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ちぎりきな かたみに袖を

蜜月 参

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 見世を揺らす声援、舞い上がる和紙の白い百合。いくつもかけられた提灯からは蜂蜜色のきらめき。舞台の中央には菊華の伝統演目「蛍火」を舞い終えて、型を保持したまま天の方向に顔を向けている「菊座が華、百合」──翌日の湯島花街瓦版には俺の瑞華デビューの記事が大体的に取り上げられた。

 祝いの花や品物、御祝儀が山のように届き、女将もホクホク顔をしている割に、なかなかお褒めの言葉はくれないんだよなあ……女将は厳しいよ。

 でも……昨日の公演のあと、保科家の大旦那様が直々に菊華用の楽屋を訪れて、お褒めの言葉を下さった。
 そして「忠彬も昇進を喜んでいたよ。たまにはてがみでも書いて様子を報せてやってくれ」と、保科様からの贈り物だと、百合の模様の染めと名前が入った楽屋用の暖簾のれんを置いて行かれた。

 保科様はあれ以来江戸には戻っていらっしゃらない。互いに文も出さなければ、名前を聞かなければ思い出すこともなくなっていた。

  「暖簾……どうしよう……藤江様からも頂いてるし、権さん、これはどこかにしまっておいてくれる?」
 保科様からのお心遣いは嬉しいけれど、楓の気持ちを考えれば使うことはできないと思った。少しでも保科様を連想させるものはなくしておきたい。

  「百合……いいのかい?」
 権さんがなにか言いたげにしたけど、それには気づかないふりをする。
  「うん。保科様は江戸にはおられないしさ。藤江様のお顔を立てた方がいいだろうしね」
 そう言うと、権さんはなにも言わず、暖簾を丁寧に桐の箱にしまってくれた。


  ***


  「そう言えばさ、女将。俺、最近華になる為の稽古が詰まってたせいもあるけど、褥仕事が来てなくない? 少し前に外で同伴デートしただけなんだけど」
 送られた品物の仕分けを手伝いながらふと思い出して聞いてみる。女将は苦虫を噛み潰したような顔をした。

  「なに、その顔。なにかあった? もしかして褥での評判が悪いとか……」

  「そうじゃないよ、差し紙申込書は山ほど来てる。ただ……いや、アンタは知らなくていいよ」
 女将がそっぽを向いて話を終えようとする。

 これは絶対、なにか隠してる。今は休ませておいて、藤江様みたいな鬼畜な客と盃を交わさせるつもりとか……。

拒否、断固拒否! 華になれば少しは自分で客を選べるようになるんだよね?

  「女将、あとで聞いて取り返しがつかないとかほんとやめて。言って。今言って。絶対言って」
 女将の肩を掴み、ぐっと力を入れる。女将はバタバタと体を動かし、俺から逃げようとした。

 俺はそこに幽霊のようにおぶさった。そう、まるで番長皿屋敷のお菊さんを演じるように。
  「逃がさないよぉ~」

  「わかった、わかったからこの老いぼれに体重をかけるんじゃないよ! 骨でも折れたらどうするつもりだい」
 ちっ。こんな時だけ年寄りぶっちゃってさ。

  「で、どういうこと?」

  「……楓だよ」
 女将は着物の襟元を直し、半ばため息がてらに話し始めた。
  「楓が百合に客を付けないでくれって。……菊華になり、裏方の仕事も精力的にやってんだから充分華屋に功績を挙げてるだろう? って。それに、自分の取り分きゅうりょうをアンタの揚げ代に回すから勘弁してくれとさ」

  「……なんだよ、それ……」
 俺に客を付けなきゃ俺の生活費や衣装代は賄えない。同じように楓だって自分にかける費用が必要なはずで、曲がりなりにも菊華になった俺の揚げ代を請け負うなんて負担でしかない。

  「だからあの子、最近女性客との同伴が多いだろう? 市村のお嬢さんとの付き合いなんかは市山座との繋がりを持つ為ってのもあるけど、盃を交わすくらいの代金を楓にかけて下さってるから無下にできないんだよ。他にも奥女中さん方から外座敷のお呼び出しもあるしね。アンタが一時仕事に出れなかった時もそうだけどさ、大華がここまで舞台外の付き合いをやるのは滅多なことなんだよ。感謝しな」

 そんな……。誰がそんなの、頼んだんだよ。そんなふうに知らない所でぬくぬくと守られたって嬉しくない。
 二人で生きてく、って約束したじゃん。俺だって楓の力になりたいんだよ。これじゃただのお荷物じゃないか。

 女将に背を向けて駆け出す。
 この時間、楓はまだ部屋にいるはずだ。

  「待ちな、百合、楓から固く口止めされてるんだよ……これ、百合……!」
 女将の声が遠くなる。

 聞いてられるか。
 一気に階段を駆け上がり、一番奥の楓の部屋の襖を、勢いをつけて開け放した。

 中では楓が着替えの最中で、俺の姿を認めると、目を丸くして手を止めた。

 楓……また一段と体が締まってる。肩幅なんかは広くなってますます色気が……って、ちがーーーーう!

  「楓、女将から聞いた! 俺の揚げ代……ゲホ……なんでそんなこと……ゴホ」
 勢い良く駆け込んだせいで、空気を吸ったら喉に来てしまう。

  「落ち着けよ。百合は喉が弱いんだから。一体どうしたんだ」
 小袖を羽織り、軽く帯を締めた楓が、俺を部屋の中央に座らせつつ背をなでた。

  「楓、なんで俺の揚げ代の負担なんか……。俺、やれるよ。仕事なんだがら割り切ってる。それに俺だって仕事でも楓が女の子と仲良くしてるのは嫌なんだ。気持ちは同じなんだから、負担は分けないと駄目だ。どっちかが相手を守るんじゃなくて、対等でいたい」 
 気持ちを一気に吐き出す。
 楓の着物の袖を握って訴える俺を、楓は黙って見ていた。

  「なあ、楓。俺の為に客を増やさないでよ…………俺だって嫉妬はするんだ……」
 恥ずかしいけど、情けないけど、前に「俺には本当のことを教えて」と言ってくれた楓に、心の奥底に隠していたもやもやも暴露する。


  「……百合。同じじゃないんだ」
 楓がようやく口を開いた。

  「俺は兵五郎と同じだ。嫉妬なんてもんじゃない。百合が他の誰かに抱かれていると思ったら心の中にめらめらと炎が上がって、相手を殺してやりたい、火をつけてやりたいとまで思ってしまうんだ」

  兵五郎は「大江戸大火愛憎絵巻」の主人公の名だ。
 楓は舞台で見せる、その兵五郎の苦悩の表情で俺を見ている。

  「楓……」

  「ごめん。余裕がない男で。でもわかって欲しい。対等でありたいのは俺も同じだ……だけどこれだけは譲れない。誰ひとり、百合に触れさせたくはない」
 俺を抱き寄せ、腕に力を込める。

 どう答えたら良かったのだろう。
 俺が思うよりずっとずっと楓の思いは強くて、つまらない焼きもちを焼いたことや、菊華としての舞台にかかりきりで、自分のことだけかしか考えていなかった自分が恥ずかしかった。

 俺はなにも言えずに楓の頬を寄せ、唇を重ねた。言葉では上辺しか伝えられない気がする。

 楓が好きだよ。
 楓が好きだよ。
 心の中で繰り返しながら、深く口付けをした。

 ……そうだ。伝わる言葉がある。まだ楓に言えていなかったこと。

  「楓……愛してるよ」
 唇を離し、目を見て伝えた。

 途端に、楓が破顔する。
 瞳が濡れて光り、今まで見てきたどの表情よりも切なくて美しい、綺麗な笑顔だった。
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