彼女は〝基本〟と言うが、恐らくそれが貴族社会の〝常識〟なのだろう。いずれこの屋敷から抜け出すにしても、今日明日の話では無い。この屋敷に滞在している間は、貴族の常識に従う必要がある。
「……分かりました」
渋々了承すると、アイリーンが小さく頷いて踵を返した。
「朝食のお時間です。ご案内致します」
そう言ってドレッシングルームを出ていく彼女の後ろを、レイと共に慌ててついていく。
部屋を出る直前、チェストの上に置かれた豪奢なからくり時計に目を遣った。朝食だなんて言うが、着替えに相当な時間を掛けてしまった為ブランチになるのではないか。そう思ったのだ。
しかし時計を見る限り、目覚めてからまだたったの30分しか経っていなかった。その衝撃に思わず足を縺れさせてしまい、一歩後ろを歩いていたレイが巻き添えを食った様に私の背にぶつかった。
「え、何、どうしたの?」
彼女の問いに、なんでもないの、ごめんなさいと早口で答え、再びアイリーンを追い掛ける。
――こんなにも濃い時間を過ごしたというのに、まだ30分だなんて。
それは、戦慄に価する衝撃とも言えよう。けれどもそれを口に出す余裕なんてものは無く。
今はただ、黙ってアイリーンについていく他無かった。
アイリーンの声が聞こえ、ぱっと顔を上げる。彼女のガラス玉の様な瞳と鏡越しに視線が交わり、止まる事無く沸き上がる不安からその場に俯いた。
「い、いえ、私たちが、デザインの違うドレスを着る事が、過去に、無かったので」
言葉に詰まりながらそう答えると、彼女は興味があるのか無いのか分からない声音で「左様で御座いますか」と返した。上目遣いに鏡を見遣ると、アイリーンはクローゼットの中のドレスを漁っている様だった。何を探しているのだろう。
ややあって、彼女がドレスを見つめながら「なるほど」と呟き、私たちの方に身体を向けた。今度は身を捻って振り返り、鏡越しでは無いアイリーンを見る。
「確認した所、同じ色合いやデザインのドレスが複数御座います。イブニングドレスはどれも落ち着いた色合いですので、その中でも似たデザインのものを夕刻までに用意させます。無ければ――元針子仕事をしていた使用人にリメイクさせましょう。
ご希望でしたら、今からでも似たデザインや色合いのデイドレスをお探しする事は可能で御座いますが、如何なさいますか?」
予想だにしていなかったアイリーンの言葉に、思わず「え?」と間抜けな声が漏れてしまう。
変更、とは、今からもう一度着替えるという事だろうか。コルセットまで変更する必要は無い為ドレスのみだろうが、このドレスを着用するのもそれなりの時間が掛かった。貴族のドレスは、頭から被ってホックを留めれば終わり、と言う訳では無いのだ。それを今からもう一度やるだなんて考えるだけでも気が遠くなる。
「あ、あの」
それよりも、彼女の言葉で気になるワードがあった。
「い、イブニングドレス、ってなんですか……? 何処かに、出掛けるという事ですか?」
「夕刻から夜間に掛けて着用するドレスで御座います。お嬢様方に、外食や来客のご予定は御座いません」
「……夕食を食べるだけの為に、わざわざまた着替えるんですか?」
「お召し物を変えるのは夕刻時だけでは御座いません。1日4回から5回着替えるご婦人もいらっしゃいます。お嬢様方は現在、外出の許可が旦那様や奥様から得られておりませんので、1日2回で問題ありません」
「…………この――デイドレス? で、夕食を食べたらいけないんですか?」
「夕刻から夜間に掛けてはイブニングドレスを着用するのが基本となります」
今度こそ、眩暈がした。
服なんて、1日1着で良いじゃないか。何故、何度も何度も着替えを行う必要があるのか。また日が落ちれば着替えをしなければならないのかと思うと、心の底からうんざりとしてしまう。
彼女は〝基本〟と言うが、恐らくそれが貴族社会の〝常識〟なのだろう。いずれこの屋敷から抜け出すにしても、今日明日の話では無い。この屋敷に滞在している間は、貴族の常識に従う必要がある。
「……分かりました」
渋々了承すると、アイリーンが小さく頷いて踵を返した。
「朝食のお時間です。ご案内致します」
そう言ってドレッシングルームを出ていく彼女の後ろを、レイと共に慌ててついていく。
部屋を出る直前、チェストの上に置かれた豪奢なからくり時計に目を遣った。朝食だなんて言うが、着替えに相当な時間を掛けてしまった為ブランチになるのではないか。そう思ったのだ。
しかし時計を見る限り、目覚めてからまだたったの30分しか経っていなかった。その衝撃に思わず足を縺れさせてしまい、一歩後ろを歩いていたレイが巻き添えを食った様に私の背にぶつかった。
「え、何、どうしたの?」
彼女の問いに、なんでもないの、ごめんなさいと早口で答え、再びアイリーンを追い掛ける。
――こんなにも濃い時間を過ごしたというのに、まだ30分だなんて。
それは、戦慄に価する衝撃とも言えよう。けれどもそれを口に出す余裕なんてものは無く。
今はただ、黙ってアイリーンについていく他無かった。
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】【ママ友百合】ラテアートにハートをのせて
千鶴田ルト
恋愛
専業主婦の優菜は、夫・拓馬と娘の結と共に平穏な暮らしを送っていた。
そんな彼女の前に現れた、カフェ店員の千春。
夫婦仲は良好。別れる理由なんてどこにもない。
それでも――千春との時間は、日常の中でそっと息を潜め、やがて大きな存在へと変わっていく。
ちょっと変わったママ友不倫百合ほのぼのガールズラブ物語です。
ハッピーエンドになるのでご安心ください。
〈社会人百合〉アキとハル
みなはらつかさ
恋愛
女の子拾いました――。
ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?
主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。
しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……?
絵:Novel AI
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。